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カテゴリ:読書
玉鬘の君は源氏の君の求愛には応えず、粗野だけど実直な「ヒゲ黒の右大将」と結婚しました。 源氏の君は多少の残念さを感じながらも、彼女の門出を祝います。 一方の夕霧は18歳になり、実力で中将という立派な地位を掴み取りました。 内大臣にも認められ、雲居の雁とめでたく結婚します。 幼かったちい姫も大人になり、御所へと入内。 明石の君も娘を支えるため、女房としてともに入内しました。 そして源氏の君は、40歳の節目を迎えます。 準太上天皇という大変高貴な地位に登りつめたのです。 7巻では結婚や昇進が相次ぎ、すべてがうまくいきそうな幸せムードに包まれます。 お互いを意識しすぎていた紫の上と明石の上は、ちい姫の入内で初めて顔を合わせ、相手の素晴らしさに息を飲むのです。 ライバルでありながらも認めあう彼女たちの聡明さが印象的でしょう。 しかし、ようやく心穏やかな日々が訪れると思いましたが……それはもろくも崩れ去りました。 源氏の君が先帝の朱雀院に頼まれ、三の宮という高貴な女性を妻として迎えてしまったのです。 大和和紀による漫画作品。 紫式部による古典文学作品『源氏物語』を漫画化したもの。 『mimi』1979年12月号~『mimi Excellent』1993年第27号に連載。 ●読書メモ● ●催馬楽(さいばら) *何度も、催馬楽というのが出てくる。 ■催馬楽(さいばら)■ 日本の雅楽の種目の一つ。 平安時代に貴族の間で盛んに歌われた声楽曲。 アジア大陸から伝来した唐楽,高麗楽 (こまがく) 風の旋律に日本の民謡や童謡の歌詞をあてはめたものが多い。 発生の時期は平安時代初期にさかのぼるが,平安時代中期以後,特に源雅信の活躍した 900年代から鎌倉時代初期にかけて盛行した。 歌い方には藤家 (とうけ) と源家 (げんけ) の2つの流儀があり,その曲目も数十曲に及んだ。 歌の内容は恋愛歌,祝儀歌などさまざまで,饗宴の性格により歌われる歌が決っていて,のちには一種の故実として固定化した。 室町時代に途絶した。 その後寛永3 (1626) 年に『伊勢海 (いせのうみ) 』が再興されて以来,今日では 10曲が伝承され,宮内庁楽部の楽師によって管弦の演奏会のときに歌われる。 ■源氏物語の中の音楽:催馬楽■ ●■腰結(こしゆい)■ 昔、袴着(はかまぎ)や裳着(もぎ)の儀式の時、腰のひもを結ぶ役。徳望のある人が選ばれた。 …年齢はだいたい12~14歳ぐらいで行われ,配偶者の決まったとき,または見込みのあるときに行うことが多く,これによって結婚の資格を獲得したことを意味する。 裳の腰を結ぶ腰結(こしゆい)の役,髪を結い上げる結髻(けつけい)・理髪の役があり,腰結は元服の加冠と同じく最も重要視され,尊属,または徳望のある高貴な人を選んであらかじめ依頼しておく。 皇女の場合は天皇みずから結ぶこともあった。 ●■葦手書き(あしでがき)■ 平安時代に行われた書体の一つ。 水辺の光景を描いた絵に文字を葦・鳥・石などに絵画化して散らし書きにする書き方。 また、そのように書いたもの。 ●内親王は結婚しないのが通例。 ■結婚できなかったわけではないようです。■ (略)どれくらい「昔」かというところです。 たとえば、平安時代の醍醐天皇には12人の内親王がいました。 ・・・7人が結婚してうち3人は出産しています。 ところが、時代が下って鎌倉時代の後嵯峨天皇の皇女7人になると、誰一人として結婚していません。 その代りに出家しているのです。 この時代は皇室の権力が幕府の存在によって弱くなってしまい、経済力もなくなってしまっていたので、皇子、皇女たちの結婚資金のやりくりもうまくできなかったのです。 そのため皇子でも出家しているケースが多くあります。 この傾向は戦国時代まで続きました。 ■そうだったのか平安時代■ ■あさきゆめみし(1)■ ■あさきゆめみし(2)■ ■あさきゆめみし(3)■ ■あさきゆめみし(4)■ ■あさきゆめみし(5)■ ■あさきゆめみし(6)■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2019.03.27 00:01:22
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