カテゴリ:お出かけ
■11月30日■紅葉を見に行った。
行き先は■高野山真言宗遺跡本山 檜尾山観心寺。■(長っ!!) 観心寺は大阪・奈良・和歌山の三県の境にあり、 西暦701年に 修験道の開祖・役行者が開創され、 後に弘法大師空海が真言宗の道場とした寺院。 境内には弘法大師の筆頭弟子道興大師実恵の墓、 第九十七代後村上天皇の御陵などがある。 ■南北朝の英雄 楠木正成■の墓もある。 後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に天皇を助けた。 尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。 討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。 後醍醐天皇は観心寺を厚く信任し、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。 正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。 その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊になっているが、境内は 史跡として、自然に恵まれた環境の中で、山岳寺院の景観を保持している。 11月30日には、山茶花が散り始めていた。 季節外れの桜が咲いていた。 この寺は、花も多い。 2月に咲く椿 3月、梅、椿、雪柳、木蓮。 4月、桜・・・。 桜が終わると、モミジの新緑も美しいと思う。 鎌倉時代に皇統は後深草系統の持明院統と亀山系統の大覚寺統のふたつに分裂する両統迭立が起こる。両統は皇位を争奪し、鎌倉幕府が仲裁していた。 南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。 1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。 ■観心寺:アクセス■ ・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.12.02 01:54:03
コメント(0) | コメントを書く
[お出かけ] カテゴリの最新記事
|
|