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2021.01.16
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テーマ:国内旅行(1068)
カテゴリ:国内旅行

■2020.11.25(水)

「宇野千代生家」 は明治期の建物で、1974年 (昭和49年) には宇野千代本人により、ほぼ昔のままに修復されました。

約300坪の敷地内の広い庭には千代の好んだモミジが多数植えられ、
新緑や紅葉は格別の美しさです。

また小説「薄墨の桜」のモデルになった、岐阜県根尾村(現、本巣市)の樹齢1500年の老樹「薄墨桜」に由来する「薄墨桜」3本が春を彩ります。

2007年 (平成19年) には国の登録有形文化財に指定され、現在、NPO法人「宇野千代生家」により一般公開されています。

生家の前の道路は旧街道 (山陽道) で、狭くカーブが多い道です。


宇野千代がなんで有名かというと、何度も結婚離婚を繰り返したこと、しかも有名人と、ではないだろうか?
尾崎士郎
1926年(大正15年) - 尾崎士郎と正式に結婚。
千代と尾崎士郎は、大森新井宿の下宿屋など大森近郊を転々としたあと、東京府荏原郡馬込町1578番地に居を構えた。
大正12年5月のことである。
馬込での最初の家は、百姓家の不要になった納屋。
二、三年経って、隣地の丘に10坪ほどの赤い洋館を建てた。

尾崎を慕って集まる客は多く、文学談義にふけりつつ酒が入ると唄になる。
千代はそれを聞きながら嫌な顔ひとつ見せずに酒食のもてなしに励んだのである。
吉屋信子が洋館を見て、金ピカのベッドを千代に贈ったという。
梶井基次郎
1928年(昭和3年) - 梶井基次郎との関係が噂となり尾崎と別居。
宇野千代は「報知新聞」に、昭和4年12月21日から翌5年5月22日まで150回にわたって、足立源一郎の挿画で新聞小説『罌粟はなぜ紅い』を連載した。
千代は尾崎士郎との別居生活の中、昭和4年10月から12月にかけて、妹の勝子とともに神戸にいたのだが、大阪住まいの梶井基次郎とはその折に何度か会っている。
小説の題名は、千代から相談を受けた梶井がつけたのだという。
小説中にガス中毒の場面がある。
東郷青児
1930年(昭和5年) - 東郷青児と知り合い同棲、尾崎と正式に離婚。
千代はその写実をより深めようと、当時情死未遂事件で騒がれた東郷青児の許を訪れるのだが、そのまま同棲することになった。
昭和5年のことであり、二人はその翌年、東京世田谷の借地に「コルビジェ風」の洋館を建てて新しい生活を始めたのである。
昭和6年5月、千代の短編を集め、青児が装幀し挿絵を描いた豪華限定本『大人の絵本』が白水社から刊行された。■東郷青児ゆかりの「喫茶ソワレ」
北原武夫
宇野千代と北原武夫は昭和14年4月1日、画家の藤田嗣治と作家の吉屋信子の媒酌で結婚し、帝国ホテルで盛大な披露宴を催した。
このとき千代42歳、北原32歳であった。
招待状を受け取った人の中には「エイプリル・フールじゃないのか」「どうせ直ぐ別れるよ」などと言うものもおり、騒がしかった。


▲原稿を書いたといわれる机。■NHK美の壺にも出たという。

▲「ソロバン橋ひいふうみい」とあるのが、ソロバン橋とは錦帯橋のこと。
錦帯橋を作り替えた時、橋に使用していた材を市民に販売した。
▼の腰掛もその時の材を利用したもの。


紅葉の美しい広い庭は、京都を旅行した際に感銘を受けた庭を参考に作ったという。

庭の中には、仏の像もある。

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Last updated  2021.01.16 00:02:42
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