テーマ:鉄道雑談(1511)
カテゴリ:トリビア
姫新線というJRのローカル線がある。
しかし、1970年代(昭和50年代)以降は中国自動車道が開通して自家用車や観光バスに観光客が転移し、JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)も高速バス(中国ハイウェイバス)を開業させたことから、陰陽連絡路線や津山市と京阪神とを結ぶ役割を事実上喪失した。 1989年の急行廃止と1994年の智頭急行線の開業により、以後は地域輸送が中心となっている。 姫新(きしん)線の姫は姫路と新は新見までという意味。 しかし、過去に、「姫津(ひめつ)線」と呼ばれた時代があった。 ■昨年12月■に行った姫路の平和祈念館で、それを証拠づけるような歌を見つけた。 流行歌「姫津(ひめつ)双六(すごろく)」 橋本一郎 歌 咲いた桜に天守が浮かぶ あれは国宝 お国自慢の白鷺城 揖保(いぼ)の河原に身を焼く蛍 夏は短夜 噂 龍野へ通ひくる。 来栖(くるす)、三ケ月、徳久(とくさ)、作用、 土居の四ツ塚、眠る維新の人柱 私ゃ湯郷、温泉むすめ 恋の紅帯 あつい情けの湯でとける 天光勾践を空しうするなかれ (てんこうせんをむなしゅうするなかれ) 忠臣児島の名が残る 咲いた桜・・・の行は「姫路」 揖保の河原・・・は「本龍野」 「来栖(くるす)」、「三ケ月」、「徳久(とくさ)」、「作用」、「土居」と続く。 私ゃ湯郷・・・「林野」 天光勾践を・・・「院庄(いんのしょう)」 と駅名が歌われている。 1936(昭和11)年4月8日に「姫津(ひめつ)線と呼ぶことにしたが、 同年、10月10日には、 作備線・因美線 東津山駅 - 津山駅間を姫津線に編入、姫路駅 - 新見駅間、津山駅 - 津山口駅間(支線)が姫新線となる。 新見と津山が繋がり、津山と姫路が繋がったことにより、「姫新(きしん)線」となったのだ、。 私は、姫路、本竜野、新宮から乗ったことがある。 中学時代の同級生には、「作用(さよう)」から、高校時代の友人は「千本」という駅から通っていた。 父の母親、私の祖母の実家は「美作江見」にあり、祖母の姉妹が「作用」で結婚していた。 父は、母の里に遊びに行っていたので「楢原(ならはら)」という言葉がしょっちゅう出て来ていた。 今から10数年前、林野駅から姫路駅まで乗ったら、途中で何回も乗り換え。 姫新線は、私にとって懐かしい電車。 しかし、「姫津(ひめつ)線」と言っていたとは、昨年12月にはじめて知った。 それにしても、東京、大阪間の新幹線の本数は多いけれど、ローカル線は、一日に数本というバランスの悪さ・・・。 ■姫新線■ ・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2014年2月11日*初午(はつうま):狐にだまされる。* ・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.02.12 00:42:11
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