2021/12/04(土)14:17
11/7-2:富士紀行:ガイドさんと歩く伊豆の小京都「修善寺」
■11月7日(日)後半
■静岡県伊豆市の修善寺地区は夏目漱石、井伏鱒二などの文豪が滞在した温泉街。■
踊り子たちは、この土地から天城トンネルを越え、下田へと向かった。
修善寺川は桂川の通称で知られ、川沿いには温泉や旅館が並んでいます。
和風の町並みは伊豆の小京都と呼ぶに相応しい趣ですが、歴史に関しても京都級。
1194年には源頼朝の弟・範頼が自刃に追い込まれ、1204年には頼朝の子・頼家が暗殺されています。
また、修善寺に点在する桂谷八十八ヶ所巡礼の札所(石碑)には四国霊場の土が埋まっており、巡ることで功徳を得られます。
地域の顔である修禅寺にも必ず立ち寄りましょう。
■修禅寺■
地名の由来にもなっている古刹「福地山修禅萬安禅寺」
▲境内▼
修善寺〇(しゅぜんじ)✖しゅうぜんじ
お寺は、修禅寺(しゅぜんじ)
町の名前は修善寺(しゅぜんじ)
■「独鈷の湯(とっこのゆ)」■
伊豆最古・修善寺温泉の発祥とされているのが「独鈷の湯(とっこのゆ)」です。
807年、弘法大師が桂川で病身の父の身体を清める少年の姿に感じ入り、独鈷杵で岩を突いて温泉を噴出させたと伝わっています。
のちに病気の父は温泉の力で元気を取り戻し、地域に湯治の文化が根付いたそうです。
現在の「独鈷の湯」は桂川中州の岩盤上に設置された東屋の内側で慎ましく湧いています。
残念ながら入浴禁止ですが、近づいての見学は可能です。
■指月殿(しげつでん)■
は、修禅寺の川向かいにある経堂です。
非業の死を遂げた源頼家の鎮魂のために北条政子が建立し、修禅寺に寄進したとされ、境内には頼家の墓に加えて、頼家の忠臣たちが眠る十三士の墓が設置されています。
堂内には丈六釈迦如来坐像が鎮座しています。
これは高さ203cmの木像で、通常は徒手とされる釈迦如来でありながら、右手に蓮の蕾を握っているのが特徴。
鎌倉時代の作品で、静岡県の文化財に指定されています。
また、政子が寄進した「刺繍釈迦三尊仏」や「宋版一切経」の一部が修禅寺の「瑞宝蔵」に収められています。
■桂橋■
桂橋は虎渓橋と同じく桂川に掛けられた朱塗りの橋です。
桂川を挟んで北側には河原湯という無料の足湯が存在し、寛ぎながら修善寺温泉の象徴・独鈷の湯を望むことができます。
南側には竹林の小径があります。
これは楓橋の辺りまで続く遊歩道で、両側にある孟宗竹(もうそうちく)の林は京都嵐山さながらの美しさです。
■日枝神社は■
修禅寺の隣に佇む神社です。
弘法大師が創建した山王社で、祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。
修禅寺の鬼門を守っていましたが、明治期の神仏分離により独立しました。
☝古い医院。
■漱石 修善寺の大患■
夏目漱石は、明治43年(1910)6月、胃潰瘍で長与胃腸病院に入院し7月末に退院、転地療養のため8月6日、伊豆・修善寺の菊屋旅館にやってきた。
着いた翌日から体調すぐれず、翌々日からは胃痙攣にしばしば襲われ、「膏汗が顔から背中に出る」(日記・八月十二日)ほど。
やがて吐血も加わり、24日には800グラムの大量吐血、人事不省の危篤状態に陥った。
いわゆる「修善寺の大患」である。
天城湯ヶ島泊。
今日も富士見えず。
●12070歩
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