テーマ:■大阪探検■(678)
カテゴリ:お出かけ
道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)は、大阪府藤井寺市道明寺にある神社。 そこに、3月2日(土)友人と散策してきた。 ■道明寺天満宮■ ●もともとは天満宮ではなく、土師神社であった。 ●隣りの駅が土師ノ里であることからもわかる通り、このあたりは古墳時代に大活躍した「土師氏」の所領であり、土師氏の祖「野見宿禰」が、かつて遠祖であるところの「天穂日命」を祀った氏神「土師神社」(はじ じんじゃ)を創建した。 これが道明寺天満宮のそもそもの始まり。 ●「野見宿禰」は相撲の祖とされつつ、垂仁天皇の御代に埴輪を発明して、天皇崩御に際する「殉死」という悪しき慣習をストップさせた人物。 道真公死後の947年、道真公が残した木像を安置し、遺品をご神体として祀ったことから、土師寺は道明寺へと寺名を改めた。 ●道明は道真公の号「道明」に因む。 ●道明寺天満宮の門の横には土師氏の窯の跡がある。 この丘の角度が登り窯にピッタリのようだ。 道明寺天満宮は丘の上にあります。 ここから西に高台が続き、その斜面から登り窯跡が発見されています。 ▲▼近鉄、道明寺駅から道明寺天満宮への道は、細く、参詣のための道だったのだろう。 道明寺天満宮の石段を登って 広い境内へ。 そして、その子孫である土師氏は野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社を建立した。 仏教伝来後に土師氏の氏寺である土師寺が土師神社の南側に建立され、やがて神宮寺となった。 この土師氏からはやがて菅原氏や大江氏が分流していく。 平安時代、土師寺には菅原道真のおばに当たる覚寿尼が住んでおり、道真も時々この寺を訪れている。 この寺のことを「故郷」と詠んだ詩もある。 901年(延喜元年)、道真は大宰府に左遷される途中に当社に立ち寄って、覚寿尼との別れを惜しみ、和歌を詠んだ。 鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音の なからん里の暁もかな 菅原道真 ■意味■鶏が鳴いてつらい別れがきた。 夜明けに、(夜明けを告げる)鶏の声が聞こえない里であればよいのに・・・。 以後、道明寺では、鶏を飼わなくなったとか・・・。 1633年(寛永10年)には石川が氾濫したため、道明寺が天満宮境内に移転し、両者はやがて一体化していく。 1952年(昭和27年)に土師神社は道明寺天満宮と改称する。 現在も学問の神として地元の人々に親しまれている。 また境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている。 ▲道明寺天満宮への道には、梅のデザインのマンホールが。 真ん中の丸の中は、古墳と耳飾り。 ▲▼境内には、しゅらのレプリカが置いてあった。 ■大阪天満宮■ ■道明寺天満宮への道■ 〒583-0012 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40 •電車 近鉄南大阪線・道明寺駅から徒歩3分 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.08 00:04:23
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