おしゃれ手紙

2021/01/23(土)00:17

山口市:大内氏の栄華の跡

国内旅行(531)

■2020.11.26(木) ■下松市・笠戸島■から山口市にやってきた。 五重塔などがある香山公園の前のインフォメーションセンターでガイドさんと待ち合わせして公園の中を案内してもらった。 山口市は山口県のほぼ中央に位置し、豊かな自然や歴史が共存する文化都市です。 室町時代に大内弘世がここ山口市を大内氏の本拠としたことで発展し、 その後の大内義興・義隆の頃には西国一の大名として栄華を極めました。 また幕末には萩市から山口市に藩庁が移され、明治維新の中心的役割を果たします。 維新の志士や文化人も入浴した「湯田温泉」。 穏やかな瀬戸内海、癒しの森。 山口市には歴史遺産や自然が数多く残り、観光都市としての発展も期待されています。 ■国宝 瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔■ 全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。 ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。 ▲「雪吊り」は積雪で木の枝が折れるのを守るための対策。▼ ■枕流亭(ちんりゅうてい)■ 香山公園内にあります。 幕末薩長連合を推進するために、慶応3年(1867)9月薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷隆盛らが続々と山口にやってきました。 当時道場門前にあった安部半助方の枕流亭の2階で会見し、盟約がなって、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓いました。 枕流亭は、その後2、3度移築され、近年修理されてこの地に移されました。   「沈流」とは、「漱石沈流」のうちの半分の言葉。 ■夏目漱石■ 漱石の名は、唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流」(石に漱〔くちすす〕ぎ流れに枕す)から取ったもので、負け惜しみの強いこと、変わり者の例えである。 「漱石」は子規の数多いペンネームのうちの一つであったが、後に漱石は子規からこれを譲り受けている。 ▲グレイヘアが素敵な人(左)発見!!! ●香山墓地(毛利家墓所) 幕末の藩主、毛利本家の歴代諸霊のお墓があります。 (15代毛利元昭・夫人美佐子/13代毛利敬親・夫人妙子/14代毛利元徳・夫人安子) ●鴬張りの石畳 通路に立ち石段に向かって手を叩くとあら不思議、美しい音が反響します。 ●雪舟像 水墨画家、雪舟の銅像があります。 雪舟は明において禅学・画技を収めて帰国後、応仁の乱で荒廃した京都を避け、大内氏の庇護のもと、山口天花にある「雲谷庵」を拠点に過ごしました。 この香山公園から車で少し行ったところに、■雪舟と重森三玲の庭■を見ることができる寺がある。 ■常栄寺 雪舟庭■ 庭園は、今から約500年前、妙喜寺の時代に、大内政弘が別荘として、画僧雪舟に築庭させたものと伝えられ、現在国の史跡及び名勝に指定されています。 庭園は本堂の北面にあり、内庭は約30アールの広さで、東、西、北の三方が山林となっています。 近年この山林も指定地域に含まれました。 本堂南側には重森三玲(しげもりみれい)による枯山水庭園が作られている。 本堂南側には、昭和43年に重森三玲(72歳)によって作庭された「南溟庭(なんめいてい)」がある。 雪舟より良い庭園を造られては困るというころで、「上手に下手な庭を造ってもらいたい」と依頼された。 庭園は雪舟が中国へ往復した海をイメージしたとされ、石はX字状に配置し有機的に線で結ばれる。 (▲雪舟筆塚など) 室町時代の作庭家・雪舟と、昭和の作庭家・重森三玲の両庭園を一度に観賞できる夢のような日本庭園。 ●88Km  ●7476歩 ■山口県のおすすめスポット■ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    

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