テーマ:北海道旅行(1122)
カテゴリ:国内旅行
■6月24日(月)■8日目 この日は、 函館→松前→江差→八雲温泉泊のコース。 ガイドさんに松前城を案内してもらった後、江差へ。 ■松前■を見てから、江差に3時頃に着いた。 江差といえば「江差追分」。 「江差追分」を聞いてから、ガイドスタートというわけで、3時に始まった江差追分のショーを見た。 アイヌ語のエサシから来ている。 エ(顔)、サ(前)、アシ(立てる)つまり岬で津花岬を指す。 北海道の文化は江差を足がかりにして、奥地に及んだ。 ■北海道文化発祥の地と呼ばれている江差町に■和人が住み始めたのは、歴史上では 1189 年、源義経が衣川で自刃した後に藤原泰衡の一族がこの地に上陸(渡党)したのが最初だと言われています。 江戸時代には、日本海航路の北前船によるヒノキアスナロ(ヒバ)、ニシンの交易により人口も三万人を超え、いわゆる「江差の五月は江戸にもない」と謳われる程、商業の町、文化の町として発展・繁栄を極めました。 民謡の王様と言われる「江差追分」をはじめとする伝統芸能や生活文化など有形・無形の遺産が数多く伝承・保存されている他、江差沖で座礁沈没した江戸幕府の軍艦「開陽丸」が復元され、幕末のロマンを漂わせております。 追分節は北前船によって江差に運ばれ、越後の「謙良(ケンリョウ)節」と信濃の追分とを加えて独特の音調を持つ「江差追分」が誕生したと言われています。 毎年 9 月第 3 金土日には、全国で予選を勝ち抜いてきた追分の唄い手たちが江差に集まり、日本一を競い合う「江差追分全国大会」が開催されます。 1963 年に第1回が開催されて以来、今日まで脈々と続く、民謡の全国大会としては最も歴史ある大会です。 「江差追分」には、前唄、本唄、後唄の三つがある。 江差追分の真価は本唄にあるのであって、前唄は軽い気持ちで浮き浮きと、本唄の声ならし程度で、後唄は本唄のはりつめた気分を、やわらかに余韻を唄う楽しむといった風に唄うのがよい。 (▲「江差追分」の碑) ■-前 唄-■ 大島小島の間通る船は ヤンサノェー 江差がよいかなつかしや 北山おろしで行先くもるネ おもかじ頼むよ船頭さん -本 唄- かもめの なく音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の 山かいな -後 唄- 沖でかもめの なく声聞けばネ~ 船乗り稼業は やめられぬ ■天才三橋美智也 10歳の時の「江差追分」■ (▲6/20のカモメ) また、亡くなった人には、次の唄でおくる。 泣いたとて どうせ行く人やれなばならぬ せめて波風おだやかに 舞台では、ソーラン節も披露された。 ソーラン節は、一連のニシン漁の際に唄われた「鰊場作業唄」の一節、「沖揚げ音頭」が分化し、独自に変化したものである。 「ソーラン ソーラン」の囃し言葉にちなんで「ソーラン節」と呼ばれるようになった。 ヤーレンソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ 男度胸は五尺の体 ドンと乗り出せ波の上チョイ ヤサエンエンヤァサーァのドッコイショ ハードッコイショドッコイショ 1961年のこまどり姉妹のヒット曲に「ソーラン渡り鳥」というのがある。 ■ソーラン渡り鳥■ 津軽の海を越えてきた ねぐら持たない みなしご燕 江差恋しや鰊(にしん)場恋し 三味を弾く手に思いを込めて ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン 歌うソーラン ああ渡り鳥 なぜ、北海道の田舎町・江差には、こんなに有名な歌が多いのかと考えてみた。 かつて、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほどニシンで栄えた江差・・・。 その隆盛が、「江差追分」、「ソーラン節」になった。 そして、「今じゃさびれて」という感じが哀愁を感じ「ソーラン渡り鳥」になったのではないだろうか。 ■北海道旅行のキーワード■ 「アイヌ」、「開拓」、「屯田兵」、「地名」、「地形」、 「ブラタモリ」、「石炭」、「鰊(ニシン)」、「鉄道」、「寒い」、 「今じゃさびれて」・・・。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.10 00:02:12
コメント(0) | コメントを書く
[国内旅行] カテゴリの最新記事
|
|