テーマ:ヨーロッパ旅行(4168)
カテゴリ:父の麦わら帽子
1972年4月、23歳の私は、ひとりヨーロッパに向かった。
姫路から横浜まで新幹線で行った。 新幹線に乗ることが私にとっては、はじめての体験だった。 横浜からは、船でソ連のナホトカに行き、 そこから陸路列車でハバロフスクに行く。 ハバロフスクから空路、モスクワへ。 そこから、陸路、列車でフランスに行き 船でドーバー海峡を渡るという「ナホトカ航路」での旅だった。 地図でしか見たことがない、町の名前に、心細かったが、横浜からの船の中で不安は消えた。 ★関西弁の賑やかな、N村さんとその友人が同じ船室になったからだ。 彼女たちは、賑やかだった。 二人連れだったから、不安などなかったのだろう。 ★私たちの隣の船室は、関西の私立大学生・Y口氏とその友人N田氏。 Y口氏とその友人は、同じ大学の友人で、休学してヨーロッパに行く所だった。 Y口氏は、フランス人の彼女を作って、フランス語を習得し、大学で教えるということを 真顔で語っていた。 N村さんとY口さんは、同じ尼崎出身ということが分かり、大いに盛り上がった。 彼らのおかげで、私までひとりでも無敵だった。 しかし、お互いの行き先が違うため、モスクワでみんなバラバラに別れた。 ★ひとりぼっちで、ロンドンに着くと、私は、姫路の英語学校で知り合った友人に電話した。 彼女は、ロンドン在住のカナダ人の家で、住み込みで家事の手伝いをしながら、英語学校に通っていた。 彼女とカナダ人家族の好意で私は、2~3日、居候を決め込んだ。 その後、セントポールに近いユースホステルで、一人いたら声をかけてきた人がいた。 ★東北出身で、東京の私立大学生、S倉クンだ。 彼は、一人でブライトンから自転車でやってきたといった。 さっそく、友達になった。 私が、絵葉書を出して帰ると、船で部屋が隣同士だったY口氏がそこにいたのには、ビックリした。 船と列車で数日間一緒だっただけなのに、懐かしかった。 その後、S倉クンとY口氏は、フラット(アパート)をシェアし、日本人がよくたむろしていた。 私も、そのうちのひとりだった。 そうそう、ひとりで、列車の旅をしていた時、Y口氏の友人N田氏にバッタリ会った。 彼は親切に、彼は、ユースホステルが予約できていたが、女性部屋が満室のため、宿のなかった私に、自分の寝袋を貸してくれた。 ★フィレンツェでは、東京のS井氏にお世話になった。 体調を崩した私は、駅でぐったりしていると、付き合ってくれた。 体調が回復してからも、市内を案内してくれた。 他にも、沢山の人にお世話になった。 一人旅の私は、みんなのおかげで、楽しく過ごせた。 いい思い出が作れた1972年だった。 その旅は「ナホトカ航路」から始まったが帰りは、飛行機だった。 たった一回しか乗ったことがないけれど、沢山の思い出が今も残っている。 横浜港とソ連のナホトカ港を連絡していた「ナホトカ航路」の旅で出会った人々・・・。 お元気ですか? 私は元気で、今年、夫と■イギリス■に行ってきました。 時々、ナホトカ航路で行ったはじめてのヨーロッパ旅行であった人々を懐かしく思い出す。 ■ナホトカ航路■ ・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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