テーマ:国内旅行について(2635)
カテゴリ:国内旅行
■2024.10.18(金)-2 そうだ、東北いこう!! ■前回■青森県、秋田県、岩手県に行ったから、 今回は、山形県、宮城県、福島県に行って見よう! 新潟も行ったことがない(佐渡島はあり)から、新潟県から旅を始めよう。 というわけで、大阪から新潟市に空路でやってきた(約1時間)。 新潟空港近くでレンタカーを借りて、ここからドライブによる旅の始まり。 今回は、19泊20日の長期旅なので、体がもつかと心配する高齢者夫婦だった。 ■2024.10.18(金)-2 10月16日(水)、新潟県から始まった旅は、この日、山形県に入った。 新潟から山形の道は、日本海沿いで海風を防ぐ装置が続いていた。 まず向かったのは、鼠ヶ関(ねずがせき)だが場所がはっきりしない。 探しながらあちこち回った。 ▲弁天島にある厳島(いつくしま)神社。 鼠ヶ関(ねずがせき)は、山形県鶴岡市の大字である。 古代の関所。 現在の山形県鶴岡(つるおか)市鼠ヶ関(ねずがせき)にある。 白河・勿来(なこそ)の両関とともに蝦夷(えぞ)対策の一環として設けられた奥羽三関の一つ。 ▲弁天島の先端にある灯台。 「弁天島の東方山麓の小部落を関と呼び、その付近に古代集落があったらしいことが伝えられている。 この関は北陸と出羽口を位置にあり、古代東北の開拓時代蝦夷を防ぐ城柵的性質を帯びていたものと考えられている」 北の侵入を防ぎ南の逃亡を防ぐために南が置いたもの。 鼠ヶ関は荘内地方の名前と考えてはいけない。 これは南が北に向かって付けた名前。 ねずみの関は子の関で子は北の方向。 越国の最北端に置かれたのが子の関であり、それがねずみのせき鼠ヶ関のであろう」 「鼠ヶ関の存在は平安中期から末期ないし鎌倉までの10世紀から11世紀 平安中後期の南を検問し防備する関門と考えられる。」 と記し、この関を義経が通ったことを暗に示すとともに、7世紀中葉の蝦夷防御の「関」ではないことを示した。 ちなみに万葉仮名の読みは「念」=ね・「珠・種」=す・ず。 であるから、「念珠」は「ねず」、念種「ねず」と読む。 ▲念珠の松▼ 「念珠関」の表記は1889年(明治22年)から1954年(昭和29年)まで存在した自治体「念珠関村」にも使われていた。 ▲念珠庭園の入り口のアケビ。 美味しそう・・・。 ▲鉄道の無人駅の名前が「鼠ヶ関駅」。 駅からすぐのところに、あった!「鼠ヶ関」 この、村の中に新潟と山形の境界線があるそうだ。 見逃した・・・。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 山形県・鶴岡市にある加茂水族館に行った。 経営上の紆余曲折も経ながら、クラゲに特化した水族館として復活。 今や「50万人/年度」以上を集客する庄内地方有数の観光地となった。 度重なる経営危機を乗り越えて大幅な業績回復を成し遂げたため経済界からも注目されており、経済誌からの取材を度々受けている。 2005年(平成17年)にクラゲ展示種類数世界一となった。 同年から日本大学生物資源科学部において、クラゲのヒーリング(癒やし)効果の科学的な検証がなされた ♪メダカの学校は川の中・・・ 机が!! (*`艸´) 排水溝もクラゲに見えてきた・・・。 秋風やあしか悲しき曲芸す はるな ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 海辺にあるクラゲの水族館から鶴岡市内の鶴岡カトリック教会 天主堂を見に行った。 赤い塔屋がひときわ目を引く白亜の殿堂で、明治36年に建てられたものでロマネスク様式教会建築の傑作として国の重要文化財に指定。 ステンドグラスとは異なる独自の技法でつくられた「窓絵」や世界的にも珍しい「黒い聖母マリア像」は、国内ではこの教会でしかみられない。 フランス人ダリベル神父の全財産と寄付により 明治36年(1903)、庄内藩家老屋敷跡に建設。 バジリカ型三廊式とよばれる造りで、設計は佐渡の両津教会や京都の旧聖ザビエル教会(現在は明治村に移築)など日本の教会堂を数多く手がけたパピノ神父によるもの。 赤い塔屋の高さは23.7メートル。 ●7340歩 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■ 10/16(水)-2■新潟市:日和山/花街■ 10/17(木)-1■新潟県・新発田市:清水園/足軽長屋他■ 10/17(木)-2■新発田市・新発田城/村上市・鮭オシのまち■ 10/18-1(金)■村上市・笹川流れ■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.11.12 10:50:05
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