テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:父の麦わら帽子
私は、中学2年まで岡山の田舎で育った。
遊び友達の親も祖父母も、皆顔見知り。 同じように貧乏で、同じように農業を営んでいた。 話す言葉も岡山弁だった。 そんな中に、ひとり、大阪弁を話す女性がいた。 それは、うちの2軒裏のAさんの妻だった。 Aさんは、村の出身で若いうちに大阪に働きに行った。 そこで、知り合った女性と結婚し、大阪の今里という所で暮らしていた。 しかし、戦争で食べるものもなく、焼け野原になった大阪から、 Aさんの故郷、岡山の田舎に帰ってきたのだった。 村には、同じ姓の人が多いので、屋号が必要だ。 そこで、村の人たちはAさんのことを「今里」と呼び、それがAさん宅の屋号になった。 Aさんの妻は、大阪生まれなので、いつも大阪弁だった。 うちに来る時は、 「裏から、ごめんやす」と言って、裏口から入ってきた。 村では誰も使わない大阪弁なので、子どもの私は、 「裏から、ごめんやす」と裏口から入るとき真似をして、親を笑わせた。 母は、 「もう、何年も、こっちに住んでいるのに、いつまで、大阪弁を使うんじゃ」と言うことがあった。 「今里の奥さんは、『私は、こんな田舎者ではありません』といいたいために大阪弁を使うんじゃ」とも言った。 そんな母も、岡山から兵庫県・龍野市に引っ越しても、岡山の言葉が抜けなかった。 私も、岡山から関西弁エリアの龍野に引っ越した時、言葉の違いに、カルチャーショックを受けた。 50年以上、関西弁エリアで暮らしているが、いまだに、イントネーションが違うと自分でも気づく。 今、NHK朝の連続ドラマ■あさが来た■ をやっている。 その中で、たびたび聞く「ごめんやす」のはんなりとした響き。 失われた美しい大阪弁に、今里の奥さんを思い出す。 ■方言:食べり■ ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.27 11:35:54
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