2017/07/09(日)08:31
今橋:東横堀川
■東横堀川に架かる橋、■葭屋橋(よしやばし)■■の次は「今橋」。
■今橋■
(▲葭屋橋と左岸東詰でV字型に架かっている形になっているが、元は別々に架かっていた。)
大阪の陣の様子を描いた絵図にこの橋の名が記されていることから、豊臣時代には既に存在したと考えられる。
江戸時代には、橋の西側に平野屋五兵衛、天王寺屋五兵衛など大物両替商が軒を並べ、大阪の金融の中心地であった。
また北浜には寛保3年(1743)金相場会所が設けられ、明治11年(1878)証券取引所が設立されるまで、金銀銅三貨の取引がこの地で行われた。
元禄の頃の資料に、橋長75.8m、幅員5.5mと記されており、町橋としては規模の大きなものであった。
橋のたもとから尼崎方面への乗合船が出ていたとの記録もある。
今橋は大正13年に近代橋になったが、戦後、東横堀川に沿って阪神高速道路が建設されたときに若干の改造が加えられた。
その後老朽化が進んだため、現在の橋に架け替えられている。
(▲今橋の上は高速道路が走っている。)
船場のうち北から2番目の町で、1~4丁目まである。
東端は今橋、西端は西横堀川尼ヶ崎橋跡で、東西約1.1km、南北100m弱の地域。
3丁目と4丁目は1872年(明治5年)まで尼崎町、西横堀川沿いが七郎右衛門町という町名だった。
町名に「尼崎」の名前があるし、なにか関係があるのかと思って調べたら・・・!!
■尼崎渡海船と大坂■
■浪速の名橋50選■
■水運■
水運の面では、尼崎の港は古代・中世ほどの勢いは失ったとはいえ、神崎川・淀川を通って京と尼崎を結ぶ過書船や、大阪湾周辺を行き来する渡海船が盛んに往来しました。
(▲今橋から「よしや橋」を見る。)
(▲今橋のすぐそばに「今橋洋服店」という店があった!)
▲この階段の下に「今橋」の名前が入った古い橋の名前が見える。
今橋の下は、公園になっている。
ここも昔は川床だったのだろう。
道から見ると高さ、深さがよく分かる。
▲茶色は東横堀川の水門。
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