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テーマ:読書備忘録(1513)
カテゴリ:読書
幼いころは武家の娘として大切に育てられてきたセツは、住まいを追い出され、働く意欲を失った父に代わって、縫物仕事や機織りで糊口をしのいでいた。 折しも日本に憧れ、来日したものの、原稿が採用されず、英語教師となったラフカディオ・ハーンが松江の尋常中学校に“ヘルン先生”として赴任する。 縁あってセツはハーンの身の回りの世話をすることに。 セツが語る怪談に興味を示したハーンは、何度も繰り返し話すように頼む。 こうして二人の共同作業が始まった…。 ギリシア生まれのジャーナリスト、ラフカディオ・ハーンと上士の血を引くセツ。 2人の宿縁の出会いと文学作品に結実するまでをドラマチックに描く。 小泉八雲とセツ。 2人の奇跡の出会いが、異文化を乗り越え、『怪談』を生みだした。 ■松江→熊本■ では、アメリカから日本に着いたハーンは、どのコースを通って松江に行ったのだろうかというのが、わかったのでメモ。 同年8月に松江に赴任。 姫路から通訳とふたりで人力車に乗り、車夫をとっかえひっかえ、太平洋側から日本海側に抜け、中国山地の山々を超えてやってきた。 ここまですでに4日かかる厳しい道のりであった。 それはハーンの希望でもあった。 最も人の通らない最も遠い道を行きたかった。 そのにはきっと書くべきものがあふれているはずだった。 *1888年(明治21)、11月1日に兵庫 - 明石間が開通し、12月23日には、明石 - 姫路間が開通した。 その後、岡山、広島を経て1901年(明治34年)5月27日に山口県の馬関(現在の下関)までが開通して、神戸 - 馬関間の路線が全通した。 今なら、姫路から岡山県の山間部への電車、姫新線があるが、1923年、大正12年だ。残念・・。 ![]() 明治期に私の祖父は、岡山の田舎から鳥取へ行ったが歩いて行った。 帰りは、吉井川を高瀬舟に乗って帰った。 ![]() 吉井川の高瀬舟は、江戸時代初期から明治30年頃まで利用されていました。 高瀬舟は、美作と備前を結ぶ重要な交通手段であり、米や大豆、塩、海産物などの輸送に活躍しました。 現在、津山市船頭町には高瀬舟の船着き場が残っており、歴史的な資料として保存されています。 姫路から吉井川までは、そんなに遠くないので、ハーンも高瀬舟を使えばよかったのに・・・。 もう少しで小泉八雲夫婦を描いた朝ドラ「ばけばけ」が終わる。 辛い・・・。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026.03.09 00:06:37
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