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テーマ:北海道旅行(1452)
カテゴリ:国内旅行
![]() ■6月20日(木)■4日目 旅行中に「銀のしずく記念館」というのがあることを知って、急遽行くことにした。 「銀のしずく記念館」は、知里幸恵の生地で6歳まで住んでいた所だ。 いわば、聖地巡礼のひとつになる。 調べていたら、行った人がまとめて記事に出会って、それをここに転記させてもらうことにした。 以下、転記。(略) “「銀の雫 降る降るまわりに 金の雫 降る降るまわりに」詩才を惜しまれながらわずか19歳で世を去った知里幸恵。 このアイヌの一少女が、アイヌ民族のあいだで口伝えに歌い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇をローマ字で音を起し、それに平易で洗練された日本語訳を付して編んだのが本書である。” と書かれていたのだ。(略) この世へと生まれた役割がきちんとあり、そしてその使命を果たしたから、神様に連れていかれてしまったのではないかと疑いたくなるほど、ドラマチックな人生である。 ![]() 知里幸恵銀のしずく記念館は、不思議な銀色の水が流れる川のそばに建てられていた。 入場料は500円。 2階建てのこじんまりとしたささやかな記念館である。 木造で木の香りが芳しく漂っており、心安らぐ思いがする。 知里幸恵さんの19年間の短くも濃厚な人生について、彼女にまつわる貴重な資料やわかりやすい掲示物を見ながら知ることができた。 彼女はアイヌの家系の中で育ちながらも、学校やキリスト教の教会で文字や学問をよく学び、またアイヌの口承叙事詩ユーカラの話し手である伯母の金成マツさんやアイヌ語しか話せないおばあさんモノアシノウクさんと同居した時期もあり、アイヌ語自体やアイヌ語の叙事詩をよく記憶していた。それらが運命のように繋がり合い結びつき、またアイヌの研究者金田一京助との出会いにより、彼女の大きな功績につながったのだという。 ![]() 彼女は日本のアイヌ同化政策により、またアイヌが文字を持たないことにより、消滅しかけていたアイヌ民族の叙事詩ユーカラを、文字に書き留め、日本語にも翻訳し、後世に伝えることに貢献したのだった。 彼女はもともと体が弱かったにも関わらず「アイヌ神謡集 」を完成させるために、慣れた北海道の大地からアイヌの研究者金田一京助のいる東京へと移り住み、それを完成させた後に、心臓の僧帽弁の病気により、19歳の若さでこの世を去ったのである。 まさに宿命的で、伝説的な一生だ。(ここまで転記) 「もう少し余白を残して書いてください」と言われたという、ノートがあった。 勉強のよくできた知里幸恵は、上の学校に行く。 友だちは、誰一人できなかったとハガキに書いていた。 また、同じ学校に人に 「この学校で成績が4番の人は、「土人」だ」と言われたとも・・・。 土人ということばが平然と使われていた時代。 ![]() 「「銀のしずく記念館」の周りは、なるべく知里幸恵の生まれた当時のままにしています、と館長さん。 記念館の裏には、親戚の人が住んだ家が・・・。 知里幸恵もアイヌも、なんだか物語の中の人のように思っていたが、知里という表札が上がっていて、やっぱりここにルーツがあったのだ・・・と思った。![]() 館長さんが「登別=濁った川」の地名の元になった川が近くに流れていると言うので行ってみた。 周りは、木や草で覆われていて流れは見えなかったが、河原の石が見えた。 ![]() にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.07.25 10:35:05
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