2017/12/16(土)13:42
細雪(下):谷崎潤一郎
■細雪(上)■■細雪(中)■■細雪(下)■
昭和十六年、三十五歳になった雪子は、やっと貴族出の男との縁談がまとまり、結婚式に上京する。
他方、バーテンと同棲した妙子は子供を死産してしまい、明暗二様の対比のうちに物語が終る。
『源氏物語』の現代語訳をなしとげた著者が、現代の上方文化のなかにその伝統を再現しようと、戦争中の言論統制によって雑誌掲載を禁止されながらも、えいえいとして書き続けた記念碑的大作。
★と云うのも、余人知らず、「大阪生まれ」と云うことに誇りを抱いていた幸子は、幼少の頃から豊太閤と淀君が好きなので、関ケ原の戦には興味が持てなかったせいもあった。
*次女・幸子が関ケ原を案内された時、「もう、面白くもなんともなくて閉口したことがあった」という。
三女・雪子と四女・妙子は、東京で暮らすようにと言われても、行かないか、行ってもすぐ帰ってくるなど、関西好きなのである。
★「鯖は怖いわ、新しいても中(あたる)時があるよって」。
*こいさんが、病気になった時の姉妹の会話のひとつ。
「中る」と書いて「あたる」と読む。
そういえば、歌手に中孝介とい人がいるが「あたりこうすけ」と読む。
後書きのような「『細雪』回顧」というのを谷崎潤一郎が書いている。
以下、「『細雪』回顧」。*は私の感想など。
★尤(もっと)も先年永井荷風氏にお目にかかった時、氏は長年こくめいに日記をつけて「何年何日に雨が降っていないのに雨を降らすようなことはない」
と云っておられたが、私などは到底そこまでは行けない。
*「細雪」の中に神戸が水害にあったシーンがあるが、調べたという。
★(略)もう、「細雪」と同じようなものを書こうとは思っていない。
文章などももっと短く簡略に書きたいと思うようになっている。
*本当に、一つのセンテンスが長すぎ!!
長いもので、10行ほどあった。(8行だったかも)
★変わると云えば大正末年私が関西の地に移り住むようになってからの私の作品は明らかにそれ以前のものとは区別されるもので、極端に云えばそれ以前のものは自分の作品として認めたくないものが多い。
★江戸時代の残像をもった日本橋に生まれ(略)
東京を廃墟にしてしまった震災は彼の帰属する故郷を無にしてしまったのであった。
なかば「第二の故郷」を求めるように関西に移住した・・・(略)。
(後書きの「谷崎潤一郎 人と文学」より。)
*谷崎は、江戸の色が残る東京に生まれた。
しかし、震災でそれらが無くなり関西に移住。
すっかり関西びいきになった。
「細雪」の中で幸子が関西がよいと何回も語り雪子も東京の姉の家には居つかないで芦屋の中姉の所にばかりいる。
★胃鏡、棒紅・・・。
*古い作品なので随所に古い言い回しがある。
胃鏡は胃カメラ、棒紅はリップスティック。
★谷崎は、戦中、戦後の激動期を通じて、おのれの思想を修正する必要のなかったごく少数の文学者の一人である。
(後書きの「谷崎潤一郎 人と文学」より。)
*「細雪」は主人公たちの華美な服装などが
「このご時世になにをやっている。」とばかりに、掲載禁止になる。
「細雪」読むきっかけになったのは、宮尾登美子のエッセイ集■もう一つの出会い■を読んでから。
宮尾登美子は、読みながら、あまりの優雅な生活にすっかり驚き憧れたという。
読んだ本の影響で次の本が決まることが多いが、
「もう一つの出会い」が「細雪」に繋がった。
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