テーマ:国内旅行について(2655)
カテゴリ:国内旅行
■10月24日(木)-2 この日の午後から宮城県に入った。 閖上(ゆりあげ)というところに来た。 江戸時代前期の1697年、仙台藩主・伊達綱村が大年寺の落慶法要に参拝しての帰途、山門内からはるか東方に見えた波打つ浜を 「あれは何というところか」と問うたところ、近侍の者が 「『ゆりあげはま』にございます」と答えた。 重ねて「文字はどう書くのか」と問うたところ、 「文字はありません」と答えた。 これを受けて綱村は 「門の内から水が見える故に、今後は門の中に水と書いて閖上と呼ぶように」と言い、仙台藩専用の「閖」という文字が出来た故事がある。 ▲左に見えるのが名取川。正面、太平洋へとそそぐ。 名取川南岸の、太平洋に面する場所に位置する。 漁港を有する港町である。 2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による津波で大きな被害を受け、復興が進められている。 震災の前と後のまちの変わりようなどが、名取市震災復興伝承館に展示してある。 当時を経験している人が、時々、声を詰まらせながら説明してくれた。 かつては、賑わっていたまちも、今は、→(矢印)の貞山堀の手前までしか、建物を建てることができないことに決まっている。 ▲桜の咲いている水路が貞山堀。 かつて貞山運河沿いには荒浜(仙台市若林区)などの集落や川港が点在した。 東日本震災後、運河沿いの一部地域は将来の津波被害を想定した災害危険区域に指定され、住民は内陸へ移転した。 ▲貞山堀。 ●(貞山堀は)正宗のころ、仙台米を水上輸送するために掘った運河なのである。 当初は、内川とか、堀川、あるいは御船引堀(おふねひきぼり)などといわれた。 正宗以後も掘りつづけられ、これによって仙台平野の諸川は横糸としてつながれ、南はこの荒浜付近からとぎれつつも北上河口の石巻付近まで至っている。 そのあたりは明治につくられたもので、北上運河という。 全長47キロという、なんとも長大な「遺跡」なのである。 「街道をゆく26仙台・石巻」 現在、貞山運河は物流に用いられてはいないが、高校や大学の漕艇部の活動場所として利用されるほか、親水活動としてカヌーやボートの運航がある。 貞山堀には、水門があって、 2011.3.11の時の津波の高さが記録してある。 名取市震災復興伝承館から少しいくと日和山という山があった。 日和山は、昔、船乗りが天気を見るために登ったもので各地にある。 山がないので、1920年(大正9年)に住民たちで作った「山」だそうだ。 日和山に、震災の慰霊碑が建てられている。 日和山の近くには、人が住まない、住めない土地が広がっていた。 ●9334歩 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■ 10/16(水)-2■新潟市:日和山/花街■ 10/17(木)-1■新潟県・新発田市:清水園/足軽長屋他■ 10/17-2(木)-2■新発田市・新発田城/村上市・鮭オシのまち■ 10/18-1(金)■村上市・笹川流れ■ 10/18-2■鼠ヶ関を探せ/クラゲの水族館/鶴岡カソリック教会■ 10/19-1■山形県・鶴岡市:城址公園/丙申堂・/酒田市:土門拳記念館■ 10/19-2■酒田市・本田家/日和山/山居倉庫■ 10/20■鶴岡市・出羽三山・羽黒山■ 10/21-1■最上川で舟遊び/芭蕉10泊の町、尾花沢■ 10/21-2■レトロな銀山温泉/川北町・紅花資料館■ 10/22-1■山形市:山寺/斎藤茂吉記念館/山形城■ 10/22-2■山形県:山形市内観光:レトロビル/御殿堰/シネマ通り■ 10/23■上山市/上山城/楢下宿/旧山形師範学校■ 10/24-1■山形市:鴫の谷地沼/御釜/不動の滝■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.12.12 16:20:10
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