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テーマ:北海道旅行(1495)
カテゴリ:国内旅行
■6月19日(水)■3日目国民休暇村近所の朝の散歩1時間、朝食を終えて、 8:45休暇村から、室蘭に向かって出発。 苫小牧西インターから高速道に入り、室蘭インターで下りて、白鳥大橋を渡り、1時間ちょっとで指定の場所でガイドさんにあった室蘭見学(有料)。 地名の発祥の地は今の崎守町(元室蘭)である。 アイヌ語のモルエラニで、小さい下り道、小走りに走る道などの意味をもつ。 **運上屋**がエトモに移ると共に地名も室蘭に移動した。 **運上屋** 蝦夷地(えぞち)における場所請負人(ばしょうけおいにん)の交易場の経営拠点。 ![]() 北海道の近代史を考えるうえで「炭鉄港」というキーワードがある。 「炭」=石炭を生み出した空知(夕張)と「鉄」の室蘭、それを積みだした「港」。 室蘭は、鉄を生み出し、運び出す港として大いに栄えた。 44戸51人を引き連れ室蘭に入植しました。 山の急斜面が海岸に迫り絶壁をなす地形では、農業は厳しく、室蘭港の対岸に鋳物場が建てられ、鍋や釜を製造。 このことが、鉄のまち室蘭の原点です。 ![]() 絵鞆半島の外側は断崖絶壁が約14 km連なる風光明媚な景勝地になっており、NHKのテレビ番組『ブラタモリ』でも紹介された。 ![]() かつては人口18万人以上を有し、人口密度も北海道内で最も高かったが、基幹産業ともいうべき日本製鉄(旧・新日鐵住金)や日本製鋼所等での大規模な合理化のほか、 比較的地価の安い周辺都市である登別市や伊達市への転出、 苫小牧市の発展や札幌市への一極集中化などに押されている。 住民基本台帳による最大人口は、1969年(昭和44年)7月の183,605人であり、以後は人口減少が続いている。 2005年(平成17年)の国勢調査では58年ぶりに人口が10万人を割った。 ![]() 室蘭に和人が住み着いたのは1600年頃の慶長年間にアイヌとの商取引のために松前藩が「エトモ場所」を設置したことによる。 松前藩は蝦夷地を数十場所に分割して主な家臣に知行地(支配地)として分け与えた。 室蘭地方は総称して「モロラン場所」と呼ばれていた。 ![]() ■チキウ岬灯台■ チキウ岬は、北海道室蘭市の太平洋に面する岬。 (灯台のそばには、家が建っていて、家族が住んでいた。) ![]() 名前はアイヌ語の「ポロ・チケプ」(親である・断崖)に由来しており、 ![]() それが訛り、転化して一般的に地球岬(ちきゅうみさき)と呼ばれている。 ■ブラタモリ室蘭5■ 鉄と石炭を積みだす港として大いに栄えた室蘭を後にして次へと向かった。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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