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カテゴリ:国内旅行
■10月25日(金)-1 ガイドさんの案内で、仙台城をみて廻った。 伊達62万石の居城、仙台城(青葉城)。 標高約130m、東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は、将軍家康の警戒を避けるために、 あえて天守閣は設けなかったといわれています。 今は、かつての御殿跡の礎石がその規模を残すのみとなっている。 仙台城は、青葉城ともよばれ、 「青葉城恋歌」という歌がある。 城が、青葉が埼にあるというのが、その名前の由来だそうだ。 ●仙台(正宗以前、千代と表記されていた)に城戸城下町がつくられたとき、すぐれた詩人でもあった正宗は、和歌に一首詠んだ。 いりそめて国ゆたかなるみぎりとや千代(ちよ)とかぎらじせんだいのまつ (意味) 私が仙台に腰をおちつけた以上は、この領国はゆたかになっていく一方だろう。 このあたりの地名は千代(せんだい)とよばれてきたが、それにつけて思うに、この国の栄は千代(ちよ)の松とともに千年以上のものになるだろう。「街道をゆく26:仙台・石巻」 大広間のあった場所近くに馬から遠くを見る伊達政宗像が! ■馬上少年を過ぐ■という若き日の正宗をえがいた、司馬遼太郎の小説を読んだ。 戦国の争乱期に遅れて僻遠の地に生れたが故に、奥羽の梟雄としての位置にとどまらざるをえなかった伊達政宗の生涯を描いた『馬上少年過ぐ』。 タイトルの『馬上少年過ぐ』は、正宗作の漢詩が元になっている。 現代風に意訳 「若いころは戦場で往来したものだが、 平和になって気付いたら白髪の老人になっていた。 幸せな老後は天が許したもの。 これを楽しまなくてどうする」 しかし、正宗は、今もこうして、馬に乗って仙台のまちを見ている。(⌒∇⌒) ガイドさんの背中でも頑張っている( ´艸`) ▼崩れた石垣修理にも、「ともに前へ」と叱咤激励している( ´艸`) 「昭忠碑」と呼ばれるこの石碑と像は明治35年11月、日清戦争などに従軍した戦没者を慰霊するため、東京美術学校(現東京芸術大)の若手芸術家らが中心となって建立。 ブロンズ彫刻としては東北6県で最古の作品といい、先の大戦でも設置場所が高所であることから、金属供出を免れた。 像は鳶(とび)が両翼を広げ、首を北方に向けてかしげる構図で、両翼の長さ約6・7メートル、重さ約4・5トンの彫刻作品。 もとは、高い設置場所に置かれていたのだけれど、3.11の大地震で落ちたのだという。 鳶(とび)の向いている北とは、ロシアだそうだ。 ●おまけ● 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■ 10/16(水)-2■新潟市:日和山/花街■ 10/17(木)-1■新潟県・新発田市:清水園/足軽長屋他■ 10/17-2(木)-2■新発田市・新発田城/村上市・鮭オシのまち■ 10/18-1(金)■村上市・笹川流れ■ 10/18-2■鼠ヶ関を探せ/クラゲの水族館/鶴岡カソリック教会■ 10/19-1■山形県・鶴岡市:城址公園/丙申堂・/酒田市:土門拳記念館■ 10/19-2■酒田市・本田家/日和山/山居倉庫■ 10/20■鶴岡市・出羽三山・羽黒山■ 10/21-1■最上川で舟遊び/芭蕉10泊の町、尾花沢■ 10/21-2■レトロな銀山温泉/川北町・紅花資料館■ 10/22-1■山形市:山寺/斎藤茂吉記念館/山形城■ 10/22-2■山形県:山形市内観光:レトロビル/御殿堰/シネマ通り■ 10/23■上山市/上山城/楢下宿/旧山形師範学校■ 10/24-1■山形市:鴫の谷地沼/御釜/不動の滝■ 10/24-2■宮城県:名取市・閖上/大震災の跡/貞山堀■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.12.13 00:45:04
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