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2024.12.11
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テーマ:■雑学王■(731)
カテゴリ:トリビア

今年は、辰年ですからと辰=龍にまつわる話を月に一度書いていが、今月は、おまけで2回目。

独眼竜(どくがんりゅう)は、隻眼の英傑に対して与えられることがある異称である。
初例は中国後唐の太祖李克用だが、日本では戦国大名の伊達政宗がよく知られる。
 李克用の率いる軍団は鴉軍(あぐん)と呼ばれ黒色に統一された漆黒の軍装であった。
片目が小さい、または見えなかったという。
時の人は李克用を「独眼龍」と呼んだ。
李克用は唐に仕えた武将で、後に後唐の皇帝になった李存勗の父。

●正宗の母親は、美しいものを愛した。
だから、正宗の美しい弟を愛し、正宗を嫌った。
正宗も母に似て、秀麗なものを好みすぎる癖があり、後年、自分の軍隊までも絵画的なうつくしさにするために、装具の色を統一したほどの人物であった。
 正宗は、詩人でもあり和歌をよく詠んだ。

さんさ時雨か 茅野の雨か
音もせで来て 濡れかかる


一説には伊達軍の軍歌で、正宗の作であったといわれている。
正宗の生涯は、悪謀ときっ詐、華やかながらも見え透いた自己演出に満ちている。
しかも正宗の複雑さはそれらの悪が性格の暗い部分から出ているのではなく、悪をやって見せるという一種の才能から出ており、ぜんたいとして陽気であかるい。
もしその所業にふさわしい陰気さを印象としてひとに与える男であったならばひとびともついて来なかっただろうし、かれをつねにおさえつづけた秀吉や家康もただでは済まさなかったにちがいない。

「街道をゆく仙台・石巻」

 たつ年ですから
1■辰巳は天井
2■臥龍梅
3■龍天に昇る
4■釈迦の誕生と龍の関係
5■登竜門と鯉の滝登り
6■リュブリャナのドラゴン橋
7■竜血樹
8■戊辰戦争
9■龍笛(りゅうてき)
10■天龍寺船
10-2■画竜点睛
10-3■竜飛岬
11■坂本龍馬と動物の名前
12■ドラゴンナイト
12-2■独眼竜正宗■
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Last updated  2024.12.11 00:02:05
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