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おしゃれ手紙

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昭和恋々

2020.06.06
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テーマ:■雑学王■(569)
カテゴリ:昭和恋々

天気のいい日は、運動のために、歩いている。
目標、4000歩!(少な!!)

「用水」と書いた四角いコンクリートの箱のようなものをたまに、見かけることがある。

古いものが好きな私は、いつも気になっていたのだが、今回は、カメラでパチリ♪
さっそく調べてみた。

☝写真の左下が防火用水。■防火用水

町歩きをしていると家の軒下にコンクリートの四角い水槽のようなものを目にすることがあります。
実は戦争を物語る貴重な遺物なのです。
太平洋戦争時、日本には木造の家が多くあったので、アメリカ軍は焼夷弾(しょういだん)を落として焼き払おうとしました。
このような空襲に備えて、水を溜めておいた容器がこの水槽なのです。
防火水槽、防火用水、防空用水などと呼ばれています。
   
防空に関するマニュアルである『時局防空必携』(昭和16年12月10日発行)には、家庭のふだんの準備として水を「普通の家では、一戸当り約百リットル(約五斗五升)以上。

また、設置場所についても「家の構造や待避所の位置等を考えて、何処に焼夷弾が落ちてもすぐ間に合う所に配置する」としています。

防火水槽はこのような戦争を今に伝える貴重な遺物であるにもかかわらず、あまり省みられることなく、知らず知らずのうちに消滅しつつあるのが現状です。

防火水槽の容量は、調べてみると防火水槽の上面まで満水にして100から150リットルのものが多いようです。
これは、『時局防空必携』に規定された100リットルを基準にして防火水槽が造られたためでしょう。


☝「天水桶」と書いてある水槽。
これは、プラスチックの容器(風呂?)の再利用で、周りを板で囲っている。

非常時に、水が使える、現代版、用水。
天満の天神さん■の水槽
用水の画像

今は、どこにも消火栓があって、用水も必要のない時代。



しかし、そんな時代になっても、この辺りには、消火用のバケツが・・・。

▲植木鉢と一緒に並んでいたりと、普通の風景としてある。▼


町内の自主的な防火バケツのようだ。
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Last updated  2020.06.06 00:06:30
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2020.05.23
テーマ:散歩(867)
カテゴリ:昭和恋々

天気のいい日は、運動のために、歩いている。
目標、4000歩!(少な!!)

ちょっと歩いていると、さっそく見つけた、古い家の灯り。
こういうの、もう見なくなっている。貴重なり。

歩いていると、けっこうレトロなものがあって、写真にパチリ♪

▲灯りの隣に草ぼうぼうの空き地があって、そこにあった手押しポンプ。

▲門。レトロな郵便受けとその左にある、小さな呼び鈴(この言葉を使うの久しぶり。)
呼び鈴は、今は使っていない様子。
その代わりに郵便受けの右に今風のがある。

▲格子戸。今時、格子戸は、レトロ。
それに、旗を立てる金属のものが付いている門柱もレアものだ。

▲門も1階も2階もツタに覆われている家。
いつから空き家なのだろう・・・。


▲植木鉢。左の花柄のものが、珍しい。

▲この塀も、貴重。昭和のかほり。

▲防火用水のある風景▼


よく見れば、そこここに昭和が・・・。
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Last updated  2020.05.23 10:10:17
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2019.12.06
カテゴリ:昭和恋々
弁当昭和弁当

昭和の温かさと哀愁漂うお弁当が逆に新鮮。
「#金曜日は昭和弁」をチェック! 素朴、だけど温かい。
 アルミ弁当箱に詰められた昭和弁当にほっこり

 お弁当箱いっぱいにごはんを詰め込んで、自家製の梅干しを真ん中にちょこんとのせた日の丸弁当。
昭和を代表するお弁当は、戦時中、食糧難の人々にとってご馳走だったんだそう。
世界各地の食べものが気軽に食べられるようになった今では、想像もできない方もいるかもしれません。
 小さい時に観たアニメ『ドラえもん』の作中に、この日の丸弁当が登場して、それはそれは美味しそうにかき込むシーンがなんだかとてもうらやましくて、マネした記憶がよみがえります。
こんがり焼いためざしに、梅干し、たくあんを3切れ。
素朴でちょっと地味だけど、塩気があって間違いなくごはんがすすむものばかり。
たまにはこんなお弁当を拵えて、少しカラダを休めるのも良いかもしれません。
 このお弁当を見て、「当時はたくあんが入ったお弁当を教室のストーブで温める人が多くて、教室中たくあん臭かった

ウインナーとピーマンを焼いてごはんにのせた昭和弁当もよだれもん。
この組み合わせが美味しいって分かってるから、ピックアップせずにはいられませんでした。
 今や誰もが知っていて好きであろう「シャウエッセン」が世に登場した時は衝撃が走ったという。
これは個人的にですが、シャウエッセンって他のウインナーよりもブリンとしていて食べ応えがありとてもおいしいので、私の中では今も特別なウインナーのカテゴリー
 昭和弁当を極めたいなら、ハイカラでおしゃれなお弁当包みは不要。
新聞紙で包むスタイルでいきましょう(笑)。
保温性も兼ねそろえているのでおすすめです。
使用後は窓ふきにも使えます。
 質素だけれど、幸せ。それが昭和弁当
「#金曜日は昭和弁」をみていくと、食での時代の流れが読み解けるような気がしませんか?
食べ物が溢れ、美味しいものがすぐ食べられる今の時代だからこそ、すごく特別で魅力的にみえる気がする昭和弁当。

 キャラ弁が大流行の今、なつかしや、昭和弁当。
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Last updated  2019.12.06 00:02:08
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2019.08.03
カテゴリ:昭和恋々

名前が分からない民具がある。
それが、ある時、分かると、嬉しくなる。

弁慶■もそのひとつ。

竹筒に多くの穴をあけたもので、うちわや台所道具をさしておくもの。

武蔵坊弁慶が七つ道具を背負った姿、あるいは体中に矢を受けた姿になぞらえていう。

昔は、どこにでもあった弁慶。
もちろん、子どもの頃には、うちの台所にも、しゃもじやおたまが入れて掛かっていた。

今は、母が塩を入れていた■小さな壺、甕(かめ)?に入れている。
弁慶の写真は、旅行中に見たもの。
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Last updated  2019.08.03 11:52:21
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2017.01.16
カテゴリ:昭和恋々

(略)ちょっと風邪気味かなと思った先日、ホームセンターの家庭用品売り場で、子ども時代に使っていた湯たんぽと再会した。
亀の甲羅のようなブリキのあれである。
昭和30年代には、今のような軽くて暖かい寝具は出回っていなかったから湯たんぽは欠かせなかった。
ただし栓が小さいので熱湯をいれるのは難しい。
毎晩、母に入れてもらっていた。
ネルの袋も母の手作りだった。
作家の故向田邦子さんも回想している。
「湯たんぽは翌朝までほかほかとあたたかかった。
自分の湯たんぽを持って洗面所にゆき、祖母に栓をあけてもらい、なまぬるいそのお湯で顔を洗うのである。」
「父の詫び状」

湯たんぽの周りでは、時間がゆっくり流れていた。
  もともと中国伝来である。
清時代の小説「紅楼夢」にも登場するという。
日本でも元禄時代には使われていたらしい。
かつては陶製だったが、昭和初期から金属製が普及した。
高度成長期に広まったガスや電気の暖房器具に追われて、ほとんど姿を消したものの、今また注目されている。
 店頭には、ゴム製やプラスチィック製も並ぶ。
湯たんぽは空気を乾燥させないので肌にやさしい。
電気の消し忘れもない。
こうした様々な効用が見直されている理由だろう。
湯たんぽという名前も、とても温かそうだ。
「たんぽ」とは、器をたたいたときの音から来たという説と、中国語で湯たんぽを意味する「湯婆」の唐音が語源だが、それが忘れられて、「湯」が付け加えられたという説がある。
天声人語2006.1.16

湯たんぽ
昔はよく使った湯たんぽ。
上は、旅先(たしか、和歌山県)で見た陶製の湯たんぽで今や骨とう品。
 湯たんぽ2
これも同じく陶製の湯たんぽで、上のと同じところで見たもの。
これに花を活けているのを本で見たことがあるが、とても素敵だった。
以後、これが落ちていないかといつも探している。
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Last updated  2017.01.16 00:13:36
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2015.04.23
テーマ:鉄道雑談(1263)
カテゴリ:昭和恋々
imadu
■2015年4月9日(木)
江若鉄道(こうじゃくてつどう)は、今は無い鉄道。
1921年(大正10年)
に滋賀県の三井寺下-叡山間の6kmで開業。
モータリゼーションに押される形で乗客は減少し、
1969年に鉄道事業を廃止し、その鉄道用地を湖西線建設に当たる日本鉄道建設公団に売却した。

琵琶湖東岸には、早くから鉄道があったが、西岸にはなかった。
近江(おうみ)と若狭(若狭)、関西と北陸をつなぎたいという願いから、作られたこの鉄道は、北陸まで届かず、今津どまり。
上の写真は、江若鉄道(こうじゃくてつどう)の駅でただ一つ残っている「今津駅」。

しかし、夏は、京都や大阪から、水質のよい湖北に向かう湖水浴の客で臨時列車が出たそうだ。
また、スキーも盛んだったようで、スキー客も多く、賑わっていた。

たまたま、今回の福井、滋賀旅行の際、「江若鉄道(こうじゃくてつどう)の思い出」という展覧会を大津市歴史博物館でやっていたので見て来た。

冬は一駅ごとに、雪の深さが違っていたそうだ。
湖のすぐそばを走る列車の写真があった。
その横で、子どもたちが泳いでいた。
そんな当時の思い出が会場いっぱいに展示されていた。

歳をとった地元の人が懐かしがって、車椅子に乗って見に来ていた。
会場では、初対面の人が、お互いに思い出を語りあっていた。
新幹線では、こうはいくまい。

鉄道マニア(鉄ちゃん)の京都の学生が廃止の日とその前日を写真と文章で残していたが、哀惜の念を感じた。

今回、名前をはじめて知った私だが江若鉄道(こうじゃくてつどう)の思い出は、なぜか私にも懐かしい。

江若鉄道(こうじゃくてつどう)の思い出
江若鉄道(こうじゃくてつどう)の廃線跡
江若鉄道(こうじゃくてつどう)

桜三昧2泊3日:福井県と琵琶湖湖西地方
■2015年4月7日(火)
国内第三位の美:養浩館(ようこうかん)
■4月8日(水)
一筆啓上:丸岡城
湖北の「かくれ里」菅浦(すがうら)
■4月9日(木)■
今津:ヴォーリーズ建築
琵琶湖周航の歌


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Last updated  2015.04.28 20:27:53
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2012.01.21
カテゴリ:昭和恋々
陶器の汁椀 NHK朝の連続ドラマ■カーネーション■を毎朝見ている。
このドラマを見て、会社に行き、このドラマのおかげで、会社の休みの土曜日も朝、8時にはテレビの前にスタンバイしているというほどの熱の入れようだ。

大阪の岸和田出身のコシノジュンコ、コシノ・ヒロコ姉妹のゴッドマザー、小篠綾子さんのものがたり。

この物語のヒロインは小原糸子(おはら いとこ)。
大正二年、大阪・岸和田の呉服商の娘として生まれました。
生まれながらにおてんばだった糸子はだんじり祭が大好き。
でもだんじりを曳くことができるのは男だけでした。
「女より男やったら人生どんなに楽しいんやろ…」そう思った糸子は「女にしか出来んことを見つけて自由に生きたい」と裁縫の道を選びます。


ドラマの展開も楽しいし、出てくる女性のファッションも、新鮮だ。
しかし、私は、ドラマの小道具に興味がある。
扇風機が糸子の暮らしに入ってきたりして当時の人たちの暮らしが見えてくるのだ。

ドラマの中では、度々、食事のシーンがある。
その中で汁椀として使われているのが、写真のお椀だ。


このお椀、10年程前、通勤中の家の前に見つけた。
その家の前には、沢山の食器や茶器が出されていた。

これが「100均」で売られたものなら、気にもならないが、一目で、年季の入った食器だと分かったので、もらうことに。
とはいえ、通勤中。
大急ぎで仕分けして帰りにもらって帰った。
その中のひとつがこれだ。
同じようで違うものが4個。

私も小さい頃、使っていたがいつの間にか、プラスチックのお椀にとって代わられた。
「カーネーション」では、いつごろから使われなくなるのだろうかと思って見るのも楽しい。

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昔◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2012年1月21日*骨正月/成人式今昔*
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Last updated  2012.01.22 22:31:26
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2008.11.25
カテゴリ:昭和恋々
11月23日、歌声喫茶に行ってきた。
といっても、喫茶店ではなくて、公共の建物の中に椅子を並べて作ったもの。
その前に、小さなステージを作ってピアノ、ギター、ドラム、エレクトーンと歌をリードする、「歌のお兄さん」的な人が加わった。
入場料は一人1000円だったが、500代~70代まで多くの人で賑わった。

歌は、ロシア民謡、童謡、昭和歌謡など、よく知っている懐かしい曲ばかり。
歌声喫茶

歌声喫茶(うたごえきっさ)は日本において昭和30年代に流行した飲食店の一形態。
リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を歌うことを主目的としている。
伴奏はピアノやアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。
歌われる歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲など。
店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。

歌声喫茶はうたごえ運動という政治運動において大きな役割を果たしたが、それだけでなく、集団就職で地方から単身上京してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった。

私は、歌声喫茶には行ったことがない。
大人になった頃には、どの店も閉店していたのだ。
初めて、みんなで同じ歌を歌うのは、何年ぶりだろう。
カラオケには、誘われれば行くことがあるが、私は断然、、みんなと一緒に歌う方が好き。

「集団就職で地方から単身上京してきた青年たちの寂しさを紛らす心のよりどころでもあった」という歌声喫茶。
今、都会では、地方から出てきた青年や、一人暮らしの老人が寂しさや不安で暮らしているだろう。
歌声喫茶が全盛時代より今の方が人間関係が希薄になっている。
今こそ、歌声喫茶のような場所が必要なのではないかと思う。
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★11月24日*オリヲン座からの招待状★スローライフ/トリビアの井戸:おくどさんの語源 * UP
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Last updated  2008.11.30 18:44:15
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2008.09.05
カテゴリ:昭和恋々
藤子不二雄Aの「少年時代」を読んだ(まだ1巻だけだけど)。
少年時代:あらすじ
太平洋戦争末期、主人公の風間進一は東京から富山へ疎開する。
そこで進一はタケシという少年と友達になるが、学校では権力の強いタケシは進一を冷たくあしらう。
やがてタケシと級友達との権力争いが始まると、進一はその争いに徐々に巻き込まれて行く。

「少年時代」は映画でも有名で、映画の中で歌った、井上陽水の「少年時代」もヒットした。

映画は見たことがあるが、漫画ははじめて。
藤子不二雄Aの作品ということもしらなかった。

作家柏原兵三の書いた「長い道」という原作を藤子不二雄Aが漫画にしたということも知らなかった。
脚本が山田太一ということも・・・。
藤子不二雄Aは、小説「長い道」を読んだ時、
「これは自分の物語だ」と思ったという。
藤子不二雄Aも戦時中、疎開していたのだ。
「長い道」の作者と藤子不二雄Aは同じ12歳でしかも、山をひとつ越えたところに住んでいたのだった。

少年時代漫画の連載の依頼を受けた時、不意に
「あの疎開のドラマを描こう」と思ったという。
「長い道」を原作に自分の体験を交えて描いたのだが、連載を始める前に担当の編集者に言ったとう
「この漫画は、人気投票の枠外において欲しい。
どんなに、評判にならなくても、途中で切らないで欲しい。
一年で終わるから。」

連載中、読者の反響は、なかったが、
1年後、最終回を読んだ読者からの反響はすごかったのだという。
この漫画の中では、田舎の少年は実によく、体を動かしている。
貧しいけれど、勉強が出来、家の手伝いをよくする、タケシという少年など、その代表。
父親が体が弱いので小学生のタケシが農作業をする。
一時間ほど歩いて、海まで泳ぎに行く。
もちろん、殴り合いのケンカもする。
山に入って、ユリの根を採ったりする。

少年たちは、家の手伝いをするが、畑にスイカを盗みに行ったりと、いたずらもする。
そんな暮らしが東京育ちの主人公、進一には、新鮮だった。

少年の日の楽しさや、苦しさ。
「少年時代」は、だれもが経験する、ほろ苦い少年の日の思い出が描かれている。

人には皆、少年時代がある・・・そして、人は、皆、大人になっていく・・・。
  
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★9月5日*蝶になりたい・・・/「菊次郎とさき」:たらい * UP
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Last updated  2008.09.07 21:04:49
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2008.08.09
カテゴリ:昭和恋々
ここ最近、半田健人(はんだけんと)という24歳のイケメンが気になって仕方がない。

★半田 健人(はんだ けんと、1984年6月4日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、コラムニスト。
兵庫県神戸市生まれ、兵庫県芦屋市出身。
兵庫県立芦屋高等学校卒業。身長177cm、体重53kg、B88・W65・H86。
ヒロックスエンターテインメント所属。★

しかし、彼が有名になったのは、イケメンだからではない。
1984年生まれというのに、昭和歌謡が大好きだ。
それは単なる好きというのを超えて、解説者のようだ。

「半田健人」で検索をしていて、知ったのだが、彼はすでに、昨年あたりから、いやその前から活躍していたらしい。
それを知らないで過したことを、ものすごく、もったいないと思っている。
昨年、放送されたNHKの「通(つう)」という番組の中で、23歳の半田健人さんが、30代の芸人、
「ますだおかだ」を相手に歌謡曲を解説するとうのがあった。

半田健人:「サウスポー」を語る音が出ます。

その落ち着いた語り口は、23歳とは思えない堂々たるものだ。

その様子を別の部屋から見ていた阿久悠氏が
「やるな、小僧、気に入ったぜ」と舌をまいた。


そんな縁でこの後、阿久悠対半田健人という夢の対決が予定されていたらしいが、かなわぬまま、阿久悠氏が亡くなった。
その直後、自身が書いている、歌謡曲解説ブログ「半田健人『俺の聞き方』」で、
*■「さらば涙といおう」■」*とう曲の紹介をしながら、阿久悠氏の死をいたんでいる。

そういえば、半田健人さんは、作家の久世光彦氏とも、プライベートで、一緒に歌を歌ったという
ものおじしない、堂々とした態度は、世代を超えて好感を持たれるのだろう

歌謡曲だけでなく、高層ビル、鉄道、などなど多趣味だ。
また、その「好き」を解説するのが上手く、読売新聞夕刊に連載エッセイを持っているというから驚く。


そのエッセイのタイトルは、自分が書いたというほど、字も上手いらしい(習字5段)!!
歌手より上手い、歌唱力でついに歌手デビューを果たした、半田健人。
これからの活躍が楽しみな人だ。

半田健人公式サイト
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★8月9日*手火(てび)* UP
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Last updated  2008.08.10 12:47:25
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