テーマ:大阪・大阪人(88)
カテゴリ:八百八橋散歩
大江橋(おおえばし)は、大阪市北区の堂島川(旧淀川)に架かる橋である。 国の重要文化財に指定されており、浪速の名橋50選にも選定されている。 大阪市北区西天満2丁目および堂島浜2丁目と同区中之島を結ぶ、御堂筋(国道25号)に架かる橋である。 鉄骨鉄筋コンクリート造りのアーチ橋で、橋長81.5メートル、有効幅員37.0メートル。 なお、大阪市営地下鉄御堂筋線が大江橋の地下を通過している。 歴史的には江戸時代の元禄年間、堂島の開発に伴って架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちの1つである。 1909年に大阪市北区の一帯を襲った「北の大火」で焼失。 翌1910年に復興と市電の開通に伴い、鉄橋として架け替えられた。 現在の大江橋は、大阪市の都市計画の一環としての御堂筋の拡幅工事に伴い、1930年に着工し1935年に完成した。 架け替えに先立ち、すぐ南側の土佐堀川に架かる■淀屋橋■とともに、1924年に大阪市の第1次都市計画事業で公募された、鉄筋コンクリート造りのアーチ橋ながら、パリのセーヌ川を参考に景観に配慮したデザインは、一部補修された以外は懸架された当時のままで、市の第1次都市計画事業の目指す所を現代に伝えている。 このことが特に評価され、2008年には「大江橋及び淀屋橋」として、コンクリートの橋としては珍しく重要文化財に指定された。 ■大江橋■ は元禄年間、堂島開発に伴って新しく架けられた堂島川五橋の一つである。 五橋にはそれぞれ古来より大坂に伝わる由緒ある橋の名前や歌枕として有名な地名などから、その名前が取られた。 大江橋は、 「玉藻刈る 大江の浦の 浦風に つつじの花は 散りぬべらなり」(大伴家持)を始め、多くの歌人が歌に詠んだ大江の地にちなんでその名前がつけられた。 他に■下記の名前の由来の説■がある。 ★大江とは 天満橋と天神橋の間の上町台地の端っこに近い土地が昔、大江と呼ばれた。 ★★縄文時代 大阪の街は今の寝屋川辺りは勿論 生駒山の近くまで海だった。 その頃天満橋周辺を指して辺りを「わたなべの津」といった。 「津」は「港」の意で 津の一部が大江であった。( 府近代化遺産総合調査考え) 大江橋から大阪駅までがほぼ直線で結ばれるようになったのは明治35年(1902)に梅田新道が開通した ときのことで、橋は明治43年(1910)、市電の開通に合わせて鉄橋となった。 現在の大江橋は、大阪市第一次都市計画事業の御堂筋建設に伴って架け換えられたものである。 大江橋と淀屋橋の設計に当たって、橋梁設計の分野では珍しいデザインの一般公募が行われた。 実施設計ではこの塔に変わってバルコニーを設けるよう修正されている。 なお、平成20年(2008)に淀屋橋とともに重要文化財に指定され、平成24年には橋の管理が国土交通省から大阪市に移管されている。 (▲堂島から見た大江橋と大坂市庁舎) 大江橋と (▲淀屋橋。渡って右に見えるのが大坂市庁舎。) 淀屋橋は、中之島に立地する市庁舎を挟む位置にあるため、景観的にもまた機能的にも最重要の位置付けであった。 デザインは特に重視され、大正13年 (1924)、橋としてはそれまでほとんど例のないデザインコンペが行われ、全国から意匠設計を募集した。 コンペでは幅員、橋長などのほかに、主構造を鉄骨鉄筋コンクリートのアーチ橋とし、2橋とも同一のデザインとし、周辺の建築物や背景と調和し、2橋の間の道路部分のデザインも考えること、などの条件が示された。 ◆大江橋 ◆淀屋橋 親柱がそっくりだ。 橋の名前は、元大阪市長・関一(せきはじめ)の字。 ■難波橋(ライオン橋)■ ■水晶橋■ ■淀屋橋■ そして「大江橋」。 これらの橋は、橋を見ているだけでも美しい。 周りの景観に合わせる努力をした結果、美しい橋が残ったのに、景観を変える馬鹿な現代人。 (ノД‘) にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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