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テーマ:北海道旅行(1377)
カテゴリ:国内旅行
![]() ■2025.9.27(土)-1 ![]() 新千歳空港から北海道の北端の宗谷岬を目指して北上。 この日は、朝9時に旧JR増毛駅でガイドさんと合流。 ![]() 増毛(ましけ)はアイヌ語で「カモメの多いところ」を意味する「マシュケ」より。 「増毛」という駅名が薄毛に悩む人の間で人気を博し、当駅の入場券が縁起切符として販売され、1980年度と1981年度には合計54000枚以上が売れた。 ![]() (▲駅の天井は「格天井(ごうてんじょう)」駅舎をはじめ、 ![]() 高倉さんふんする刑事の実家、「風待食堂」になった建物が今も残っています。 現在は、開通当時の駅舎に復元整備し、公衆トイレや駐車場なども整備され、増毛を訪れる人の交流の拠点として活用しています。 ![]() 旧富田屋旅館は、昭和8年に建築された、旧増毛駅前にある木造三階建ての駅前旅館です。 ![]() 駅前旅館として多くの旅行客や海水浴客などに利用され、昭和50年代前半に営業を終了。 旅館休業後も、所有者が一般住宅として平成30年5月まで居住していました。 ![]() ▲豪華な彫刻の増毛厳島神社。▼ ![]() 1706年(宝永3年)、増毛に運上屋を設けた村山伝兵衛が弁財社を祭ったのが創祀である。 ![]() ▲大正時代に流行ったドイツ壁の建物。 9約120年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家(きゅうしょうかまるいちほんまけ)。 屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど 当時の建築職人の心意気が感じられます。 ![]() 19世紀初め、増毛に北方警備の拠点があった! 津軽藩はエトロフ、ソウヤ、シャリの守備を命じられましたが、冬季間の寒さと野菜不足による水腫病(現在の壊血病)で多くの藩士の命を失っています。 そのため津軽藩は幕府に窮状を訴え、その願いが聞き入れられて文化6年(1809年)以降の宗谷の越年を増毛に変更することができました。 そのため増毛に築かれたのが勤番陣屋。 志満川食堂の横に標柱と説明版が立つのみですが、当時の宗谷樺太詰め人数は200~300人と推測されるので往時はかなりの規模の陣屋がここに建っていたことがわかります。 当時、秋田から増毛までの道程は険しく、数ヶ月を要して到着しています。 ![]() ▲鉄道が通って、人の行き来があったころの増毛のまちがわかる駅前の建物。 増毛に来るまで、こんなに昔から栄えていたところだとは知らなかったので、びっくり。 ![]() ![]() ![]() ■9月26日(金)■宗谷岬から襟裳岬へ/留萌市(るもいし)/北海道あるある■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.10.13 00:07:07
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