テーマ:■大阪探検■(678)
カテゴリ:八百八橋散歩
江戸時代、4.2m、→昭和4年、7.5m→現在、3.8m。 橋の幅、3.8mって、細っ!! 橋の名前を書いている所を探したけど、見つからない。(ノД‘) ■越中橋(えっちゅうばし)■ 越中橋(えっちゅうばし)は、大阪府大阪市の土佐堀川(旧淀川)に架かる歩行者専用橋。 大阪市北区中之島5丁目と大阪市西区土佐堀2丁目の間を結んでいる。 橋の北側にはロイヤルホテル(肥後藩蔵屋敷跡、阿波藩蔵屋敷跡)が、南側には三井倉庫(薩摩藩蔵屋敷跡)がある。 明暦3年(1657年)の地図にすでに存在しており、 現在の橋は昭和4年(1929年)に架橋され、昭和39年(1964年)にかさ上げが行われた。 下中之島の橋では越中橋が最も古く、橋の北詰に肥後・細川越中守の蔵屋敷があったことからこの名前が付けられたと想像される。 また南詰めには播磨藩の蔵屋敷があった。 橋は明暦期(1655~1658)の地図にもすでに画かれ、江戸時代初期には架けられていたこともわかる。 江戸時代の橋の規模は、橋長三四間二寸(67.0m)幅員二間九寸(4.2m)であった。 (▲橋の上から上流を見る) 明治18年の大洪水では大きな被害を受けた。 土佐堀川の橋は難波橋から湊橋までことごとく破壊され、木津川方面へ流れた。 第1次及び第2次の都市計画事業においては新設、永久橋化が行われた。 越中橋も昭和4年に近代化された。 橋梁形式は三径間ゲルバー式鋼鈑桁橋で、20.5m、29.0m、20.5mのスパン割を持ち、幅員は7.5mである。 (▲橋の上から下流を見る。) 戦後から進行していた西大阪一帯の地盤沈下は戦後になってさらに拍車がかかり、台風時の高潮によって大きな被害を受けることになった。 このため、高潮対策事業が実施されたが、この中で橋梁の嵩上げ工事も行われることとなった。 越中橋も嵩上げの必要が生じたが、嵩上げ高が3.5mにもなるため、橋を歩行者専用とし、階段で取り付けるように変更された。 工事は39年に完成し、幅員も3.8mに縮められた。 橋長:71.02m 幅員:3.8m 形式:桁橋(ゲルバー桁) 完成:昭和4年 行政区:西区、北区 河川名:土佐堀川 アクセス:京阪中之島線 中之島駅 2番出口 およそ400m 徒歩7分 大阪市営バス「土佐堀二丁目」 ■土佐堀川に架かる橋■ ■天神橋■ ■難波橋■ ■栴檀木橋(せんだんのきばし)■ ■淀屋橋(よどやばし)■ - 御堂筋(国道25号)の橋 ■錦橋(にしきばし)■ - 歩行者専用の橋 ■肥後橋(ひごばし)■ - 四つ橋筋の橋 ■築前橋(ちくぜんばし)■ ■常安橋(じょうあんばし)■ - なにわ筋の橋 越中橋(えっちゅうばし) - 歩行者専用の橋 土佐堀橋(とさぼりばし) - あみだ池筋の橋 湊橋(みなとばし) - 新なにわ筋の橋 端建蔵橋(はたてくらばし) にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.12 10:16:26
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