3544970 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

おしゃれ手紙

全58件 (58件中 21-30件目)

< 1 2 3 4 5 6 >

お出かけ

2016.12.18
XML
カテゴリ:お出かけ
■12月16日、日帰りでバス旅行で、イルミネーションがウリの「なばなの里」に行った。
滋賀県米原市にある、■「ローザンベリー多和田」■でバイキングのランチの後、なばなの里へ。

「なばなの里」の一角に「ベゴニアガーデン」というのがある。
国内最大級のベゴニアガーデン。
年中満開の大輪ベゴニアをはじめ、世界各国から集めた数百種・1万2千株の絢爛たる花々を常時栽培・展示。

ベゴニアほかにもいろんな植物があった。

植物を見ていると
「なんで、こんな色をしているの?
なんで、こんな形なん?」と思うことがよくある。






植物に詳しかったら、もっと楽しいだろうな・・・。


いちいち植物に名前を聞きたいくらいだ。
 「君の名は?」

フォックスフェイス(ナス科)
別名:キツネナス


フォックスフェイス=キツネの顔。
なるほど・・・。

「ベゴニアガーデン」を出て、光のトンネルをくぐって、イルミネーションを見る。

北極やアフリカなどが光で現れるが、このイルミネーションが美しいのは、闇があるからだと私は心で思う。

幾千の電飾またたく師走の夜(よ) はるな

靴なばなの里
・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・・






Last updated  2016.12.19 00:43:44
コメント(0) | コメントを書く
2016.12.17
カテゴリ:お出かけ
バス旅行12月16日、日帰りでバス旅行に参加した。

目的地は、イルミネーションがウリの「なばなの里」。
その前に、滋賀県米原市にある、「ローザンベリー多和田」でバイキングのランチ。

食後、建物の奥にある庭園に。
この庭園は、以前にも一度来たことがあるが、本格的ないい庭園だ。

basuローザンベリー多和田:庭園

採掘跡地だったこの場所で、ローザンベリー多和田の物語が始まったのは2003年秋のこと。
いつか自分の庭を造りたい。
長年想い描いた夢は、この地との出会いによりゆっくりと動き出したのです。
初めて見た多和田の地は見渡す限り雑草に覆われ、どこに何があるかもわからない状態でした。
しかし、多和田という地名も四方を囲む山々も、何十年も前からある立派なヒマラヤスギや桜の木も、全てが魅力的でまるで運命に導かれ庭づくりがはじまったのです。
長い間草木に覆われ忘れ去られていたであろう場所を本来の美しい姿に、いいえそれ以上に美しく緑化することを心に決めました。

basu2
この日は、さすがに、花もなく、さみしい。
でも、この風景もいい!
今だけのもの。

バラ園に行ってみたが、すべて、アースカラーだ。

薔薇園の アースカラーは 冬の色  はるな
basu3
庭師が薔薇の枝を切っていた。
春になると新しい枝が出て、そこから花が咲くが今は、眠りの時間だ。
basu3

切られおり 庭園の薔薇 春を待つ はるな
basu5

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮
     藤原定家
habotann
薔薇はなかったが、葉ボタンが、冬の景色に彩りを添えていた。
靴ローザンベリー多和田

■〒521-0081 滋賀県米原市多和田605−10
アクセス:ここ
・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・・






Last updated  2016.12.17 17:38:58
コメント(2) | コメントを書く
2016.12.03
カテゴリ:お出かけ
ennmeiji11月30日に行った大阪府にある■延命寺■の中を
ボランティアガイド氏が案内してくれた。
延命寺の墓
お寺の隅っこには、古いお墓が寄せられていた。
ここは、いろんな所にあった墓を寄せ集めている所。
明治の初めに、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」という思想があった。
廃仏毀釈(廢佛毀釋、排仏棄釈、はいぶつきしゃく)とは、仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃することを指す。

延命寺の隣にあった寺もそのあおりを受け、廃寺となった。
そんなことからだろうか、ここに古い墓石がある。
延命寺の墓2 ★幕末の墓
明治維新 勤皇志士 上田主殿の墓

上田主殿は、時代は違うが■大出世した、浄厳和尚(じょうげんおしょう)■と同じところで生まれたという。

彼は若くして、尊王攘夷派の活動をした。
彼は、思ったことは口にしないではいられないタイプの人間だったようだ。

天誅組(てんちゅうぐみ)の中に入ったが、
リーダーの吉村虎太郎と考え方が違い
いざ、という時に、皆と同じ行動をとらないと言い出した。
そんな勝手なことをされては、士気に影響するとの理由で天辻峠で斬首されている。
文久3年(1863年)。

しかし、調べてみると、上田主殿の言い分(下)は、もっともなものだ。
天誅組の兵力は膨れ上がったが烏合の衆に過ぎずその武装は貧弱なものだった。
十津川の人々も半ば脅迫されて急きょかき集められた。
しかも休息も食事もなく戦闘に参加せられるなど、戦意に乏しかった

あまりの酷さに玉堀為之進や植田主殿ら十津川郷士は指揮官に抗議したが、中山らに憎まれ天辻峠で斬首されている

これを見ると、学生運動の内ゲバのようで、どうもいけない。

ウキぺディアでは「植田主殿」となっているが墓石は「上田主殿」。
明治の墓★明治の墓
この墓は、上田主殿と一緒に天誅組の兵士となった少年。
身内がいなかった彼は、荷役などの労働にいやいや、連れて行かれたという。
上田主殿が斬首された時、彼は、一目散に逃げ帰ったそうだ。

それが1863年(文久3年)のことだ。
その後、村で暮らしていたが、14年後の
1877年(明治10年)に■西南戦争■勃発。
彼はそこで命尽きた。
30歳になるかならずかの、身寄りのない青年を不憫に思って村の人が建てた墓。

二人の青年の墓が今も残る延命寺。
・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・・
     






Last updated  2016.12.04 01:02:31
コメント(0) | コメントを書く
2016.12.02
カテゴリ:お出かけ
延命寺■11月30日観心寺■に行った後、近くの延命寺に行った。


弘仁年間(平安時代)、弘法大師空海が当地を巡礼された時、この地に薬樹・薬草が多く生えているのを見、また、霊水が湧出しているのを見つけて、真言密教を広める霊地と觀想し、自ら地蔵菩薩を作って、本尊としたのが始まりと言われています。

そののち、延宝5年(江戸時代)浄厳和尚が中興、薬樹山延命寺と号しました。


ボランティアガイド氏から、延命寺を建立した浄厳和尚の出世の話を聞いた。

浄厳和尚の生涯がすごい■のでまとめてみた。

ennmeiji★寛永16年(1639)生まれ。
幼少のころから秀才で母の乳を飲みながら梵字や漢字を覚えた。
村人が噂の記録あり。
(栴檀は双葉より芳し。)
ennmeiji2★10歳にして高野山にのぼり、24年間修行した後、寛文12年(1672)村に帰ってきた。
(当時、高野山に行くというのは、海外留学みたいなものか?)

如晦庵を建て、翌年に浄厳と改名。
延宝5年(1677)5月には延命寺を建立。
ennmmmeiji3★布教
各流派に分かれている真言密教の修行方法を統一しようと勉学と修行に励んだ。
それとともに、真言宗の布教にもつとめ近郷の村々を説法して歩いた。
近郷だけでなく、尾道(広島県)や四国高松あたりまで出かけ、人々を教化
(すごいエネルギー!!)
説法だけでなく、人々の難儀を見て寛文12年に地元で、延宝6年には四国善通寺で雨乞いの祈祷を行って成功。
延命寺の池★江戸へ。
浄厳の名は江戸にまで知られていた
(電話も新聞もテレビもない時代に、名前が江戸まで知られるというのは、そうとう。)
そして多くの民衆だけでなく鬼住村の領主本多忠恒、高松の松平頼重などの諸大名も帰依しました。
その大名の中でも将軍綱吉の側用人柳沢吉明は、屋敷内に智宝庵を建てて彼を住まわせました
そして元禄4年(1691)には、柳沢吉明邸を訪れた将軍綱吉に謁見しました

その後、しばしば将軍に進講し将軍から厚い信仰を受け、江戸湯島(東京都文京区)に土地3千500坪、金300両の寄進を受け宝林山霊雲寺を建立。
(犬公方と言われた綱吉は、信仰が深かったので、大切にされたのだろう。)
延命寺のもみじ 片田舎の身分も高くない家の子どもが、ついには将軍から土地やお金をもらう!!
これ以上の出世があるだろうか?!


元禄時代の江戸市中で真言宗の高僧として名をはせ、
延命寺に帰ることなく元禄15年64才でなくなり、幕府から谷中(東京都台東区池之端にある妙極院の境内)に1千300坪の菩提所をもらい、そこに葬られた。

浄厳(じょうげん)和尚は、知に優れていただけでなく、話術にも長けていたのだろう。
また、見た目もよかったのではないだろうかと想像する。

(写真はすべて、延命寺にて)
・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・・






Last updated  2016.12.03 02:45:48
コメント(0) | コメントを書く
2016.12.01
カテゴリ:お出かけ
観心寺311月30日■紅葉を見に行った。
行き先は■高野山真言宗遺跡本山 檜尾山観心寺。■(長っ!!)

観心寺は大阪・奈良・和歌山の三県の境にあり、
西暦701年に
修験道の開祖・役行者が開創され、
後に弘法大師空海が真言宗の道場とした寺院。
境内には弘法大師の筆頭弟子道興大師実恵の墓、
観心寺2 第九十七代後村上天皇の御陵などがある。

首塚
南北朝の英雄 楠木正成■の墓もある。

楠木 正成(くすのき まさしげ)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に天皇を助けた。
尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。
討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。

後醍醐天皇は観心寺を厚く信任し、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。
正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。
かんざんどう  その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊になっているが、境内は 史跡として、自然に恵まれた環境の中で、山岳寺院の景観を保持している。

山茶花
11月30日には、山茶花が散り始めていた。
狂い咲き
季節外れの桜が咲いていた。
この寺は、花も多い。
2月に咲く椿
3月、梅、椿、雪柳、木蓮。
4月、桜・・・。
桜が終わると、モミジの新緑も美しいと思う。

観心寺南北朝と南朝
鎌倉時代に皇統は後深草系統の持明院統と亀山系統の大覚寺統のふたつに分裂する両統迭立が起こる。両統は皇位を争奪し、鎌倉幕府が仲裁していた。
南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。
1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。

靴観心寺:アクセス
・・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン  ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・・
      






Last updated  2016.12.02 01:54:03
コメント(0) | コメントを書く
2016.06.05
カテゴリ:お出かけ
奈良町からくりおもちゃ館■5月31日
奈良町からくりおもちゃ館■に行った。
独楽  奈良町からくりおもちゃ館が所蔵するおもちゃは、奈良大学名誉教授鎌田道隆氏より奈良市に寄贈されたもので、復元されたからくりおもちゃに加え、各地の郷土玩具や、ベーゴマ・だるまおとしなどの昔懐かしいおもちゃ、合計約600点を数えます。
なかでも、からくりおもちゃは200点にのぼり、2ヶ月に1回程度展示替えをしながら、常時30点ほどのおもちゃに触れて遊ぶことができます。
おもちゃが庶民の間に流布するのは江戸時代中期頃からで、江戸時代後期には多くのからくりおもちゃが考案され、売られるようになっています。
奈良町からくりおもちゃ館では、それらの様子を描いた浮世絵や絵本、随筆などの絵画資料や文献資料をもとに復元したおもちゃを展示しています。
からくりおもちゃには、昔の人々の知恵や工夫、技術やアイデアが溢れています。
昔の人は、木や竹や和紙・土・糸などの自然素材を組み合わせて、思いがけない動きをする仕掛けを生み出しています。
からくりおもちゃで遊ぶと、きっと驚きや発見がたくさんあることでしょう。

鯛釣り■鯛つり■
いろんな、からくり、仕掛けのあるおもちゃが置いてあった。
竹を立てると鯛が紐を移動する「鯛つり」。
頬かむり 頬かむり2
上の「頬(ほお)かぶり」は、 舌を出したり白目をむいたり・・・。
えどにしき
「江都二色」は、安永2年(1773)に刊行された江戸時代の代表的な玩具絵本
江都は江戸のあて字で、二色は錦のかけ言葉になっていて、美しい本であることを意味している。
(略)収禄されている玩具は80種類あまり。
それぞれの玩具の色つきの絵と名前、玩具の名前を織り込んだダジャレ、狂歌まであるというからすごい!!
影絵あそび
影絵遊びも酒の席で、よくやっていたようだ。
そのための指南書まで出ていたというから、江戸時代の人は大人も楽しんだことがわかる

障子
この障子を利用して遊んでいたのかもしれない。
taisou からくりおもちゃの製作体験講座は、毎月1回、土曜日または日曜日に開催している。
靴からくりおもちゃ館
■製作体験講座■要予約
■休館日■*水曜日、年末年始(12月29~1月3日)
(祝日の場合、休館日が変わることもありますので、事前にお問い合わせください)
■駐車場■なし。
ならまちセンター前駐車場または、ならまち大通り周辺のコインパーキングをご利用ください。
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・

   






Last updated  2016.06.05 21:04:12
コメント(0) | コメントを書く
2016.06.04
カテゴリ:お出かけ
あおによし猿沢の池■5月31日
奈良に行ってブラブラしてきた。
「奈良町からくりおもちゃ館」という所に入ってみた。
奈良町からくりおもちゃ館
奈良町からくりおもちゃ館は、奈良町の活性化と奈良市の観光振興に役立ててほしいと奈良市へ寄贈された旧松矢家住宅を活用したものです。
階段箪笥
現在、奈良町からくりおもちゃ館となっている場所は、明治期に名声を博した「松利」という料理屋の一部でした。
からくりおもちゃが展示されている母屋は、明治23年に「松利」の離れとして建てられたもので、伝統的な奈良町の町家の様式を随所にとどめ、奈良市の都市景観形成建築物等に指定されています。
障子
また、庭の奥には工房棟を新たに設け、製作体験教室や講演会を行ったり、夏休み・春期・秋期・正月など季節ごとにさまざまな遊びが体験できるスペースとして開放しています。
庭
さらに、庭には椿の大木や山茶花、梅、桜、石楠花、紫陽花、萩など、四季折々の花が植えられており、メジロなどの小鳥が集う、落ち着いた空間となっています。

通り庭  からくりおもちゃ館は、
もとご隠居さんの離れとして建てられたものというが、本宅は、どんだけすごいねんと思う。
奈良の茶室
このご隠居さんの趣味は茶の湯。
2畳の茶室があったが、狭くて、写真が撮りにくかった。
棗としゃしゃく
また、部屋の欄間には、なつめ、茶杓、
茶碗、ひしゃく
茶碗、ひしゃく・・・などなど茶の湯にまつわる絵が掘りぬかれてあった。
からくりおもちゃ館
からくりおもちゃも楽しかったが、この建物を見るだけでも値打ちがある。

靴からくりおもちゃ館
■休館日■
*水曜日、年末年始(12月29~1月3日)
(祝日の場合、休館日が変わることもありますので、事前にお問い合わせください)

■駐車場■
なし。
ならまちセンター前駐車場または、ならまち大通り周辺のコインパーキングをご利用ください。
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・
   






Last updated  2016.06.04 17:30:35
コメント(0) | コメントを書く
2016.05.29
カテゴリ:お出かけ
茶道 ■5月26日
友人と、■さかい利晶(りしょう)の杜(もり)■に行ってきた。
堺は、古くから栄えた町で、戦国時代を描いた大河ドラマなどには、必ず出てくる。
例えば、本能寺の変のさい、徳川家康は境に来ていて、死にもの狂いで逃げて帰ったという話などは有名。
そんな、堺には、有名人が多いが特に有名なのが、千利休と与謝野晶子。
そのふたりの名前の一文字をとって「さかい利晶(りしょう)の杜(もり)」は、一年前に作られた。

床の間
今回は、千利休を中心に見た。
利休が作った四畳の茶室の模倣の写真。

写真の床の間の軸は書。
利休は、絵より書を好んで掛けたそうだ。
また写真の右の明かり取りは、書が読めるようにという配慮。
床柱は、木の形を生かしている。
天井
天井の、黒く見えるのは葦?
それを細めの竹で押さえている。

千利休茶の湯館・与謝野晶子記念館・三千家家元が命名した茶室など、利晶の杜館内を観光ボランティアの解説付きで案内してもらった。
ツアー参加費は無料。
 抹茶をいただいた後、さかい利晶(りしょう)の杜(もり)のすぐ横にある利休の家跡に行った。
かつては、千坪あったという利休の屋敷も今では、60坪になっている。

一緒に行った友人は、堺生まれの堺育ち。
かつては、堺の浜辺に進駐軍がいて、大きな邸宅は、彼らの居住地になっていたなど昔の様子。
利晶の杜は前は、市民病院だったこと、与謝野晶子の実家を見たこと、などいろいろ教えてくれて楽しかった。
「児島屋のけし餅は有名よ」と教えてくれたので、お土産に買った。
消し餅
けし餅
けしの実は、室町時代インドよりもたらされたと言われ、江戸時代初期より、大阪、堺、和歌山周辺で盛んに栽培されるようになりました。
このけしの実を、小豆のこしあんを餅皮で包んだものにまぶし出来上がったものが「けし餅」です。

延宝年間において本邦最初の珍菓として登場して以来、各界名士のご愛顧はもとより全国菓子博覧会における幾多の賞碑の受賞等、全国的に名声を博し、現在に至っております。

竹水 ついでに、「竹水」とうお菓子も。
300年以上続くのに、普通にあるのが堺のまちの歴史を物語っているようでいい。
靴大阪:さかい利晶(りしょう)の杜(もり)
堺名産消し餅本舗:小島屋

チンチン電車という方が通りがいい阪堺電車に乗って行った。
両方ともそのチンチン電車の「宿院」駅下車すぐ。
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・






Last updated  2016.05.29 16:52:15
コメント(0) | コメントを書く
2016.05.27
テーマ:カフェ話。(1572)
カテゴリ:お出かけ
喫茶店全盛期
昭和40年代~50年代
このカフェストリートには、エトワール、スワン、モンテカルロ、 モンシェリー、モカ、森の詩、黄昏、ブルーメ…など多くの喫茶店がありました。
現在のように携帯電話のない当時の人々にとって、喫茶店は待ち合わせやデートコースに使われ、 この通りに面する南街会館(現なんばマルイ、TOHOシネマズ)での映画の待ち時間などには欠かせないスポットでした。
そこには人々が集まり、いつも会話があふれていました。

カフェストリート  映画と映画の間に、ふと映画館の裏通りに足を踏み入れた。
この映画館には何年も通っているし、映画館のあるビルの真裏なのに、はじめて。
かつては、喫茶店で賑わっていたこの路地をなんとか復活出来ないかと
道路も石畳にし、電線を地中に埋め、この通りを「カフェストリート」と命名。

  仕掛け人は「夜のカフェテラス」という絵をイメージしたそうだ。

時間がなかったから外から見ただけだが、どの店も「カフェ」のおしゃれなイメージはなかった。
「カフェストリート」というなら、通りの店が競って、外観もきれいにし、カップやランチもカフェ風にしてもらいたい


いっそ、「喫茶店横丁」という通りの名前に変えるのもありだと思った。
・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・
   






Last updated  2016.05.28 13:10:38
コメント(0) | コメントを書く
2016.05.24
テーマ:トリビア?(260)
カテゴリ:お出かけ
大津神社
退職したらやりたいこという記事■を書いたのは、去年の8月。
その中に「ブラタモリ!」をするというのがあった。
NHKの「ブラタモリ」は大好きな番組で、欠かさず見ている。
まあ、タモリのように知識もないし、ガイドもないから、もっぱら、町歩きのグループに参加したり、
旅行中に、ガイドさんに案内してもらうくらい。
桜の花は、とっくの昔に終わったのに、桜の写真からで申し訳ない。
m(_ _"m)
大津神社2
家からそんなに遠くない所に「大津神社」という桜の美しい所がある。
ここなら、体調が悪くても行けると行ったのが、4月のはじめの桜の満開の頃。
大津神社の木
境内の桜を見たり、椿を見たりしていたら、
「あれ???」木の回りに囲いのある不思議な木!!!
大津神社の木
近づいてみたら、なんと、神社の境内よりも随分と深いところから生えている!!
坂道
神社の横の道を見ると道の左側、白い家の所から急に傾斜がきつくなっている。
境内の例の木が生えているのは、その辺りだろうか。
段差
そして、こうなる。
神社の境内の土地と下の土地の高低差は、2メートル以上ある。
この神社の歴史は古く、平安時代以前から、あったそうだ。
平安時代には、ここに運河が通っていたという。
「ロマンやな~」と一人でぶらぶら歩いて感心した。
鳥居大津神社HP

当大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(八八五~九三〇)の御代に編纂された「延喜式」に「大津神社」と明記されている由緒の古い神社で、「丹下の郷の大宮」と称えられていました。
応神天皇(四~五世紀はじめ)に、文字をはじめ各種の大陸文化が朝鮮半島を経由して我国に伝来した際、当河内地方は難波の港と大和を結ぶ要路であったことから渡来人が土着しました。
荒地を開拓し産業を興して、遂に河内文化の繁栄を見るに至りました。
当時この地方には、百済貴須王の子孫といわれる「葛井(ふじい)氏、船氏、津氏」の三氏が勢力を張っていました。
この三氏のうち津氏一族がこの地を卜して「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが「大津神社」の発祥だろうと云うのが古来からの定説で在ります。
このように大津神社は津氏一族の守護神として創祀されましたが津氏一族が朝廷に召されれて大和に移住し、また時代の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には、大津神社はこの地方九ケ村の人々の「氏神」として受け継がれ、「河内の大宮」と称えられました

・・・・・・・・・・・・
バナー ボタン

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
・・・・・・・・・・・・
      






Last updated  2016.05.25 13:56:30
コメント(0) | コメントを書く

全58件 (58件中 21-30件目)

< 1 2 3 4 5 6 >

PR

Recent Posts

Category

Archives

Favorite Blog

【懇親会】§応技会@… New! ワルディー・ヨーリョさん

李栄薫氏「韓国人の… New! h1212jpさん

スターウォーズとジ… New! ぶどう^_^さん

『イスラムが効く!… New! Mドングリさん

クルミっ子 ~今日… New! るー555さん

Freepage List

Comments

天地 はるな@ Re[1]:#金曜日は昭和弁当(12/06) maki5417さんへ 私のクラスはストーブが…
maki5417@ Re:#金曜日は昭和弁当(12/06) 教室のストーブで温める 当地でもやって…
天地 はるな@ Re[1]:11月のおしゃれ手紙:アケビ(11/30) maki5417さんへ なかなか手には入れない…
maki5417@ Re:11月のおしゃれ手紙:アケビ(11/30) おいしかったですか。 ひとつ100~20…
天地 はるな@ Re[1]:伊賀上野1泊旅行:伊賀焼と長谷園(11/23) maki5417さんへ 中世から900年以上生産が…

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.