2023/09/13(水)00:29
長堀川跡を歩く:(3)長堀橋・公儀橋
★長堀橋 - 堺筋
1625年(寛永2年)に長堀川が開削された時に架けられた。
堺筋は紀州街道の一部区間にあたり、重要な街道筋の橋として大坂では数少ない公儀橋に指定された。
『心斎橋 史陽選集』 牧村史陽著 史陽選集刊行会 1964.11【328/335/#】
p.13-14 「長堀川でどの橋が一ばん先にかけられたかはわからないが、おそらく長堀橋が最初であろう。
元禄十四年(1701)の『摂陽群談』には
「高欄・擬宝珠ありて渉り広し、南は紀州街道長町、北は大阪堺筋なり」と書かれているように、大坂と和歌山をつなぐ重要路線にあたり、市内十二の公儀橋の一つとして、幕府の直属となっていた。
●紀州・徳川家が参勤交代にこの橋を使うため、公儀橋にしたという説を聞いた。
元禄期の橋の規模は橋長18間6寸(35.6m)幅員3間(5.9m)。
三津寺町文書に1654年(承応3年)の架け替え時の人足賃について触れられており、この頃に最初の架け替えが行われたものと推測される。
江戸時代後期の幕府公式資料では橋台の背後地を含めた橋長21間6寸(43.2m)となっていた。
1877年(明治10年)に最初の鉄橋に架け替えられ、橋長35.3m、幅員7.8mだった。
1912年(明治45年)に大阪市電堺筋線敷設工事に伴い本格的な近代橋となり、有効幅員21.6mの3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋となった。
その後、1960年(昭和35年)から長堀川の埋め立てが始まり、1963年(昭和38年)に橋は撤去・廃止された。
(▲水色の横のラインが長堀川のあったところ)
長堀川(ながほりがわ)は、かつて大阪府大阪市にあった運河。
長堀川は江戸時代初期の元和8年に完成したと伝えられている。
東横堀川の末吉橋下流より分流し、西に向かって流れて木津川の伯楽橋下流に注いでいた。
長堀川は、船場と島之内の境界をなしていた。
上流から(右=東)から
↑地下鉄・長堀橋駅
(埋め立てられたおもな堀川)
1.天満堀川 2.長堀川 3.高津入堀川 4.難波新川
5.西横堀川 6.江戸堀川 7.京町堀川 8.海部堀川
9.阿波(座)堀川 10.立売堀川 11.薩摩堀川 12.堀江川
13.いたち川 14.十三間川 15.曽根崎川
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★■■安綿橋 - 交差点名は「末吉橋西詰」
(長堀川可動堰)
★■板屋橋■ - 交差点名は「長堀橋東」
★長堀橋 - 堺筋
●藤中橋
●中橋
●三休橋 - 三休橋筋
●心斎橋 - 心斎橋筋
●新橋 - 御堂筋
●佐野屋橋
●炭屋橋
(以降、通称西長堀川)
●吉野屋橋
●西長堀橋 - 四つ橋筋。交差点名は「四ツ橋」
●宇和島橋
●西大橋 - なにわ筋
●富田屋橋
●問屋橋
●白髪橋 - あみだ池筋
●新鰹座橋 - 新なにわ筋。交差点名は「鰹座橋」
●鰹座橋
●玉造橋
●洲崎橋
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