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テーマ:ヨーロッパ旅行(3690)
カテゴリ:海外旅行
![]() ■2018.7.4(水) ![]() ■バトル (Battle) は、■ イングランド、イースト・サセックスにあるタウン、行政教区である。 ロンドンの南南東79km、ブライトンの東46km、カウンティ・タウンのルイスの東34kmに位置している。 タウンの南東でヘイスティングスと接している。 ![]() ノルマンディー公ウィリアム=ギヨーム2世(同一人物)がハロルド2世を破ったヘイスティングズの戦いの舞台となった場所で、戦いに勝利したウィリアムは、1066年イングランド王ウィリアム1世となった。 ![]() 西フランク王国(現在のフランスに相当)王は、北西の沿岸部の土地をノルマン人の一部族の首領であったロロに与え、公爵として封じた。 間もなくその一帯はノルマンディーと呼ばれるようになる。 ![]() (■▲前日に行った「ヘイスティングス城にて撮影■) その後、1066年、7代目のギヨーム2世=ウィリアム1世のとき、イングランドの王位継承を主張してイングランド王国へ侵攻し、ハロルド王を破ってイングランド王に即位した(ノルマン・コンクエスト、ノルマン朝成立)。 ![]() (■▲前日に行った「ヘイスティングス城にて撮影■) そのウィリアム1世が建設したとされるのが■「Hastings Castle(ヘイスティングス城)」。■ ![]() ●戦後処理● ギヨーム2世=ウィリアム1世はイングランド南部を平定、12月25日にウィリアム1世=ギヨーム2世として即位し、ノルマン朝を開いた。 ![]() (■▲前日に行った「ヘイスティングス城にて撮影■) ウィリアム1世=ギヨーム2世は反抗したアングロ・サクソン系貴族の土地を没収して本土から付き従っていた功臣に与え、彼ら諸侯に忠誠を誓わせて強大な王権を樹立した。 またロンドンを首都と定め、教会組織も整えた。 こうしてイギリスには、中世では例外的に王権が強力な独自の封建制が成立することになった。 ![]() 戦いが繰り広げられたバトルの地には征服王(Conqueror)とも称されるウィリアム=ギヨーム2世がその後、 ![]() カトリック教のバトル寺院(Battle Abbey)を建立。 ![]() 寺院はその後、ヘンリー8世によるカトリック排斥の命を受け解体と相成ったが、 ![]() 修道院などの古跡が古戦場とともに人気の観光スポットとなっている。 ![]() 解説テープが聞ける受話器を耳に古跡や古戦場を歩くことができる。 ![]() その後、ノルマン人はアングロ・サクソン人に同化し、文化の融合も行われた。 ![]() (■▲前日に行った「ヘイスティングス城にて撮影■) 言語もアングロ・サクソンの言葉を中心に、ノルマン・フランスそれぞれの要素を融合させ、今日の英語になっていったのである。 ![]() ●その後● ノルマンディー公は、フランス王に臣従する一方で、イングランドでは王として君臨した。 このイングランドとフランスの複雑な関係は、後の百年戦争の遠因となる。 ![]() ■ノルマンディー家■ 7.ギヨーム2世(1035年 - 1087年)「庶子公」「征服公」 イングランド王(ウィリアム1世、 1066年 - 1087年)「征服王」 もし、この時、ノルマン軍が負けていたら、文化や言葉が違うかもしれない。 今のようなイギリスではなかったかも知れない。 この日、この時歴史が動いた。 この地はイギリスの歴史を変えた。 日本では「天下分け目の天王山」というけれど、「天下分け目のヘイスティングスの戦い」。 日本語の音声ガイドを聞きながら廻った。 ![]() ▲小学生が遠足に来ていた。 ![]() バトル (battle) 小規模な紛争、戦争、戦闘の意味。 ![]() ▲氷室 ![]() ここから氷室へお入口。 もちろん、入れないのだが。 ![]() もうひとつ、イギリスの歴史を変えた戦争の地を訪れたことがあった。 ■天下分け目のカロードンの戦い■ 2016.7.23に行ったスコットランド。 ![]() ハイランド地方インヴァネス近郊のカロードゥン湿原(ムア)において、ジャコバイト軍とグレートブリテン王国(以下イギリス又は英国と表記)軍との間で行われた戦いである。 ![]() ▲この日のランチ。▼ ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・
Last updated
2018.09.11 00:26:31
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