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カテゴリ:国内旅行
■10月9日(水)
「風の盆」で有名な、越中・八尾(やつお)に行って、ガイドさんの案内で街並みを見てきた。 ガイドさんは、「風の盆」に魅せられて他の町から引っ越してきた人。 唄を練習中だという。 ♪八尾大坂小坂の街よ 糸の出る街 オワラ 唄の街 八つの山の尾根に開かれた町という由来を持つ「富山市八尾町(やつおまち)」。 坂の町とも呼ばれ、飛騨の山々へと通じる街道沿いの閑かな町だ。 ここで9月1日から3日3晩、唄と踊りに酔いしれる民謡行事「おわら風の盆」がある。 「おわら風の盆」が開催される9月1日から3日は、二百十日といわれる風の厄日で雨が降りやすい。 台風も多い時期であり、行事そのものに風神鎮魂の意が込められている。 起源は元禄15(1702)年にさかのぼるが、300年以上も前の踊りや唄がそのまま今に引き継がれているわけではない。 八尾の人々の思いが、親から子へと延々と受け継がれ形を変えてきた。 大正期から昭和初期におわらが大きく変化を迎えます。 大正ロマンと呼ばれるほど文化に自由な気風が溢れた時代、大正9年に誕生した「おわら研究会」も影響を受け、おわらの改良(唄や踊り)を行いました。 気品にあふれた優美な「おわら踊り」と、情緒的で哀愁漂う唄と音色の「おわら節」として、洗練されながら現在に至っている。大正期から昭和初期におわらが大きく変化を迎えます。 大正ロマンと呼ばれるほど文化に自由な気風が溢れた時代、大正9年に誕生した「おわら研究会」も影響を受け、おわらの改良(唄や踊り)を行いました。 また、昭和4年に結成された「越中八尾民謡おわら保存会」初代会長の川崎順二の文化サロンを中心とした働きで、各界の文人が次々と八尾に来訪しました。 おわらに一流の文化意識を吹き込んだ文化人には、宗匠・高浜虚子、作家・長谷川伸もいたと言われています。 野口雨情 ♪わたしゃ野山の 兎じゃないが月夜月夜に オワラ 逢いに来る ♪軒先雀が また来てのぞく けふも糸引きゃ オワラ 手につかぬ ♪おたや地蔵さん この坂下は 今宵なつかし オワラ 月あかり その時代に生きた文芸人らの想いは今、歌碑となって町内のあちらこちらで息づいています。 散歩がてら町の「おわら名歌碑」めぐりをして廻るのもおわらの楽しみの一つです。 魅力は、地方(じかた)と呼ばれる囃子方と踊り手が作り出す世界観。 11の支部にそれぞれ特徴があり、衣装や踊りを極めている。 地方の扱う楽器も衣装も大切に扱われ継承されてきた高価な物。 そのため、少しの雨でも行事は中断される。 編笠を深く被るスタイルは、照れ隠しが目的の手ぬぐいから始まった。 ♪笠の紅緒を横ちょで結ぶ 娘ざかりで オワラ 桑ざかり 狭い視界から僅かに見える手先に意識を集中することとなり、腰で踊るという艶かしさに自然でしなやかな美しい身振りが加わり、幻想的な舞姿が出来上がった。 また、女性は、そろいの浴衣に黒い帯。 この黒い帯は、葬式用にとどの家にもあって揃いやすいためという。 女性の踊り手は、未婚の26歳までという不文律があるという。 八尾の町で見た、「酔芙蓉(すいふよう)」。 咲き始めは白い花 ほんのりと赤みがさし 赤い花に・・・。 「風の盆恋歌」に出てくる花で、はかなさが「おわら」に通じるとあちこちで見た。 市の花は椿。 今は、がらんとした町。 この通りも、「風の盆」の季節には、観光客でごった返す。 家の色と高さを揃え、石畳の道にした八尾の町は美しい。 ▲「日本の道100選」に選ばれている。 ▲この家は、「風の盆」を見るためだけに建てた家。 2階に部屋があるが、通りに面している部屋だけだ。 ここには、雰囲気が違う建物があった。 町の雰囲気を守るために、このような塀を作って、前にベンチをおき、見物客用にした。 ♪野麦峠をおわらが越える ないておわらが オワラ 諏訪へ行く ♪行くも帰りもおわらで越えた 野麦恋しや オワラ 峠道 その昔、この辺りからも、野麦峠を超えて、紡績工場へ働きにいったそうだ。 「製糸場」という字が見える。 八尾の後、次の町へ。 10月7日(月)■3泊4日北陸旅行:福井:消えた戦国都市・一乗谷■ 10月8日(火)■3泊4日北陸旅行:日本のベニス:射水市■ ■3泊4日北陸旅行:富山市・岩瀬地区■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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風の盆は有名ですね。
過熱せずほどほどに長く残しておいてほしい文化です。 (2019.11.04 09:34:07)
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