2023/01/13(金)00:08
藪医(やぶい)ふらここ堂:朝井まかて
■藪医(やぶい)ふらここ堂■
天野三哲は「面倒臭ぇ」が口癖の江戸の小児医。
朝寝坊する、患者を選り好みする、面倒になると患者を置いて逃げ出しちまう出鱈目っぷりで、近所でも有名な藪医者だ。
ところが、ひょんなことから患者が押し寄せてくるようになり、三哲の娘・おゆん、押しかけ弟子の次郎助、凄腕産婆のお亀婆さんなど、周囲の面々を巻き込んで、ふらここ堂の先行きは、いかなることに──。
人情と笑いたっぷりに描く、お江戸“子育て”小説誕生!
●読書メモ● ◎は私のコメント
●乳(ち)つけ親は仮親ともいい、赤子にとって最初の乳を母親以外の女に頼んで仮の親子関係を結ぶ風習だ。
町人の大抵は近所で仮親になり合い、互いに子供を見守り合う。
●「(子供が産まれたら)お膳を用意して近所の者を招いたり、祝い餅を搗いて配るのも手数がかかるけどさ。
それは子供ににこの世の縁をつけて、土地に根づかせてやるためさ。
神様に呼び戻されないようにね。」
●若者組は三河町の若い衆(し)が寄り合う集まりで、祭ともなれば町の顔役を助けて力仕事を引き受けたり、町内の草引きや溝浚(どぶさら)いもする。
年長の者は年若へ、町内での振舞い方や酒の呑(の)み方、娘とのつきあい方まで伝授し、
組の中での出来事は親にも口外無用とされているらしい。
●(略)四月一日は枇杷の初物売りの解禁日なのである。
◎旧暦の4月1日は、今の5月10日くらいか?
●四月一日、江戸の者は着物を、一斉に綿入れから袷(あわせ)へと替える。
そのけじめのつけかたは見事なほどで、裏長屋のどんな貧しい者も質屋へ走り、着ていた綿入れと引き換えに質草の袷を請け出すのだ。
◎「四月一日」と書いて「わたぬき」と読む名前がある。
●「ちちんぷいぷい、知仁武勇(ちじんぶゆう)は御代(ごよ)の御宝(おんたから)」
(略)
「ああ。知仁武勇(ちじんぶゆう)は御代(ごよ)の御宝(おんたから)、 これが訛ってちちんぷいぷいになったのさ」
(略)春日の局って乳母(めのと)がこの文言をよく唱えたんだってさ。
●江戸の子供たちのほとんどは六歳の、二月の初午(はつうま)の日に、手習いに入門する。
それは男女共で、おゆんも同様であった。
初めて塾に行く日は僧侶のように「初登山(しょとざん)」といい、
子供は麻裃、男親は羽織をつけて向かうのである。
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