2023/12/22(金)15:19
11/20:瀬戸内海周遊:岡山県:高梁市/大阪へ
■2023.11.20(月)(最終日)
高梁市(たかはしし)は、岡山県の中西部に位置する市。
広島県と境を接する。
中心部は備中松山藩の城下町であり、山城の松山城(備中松山城)で知られる。
朝に霧が発生しやすく、特に秋から冬のよく晴れた風の弱い日には高い場所で雲海を見られることが多い。
松山城から離れた場所にある▲雲海展望台からは、条件次第で雲海に浮かぶ松山城を望むことができ、その姿は天空の城と称される。
そのため、6時10分にホテルを出た。
沢山の人が雲海を見に来ていた。
7時半ごろホテルに帰って朝食。
駐車場からマイクロバスでふいご峠に。
ここでガイドさんと待ち合わせ。
約20分山道を登る。
巨大な岩の岩の上に作られた石垣。
その上にたつお城。
上に上にと登って行くと
ひらけた場所があって猫が!!
この猫、「さんじゅうろう」と名付けられ大切に育てられている。
まちのマンホールにもさんじゅうろうの絵が!!
明治、大正、昭和と時は流れ、備中松山城の櫓(やぐら)は損壊し、荒廃していました。
昭和14(1939)年に「昭和の大改修」によって天守の解体修理と土塀の補修が行われました。
その際、地元の小学生や中学生、女学生などが約2万枚もの瓦を山頂まで担いで上がったというエピソードをガイドさんが話してくれた。
昼からは、同じガイドさんに、町中を案内してもらった。
この辺りの地名はこれまで高橋であったが、
高橋宗康が自分の姓を呼ばせるのを嫌ったためか、松山に改めている。
また幕末から明治になる時、
同じ名の伊予松山藩が早い段階で恭順したため、
新政府は敵対した側の備中松山藩に藩名の変更を要請。
高梁川の名から取った高梁藩に改名したことが、現在の高梁市の由来となっている。
高橋→松山→高梁
高梁川の水運を利用した高瀬舟による輸送が江戸時代から行われ、
近代に国鉄伯備線を利用した輸送へ転換されるまで継続された。
これらのことから、交通の要衝となり栄えた。
高梁基督(キリスト)教会堂は明治22年の建築。
現存する県下最古の教会で、県の史跡に指定されています。
明治12年に始まった高梁でのキリスト教布教活動は、
翌13年に新島襄(にいじまじょう)が来高すると急速に発展し、
信者の浄財によって教会が建築されました。
▲矢掛でもそうだったが、この辺りも細い路地を「小路(しょうじ)」という。▼
▲「男はつらいよ」の山田洋次監督がこの家を気に入り、ロケ地に2回なっている。▼
▲小堀遠州の庭園。
1600年、関ヶ原の戦い以後、備中松山は、幕府の直轄地になり、
国奉行の父親と一緒に小堀遠州がこの地に入った。
▲平時に藩主が滞在し城跡。
岡山県立高橋高校が城跡にある。
▲近くに可愛らしい洋館が!!
この日は、岡山県の東の端にある藩校、閑谷学校に寄る予定だったが、14時を過ぎていて、無理と判断。
一路、家に向かった。
途中、ナビに問題ありで、家に着いたのは夜8時を過ぎていた。
岡山県、兵庫県、大阪府と越えてやっと長い一日が終わった。
●7泊8日の旅の間、大浴場のないホテルが4日あったことは、特筆すべきだ。
●11940歩
瀬戸内海周遊、2023.11.13(月)~20日(月)
ドライブ・マイ・カーの総距離は913Km。
●11月13日(月)~14日(火)
■オレンジフェリーで四国・愛媛県・「東洋のマチュピチュ」別子銅山。■
●11月15日-1(水)
■愛媛県:築城の名手・藤堂高虎の今治城■
●11月15日-2(水)
■愛知県:大三島・大山祇(おおやまづみ)神社■
●11月15日-3(水)
■広島県:重伝建・竹原の町なみ■
●11月16日(木)
■広島県:重伝建・御手洗/下蒲刈島■
●11月17日-1(金)
■広島県:軍都・呉:入船山公園■
●11月17日-2(金)
■広島県:軍都・呉:海から見た■
●11月18日(土)
■広島県・安芸の宮島■
●11月19日-1(日)
■岡山県・宿場町矢掛(やかげ)■
11月19日-2(日)
■岡山県:吹屋■
●11月20日(月)
■岡山県・高梁市■
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