おしゃれ手紙

2016/06/16(木)01:46

鯖街道:熊川の宿

国内旅行(531)

■6月8日 鯖街道の出発点■小浜を出て■熊川の宿に向かった。 ■板屋一助が1767年に著した『稚狭考』■ によると、本来は能登沖の鯖が有名で、それがとれなくなり、若狭の鯖が有名になったということのようです。 それらを運んだ鯖街道は1本だけでなく、5本ほどあったようです。 その中でもっとも盛んに利用されたのが、小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町に至る若狭街道です。   その最もポピュラーな鯖街道の、小浜から熊川宿を抜け、朽木、大原、出町へと続く道を通った。   熊川宿は人家の前の、生活用の前川と呼ばれる小川が流れる古い町並みを整備し、昔のまんまの風情を取り戻している。 川の水を利用して、水まきをしたり、イモ洗いの道具を仕掛けて、イモを洗ったりしていた。 藩の交通を取り締まる「番所」があった。 「関所」と「番所」はどう違うのかと私が聞くと、 「関所」は幕府の管轄、 「番所」は藩の管轄だとうだ。 この写真の右側から入って、2人の役人の前に出て、通行税を払うのだそうだ。 熊川宿の東側(近江側)にあった番所を復元したもの。 「入り鉄砲に出女」という言葉があるように厳しい統制と物資への課税が行われていた。 小浜藩士、百姓町人の妻女には、奉行所の裏判のある願書(通行手形)が必要だった。 熊川宿の魅力は ★アスファルトの地面を土の色にしていること。 ★人家の前を生活用の前川と呼ばれる小川が流れること。 ★電線が埋められていること。 そんなわけで、撮影にもよく使われるそうだ。   かつて、この地区の子どもは、滋賀県の近江八幡市の学校に通っていた。 今でいう高校生くらいで家が裕福で勉強ができる子限定だったのだろうが、 朝、4時か5時に家を出て、徒歩で琵琶湖のほとりの町、今津に行き、そこから船で近江八幡の学校に通ったそうだ。 冬は雪が降って通えないので、近江八幡に下宿していたのだそうだ。 ■世界の果ての通学路■みたい。 そんな苦労して卒業をし、会社務めをして、社長に見込まれ、社長の娘婿になった人がいる。 その会社とは、「伊藤忠商事」。 この家は、伊藤(旧姓、逸見)竹之介の生家だ。 その後、滋賀県を通り、京都・大原を過ぎ、京都に着いた。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・

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