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おしゃれ手紙

2020.11.24
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カテゴリ:八百八橋散歩
●「島の内」
戦前、それも明治大正の島の内は芸人や役者、水商売の人やお妾さんなどが住む、しっとりと粋な町であった。
船場の南、東西を東横堀川・西横堀川に、南北を長堀川・道頓堀川にかこまれ、風雅で瀟洒な家並みが並ぶ。
(略)
美しい日本髪の女が白い衿足をみせ、派手な浴衣に単衣帯でよく磨かれた金盥(かなだらい)を持って、近所のお風呂屋へ出かけたりしている。
(略)静かでいて花やかで色めいた町。
「浪華の古風を長く残してきた街」(略)
こんな街の、狭いながらに粋な南北居、
「町内に鴈治郎はんがすんではる」というような玉屋町の南北居に若者たちは魅了されて、つどうのであった。
「こんな家の住みたいなぁ」と思ったのは水府だけでななかった。
●*南北(食満南北)*が遊んだ小坊ンさんの頃は、芸妓の「朝迎い」に駕籠が来たと。

大阪の古い地唄に、次のようなものがある。

♪恋の重荷の島の内、
送り迎いにかく駕籠の、
誰であろうと棒鼻に、
くくりつけたる提灯の、
日柄の約束して来たな、
高いも低いも色の道、
立てる立てんの息杖も、
つきぬ楽しみエイサッサ、
さっと押せ押せ夢の通い路・・・


道頓堀の雨に別れて以来なり(上):田辺聖子
*食満 南北(けま なんぼく、1880年(明治13年)7月31日 - 1957年(昭和32年)5月14日)は、*

明治から昭和に活躍した歌舞伎作者、作家。
本名は食満 貞二(けま ていじ)。

大阪府堺市の裕福な酒造家の生まれ。
幼少のころから芝居や落語など芸道に通じ、上京後、早稲田大学に入学し坪内逍遥に師事。
また村上浪六に弟子入りしたり、さまざまな職を経て、明治38年 (1905) 4月、田村成義の紹介で歌舞伎座の福地桜痴の門人となり本名のまま見習い作者となる。

翌年4月に関係者と揉めて帰阪し、三代目片岡我當に招かれて松嶋屋の座付き作者となる。
 明治42年 (1909) からは初代中村鴈治郎の一座に加わり松竹に所属。
鴈治郎の座付き作者として多くの戯曲や随筆を書く傍ら『演劇画報』などの演劇関係の雑誌に関西歌舞伎関係の記事や批評を載せ、戦後に至るまで関西劇壇の重鎮として活躍した。
また大正期には六代目鶴屋南北を名乗っていた。


道頓堀・相合橋の食満南北の川柳の碑
岸本水府と露の五郎の川柳

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Last updated  2020.12.07 00:02:14
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