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2024.02.16
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テーマ:読書備忘録(1398)
カテゴリ:読書

「因幡の白兎」の神話で知られる白兎海岸や万葉歌人・大伴家持のゆかりの地など、古代文化が息づく鳥取地方を歩く「因幡、伯耆のみち」。

因幡・伯耆のみち(安住先生の穴/源流の村/家持の歌/鳥取のこころ ほか)

●メモ●
●共同作業のことを、村のひとは「ソウゴト」と、よんでいる。
室町の乱で、村落が自衛しはじめたとき、その自治組織のことを「惣(そう)」といった。
そうごとは「惣」の事ということで、古語が生きている。

●日本古来の瓦は水が沁みやすく、寒冷地でつかうと、内部に入った水が凍って瓦を割ってしまうため、石見瓦を用いざるをえない。
■鳥取砂丘■
 ●ヨコ16キロ、タテ2キロにもおよぶこの砂丘は、敗戦まで、鳥取歩兵第四十連隊の演習場としてつかわれ、歩々(ほほ)靴を没する砂地は、兵隊さん泣かせといわれた。
「馬の背」とよばれる高さ48メートルの台地からの展望はすばらしい。

*明治9年生まれの祖父も、鳥取砂丘で演習をしたという。
帰りは吉井川を高瀬舟に乗って岡山県の実家に帰ったそうだ。

●(千刃・せんば、は)元禄時代(1688~1704)に発明され、伯耆の倉吉において製造された。

(略)(回転式脱穀機)これは大正時代に出現する(略)

*明治45年生まれの父は、
「回転式の脱穀機を貸す商売があった」と言っていた。
●当時、織田信長は四方に功伐軍を出している。
丹波の平定には明智日向野守(ひゅうがのかみ)光秀、播州には羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)秀吉というぐあいだった。
ついでながら、信長の最終目的は九州にあり、光秀、秀吉の官称にまでその配慮があらわれていることに注目したい。
光秀には日向(宮崎県)守、秀吉には筑前(福岡県)守を名乗らせている。
将来の九州入りのときに、この二人を総司令官にし、その官称によって地元の者たちに親しみをもたせるためだったようである。

(略)
日向守も筑前守も、それぞれ私称ではない。
信長が天正三年(1575)、執奏して正式にもらったものである。

●いまの日本語のハヒフヘホはH音だが、奈良朝のころはF音であり、それ以前はP音であったことは定説になっている。

*伯耆の国の国名は、「ホウキ」というがかつては「ハハキ」(箒)であったと思う(筆者)。
もっと以前、古代人は「パパキ」とよんでいたであろう。

*樺太の白浦地方では樹皮をオピウ(opiw)とも呼び、「オヒョウ」の名称はこれに由来す。
オヒョウ■2019.7.8

魚●漁師は殺生をするため極楽へは行けないという恐怖が当時あって、極楽ゆきを保証してくれる時宗(じしゅう・教祖は一遍・いっぺん)に入信するものが多かった。

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Last updated  2024.02.16 01:34:42
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