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テーマ:北海道旅行(1375)
カテゴリ:国内旅行
![]() ■2025.9.30(火)-1 「朱鞠内湖」は、雨竜ダム建設に伴って作られたダム湖で、表面積は東京ディズニーランド約30個分ほどです。 1974年(昭和49年)に道立自然公園に指定された朱鞠内湖一帯は、自然保護上の厳しい規制を受ける原生域が広がり、今もなお自然の原型をとどめています。 ![]() ここで休んでいたら、夫婦連れの車が来て話をしてみれば、大阪のそれも、うちの近くの市の方だった。 自分の車で高速を使わず、やってきたそうだ。 その後、車は、森の中の道を行く。 ![]() 森の中に拓かれた場所があって、 ![]() ここが今日の最初の目的地、「笹の墓標強制労働博物館」。 ![]() ▲北海道には、強制労働を行った場所が多い。 ![]() 明治政府の高官金子堅太郎が「囚人を使うべきである」と献策し、囚人が使われることになりました。 当時の囚人には明治政府に反対する自由民権運動にかかわった者もおり、現在では罪に問われないような思想犯も多くいました。 囚人労働は、1894年に廃止。 ![]() その後、失業者や苦学生に「北海道に仕事がある」と言い、借金をさせ、土工部屋に売る人身売買が行われていた。 いまならあたり前の現象だが、募集人はそういう者に眼(がん)をつけ、甘言でだまし、周旋屋と結託して北海道のタコ部屋へ売りとばすのである。 送り出すことを玉出しという。 「街道をゆく:北海道の諸道」 ![]() 1939年、日本政府は、朝鮮人労働を移入すると決定。 ![]() ■笹の墓標強制労働博物館■ 朱鞠内(しゅまりない)では1935年から1943年まで、雨竜ダムや名雨線鉄道工事などで多くの朝朝鮮人、日本人が強制労働させられ、200人を超える犠牲者があった。 死者は共同墓地のはずれに埋められ、生い茂る笹だけが墓標となった。 ![]() かつてこの地に、お寺があって、死者が形だけの念仏で送られたそうだ。 廃寺の後に、笹の墓標強制労働博物館がたってのは、2020年。 ![]() タコがすっぱだかに赤いふんどし一つで、道路工事をしているのを、敬造は、学生時代に旅先でみたことがある。 (あれが人間か)と思われる恐ろしい形相の棒頭が、けもののようにわめいていた。 過酷な労働にたえかねて脱走すると、鉄砲をもった棒頭たちが、軍用犬数頭とともに、それを追い、運わるく連れ戻された男は、他のみせしめに、川の中にさかさにつけられたり、背に焼けひばしをつけられる話も、その時きいた。 北海道や樺太の鉄道、道路、河川の工事などは、前借金で重労働する、このタコと呼ばれる人夫達のぎせいによって進められたことを敬造は知っていた。■氷点(上)■ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ![]() ■塩狩峠記念館■ ![]() 塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立され、三浦綾子の旧宅を復元した「塩狩峠記念館」がある。 ![]() このあたりの標高は263メートル。 名寄盆地と上川盆地を結ぶ交通路として開削され、北海道内の旧国名である天塩国の「塩」と、石狩国の「狩」をとって命名された。 道路開通の翌1899年(明治32年)に宗谷本線の前身である北海道官設鉄道天塩線(蘭留 - 和寒間)が県道と並行して開通した。 ここも強制労働だったのだと思う。 ![]() その10年後の1909年(明治42年)2月28日に列車が分離し、鉄道員の長野政雄が殉職する事故が発生した。 この事故は、三浦綾子の小説『塩狩峠』の題材になった。 ![]() 線路沿いに、萩の花が咲き乱れていた。 ![]() 1961年に旭川市内に建てられた店舗兼用の住宅だった。 三浦は1971年までこの建物で暮らし、 ![]() 記念館の周りには、美しい林が広がり、三浦夫婦を記念した碑がたっていた。 ![]() ■9月26日(金)■宗谷岬から襟裳岬へ/留萌市(るもいし)/北海道あるある■ ■9月27日(土)-1■映画「駅 STATION」の舞台:増毛■ ■9月27日(土)-2■北海道あるある/鰊番屋/風車街道をゆく■ ■9月28日(日)-1■日本の最北端:ノシャップ岬と宗谷岬■ ■9月28日(日)-2■稚内:白い道/樺太記念館■ ■9月29日(月)■最北端の駅・稚内駅/稚内公園/ラッセル車■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025.10.23 00:21:39
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