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八百八橋散歩

2019.06.17
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カテゴリ:八百八橋散歩

平野橋(ひらのばし)は、大阪市中央区の東横堀川に架かる、大阪市道平野町京町堀線 の橋。

■概要・歴史■
大坂城築城の頃に東横堀川が開削されてからそう遅くない時期には架けられたとされている。
江戸時代には、平野橋西詰の平野町は御霊神社の鳥居前町として日用品を扱う商店街を形成していた。

毎月1日と6日には、平野橋東詰の内平野町にあった神明神社にかけて夜店が出て賑わった。
大塩平八郎は乱を起こしたとき、船場の豪商の屋敷を破壊し、火を放って大坂城方面へ向かったときに平野橋を渡った後、東詰の内平野町で奉行所の兵を相手に戦闘となっている。
最初の架橋以降、木橋の規模は橋長約62m、幅員約4.1mであり、1898年(明治31年)に鉄橋に架け換えられた時もほぼ同規模であった。

現在の平野橋は1935年(昭和10年)に第一次都市計画事業に基づいて架け替えられたものである。
上路ランガー桁とよばれる形式で、当時世界初であるといわれた。
現在でも珍しい部類とされる。

 たしか、■銀二貫■だったと思うけど、平野橋の近くに夜店のことが書いてあったと思う。
もう一度読んでみよう。


橋長:62.5m
幅員:11m
形式:鋼アーチ(上路3径間逆連続ランガー桁)
完成:1935年(昭和10年)

■東横堀川の橋■上流から
葭屋橋■ - 土佐堀通
今橋
高麗橋
(東横堀川水門)
平野橋
大手橋
本町橋 - 本町通
農人橋 - 中央大通
久宝寺橋
安堂寺橋
末吉橋 - 長堀通
九之助橋
東堀橋
瓦屋橋
上大和橋
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Last updated  2019.06.17 00:01:24
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2019.06.14
カテゴリ:八百八橋散歩

東横堀川■に沿って歩いていたら、水門に船がいた。


東横堀川の■高麗橋■と平野橋の間に、水門がある。

東横堀川と道頓堀川にある東横堀川水門と■道頓堀川水門■によってこの水域の水位を一定に保っていて、ここを通過する際、水門の仕組み(動き)を見ることができます。
水質を保つために大川から多くの水が流れ込む調整機能もあるんですよ。
この水門の北側に架かっている高麗橋から、水門を通過する船の様子を眺められるのも楽しいところです。

道頓堀水門と対になって機能しています。
建設された目的は、比較的きれいな水が流れている大川の水を、淀んで色もくすんでしまっている道頓堀川と東横堀川に取り入れることにあります。


水門の働き

(1) 高潮の防御:大雨や高潮により水位が上昇する時は、水門を閉め、浸水被害を防ぎます。

(2) 水位の制御:道頓堀川は潮の干満によって水位が変動する川ですが、両水門により、河川水位をほぼ一定に制御します。

(3) 閘門機能:水門の前後で水面の高さが違う時に、水門内で水位の調整を行い、船舶を航行させることができる閘門を併設しています。

(4) 水門操作による河川浄化:大阪湾の潮の干満に合わせた水門操作を行い、寝屋川の汚れた水の流入を防ぎ、大川(旧淀川)のきれいな水を導き入れています。


◆上げ潮時
 東横堀川の水門を開け、きれいな大川の水(浄化用水)を東横堀川・道頓堀川に取り入れます。
 その結果、道頓堀川・東横堀川には、きれいな水が貯留されます。

◆下げ潮時
 道頓堀川水門を開け、東横堀川・道頓堀川の水を下流へ流し、水の入替えを行っています。
 また、東横堀川水門を閉じ、寝屋川からの汚れた水が東横堀川・道頓堀川に入らないようにします。

東横堀川■の橋上流から
葭屋橋■ - 土佐堀通
今橋
高麗橋

(東横堀川水門)
平野橋
大手橋
本町橋 - 本町通
農人橋 - 中央大通
久宝寺橋
安堂寺橋
末吉橋 - 長堀通
九之助橋
東堀橋
瓦屋橋
上大和橋
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Last updated  2019.06.14 00:14:49
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2019.06.03
カテゴリ:八百八橋散歩

東横堀川

■地理■
土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。全長約3km。
西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。

阪神高速1号環状線(南行き)の経路に利用されており、

川に蓋をするように高架橋が覆い被さっている。
地図によっては阪神高速の表記のみで、東横堀川の表記を省略するものも見られ、川の存在感が薄れがちである。

以前は川底にヘドロが蓄積され、ガスが発生するほど汚れていたが、地元住民や自治体の努力によって水質は改善傾向にある。
2000年(平成12年)には東横堀川水門と道頓堀川水門を設置して、高潮の防御および河川水位を一定に制御することが可能になり、親水性の高い水辺再生への取り組みがなされている。

■歴史■
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命により大坂城の西惣構堀として開削された、大阪市で最古の堀川である。
なお、1594年(文禄3年)の開削とする説もある。
1615年(慶長20年)に大坂冬の陣で徳川方と豊臣方が和睦する際、大坂城の惣掘の一部であるので和睦の条件の通りに埋め立てられた。
しかし、大坂夏の陣で大坂城が落城するとすぐに掘り返され、ほぼ同時に堀止から西へ道頓堀川が開削され、1622年(元和8年)には末吉橋の下流側から西へ長堀川が開削された。

大坂の街を東から西にへ、滔々(とうとう)と流れる大川。
その大川から分流し、北から南へと流れる東横堀川。
川の境目には築地と呼ばれる造成地があり、葭屋橋(よしやばし)という低い橋が架かる。
船の往来に妨げにならぬよう、葭屋橋(よしやばし)には橋脚がないことで知られ、名所のひとつになっていた。
(略)
一つ手前の今橋に立てば、眼下に葭屋橋(よしやばし)、それに大川と東横堀川の交わる景観を望むことが出来る。
今橋の欄干はとても低く、油断して身を乗り出せば川へ落ちそうになるのだが、橋の中ほどに佇んで眺める旅人が後を絶たない。
大坂名所ということで役人も大目に見ていた。
(「花だより」より)


■東横堀川に架かる橋■上流から

葭屋橋■ - 土佐堀通(▲写真右)と今橋(左)は、東詰でV字型に架かっている形になっているが、元は別々に架かっていた。

今橋
高麗橋
(東横堀川水門)
平野橋
大手橋
本町橋 - 本町通
農人橋 - 中央大通
久宝寺橋
安堂寺橋
末吉橋 - 長堀通
九之助橋
東堀橋
瓦屋橋
上大和橋
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Last updated  2019.06.03 00:02:41
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2019.06.01
カテゴリ:八百八橋散歩

以前blogに書いた、中島掘割のこと。

中島掘割は、堂島川と土佐堀川にはさまれた中ノ島に作られた掘割。
これまでは、作られた時代や埋め立てられた時代、秋月橋の上に架かる橋の名前などよくわからなかった。
  「大阪の橋ものがたり」によると、

「明治11年(1876)、中ノ島掘割は、大阪駅に荷を運ぶ大型船を通す目的で、■梅田入堀川■とともに開削され、
北側に中島橋、南側に秋月橋が架けられた。」とあり
昭和32年(1957)に埋め立てられた。


とある。

そこで、新たな疑問が湧いてきた。
 「みをつくし料理帖・特別巻:花だより」で江戸時代の大坂の地図があり、

そこに中ノ島掘割らしきものが見える。
明治になって作られたはずの掘割がなぜ、江戸時代の地図にあるのか・・・???
謎だ・・・。



中ノ島掘割を再度下記に記しておく。


中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島だ。
例えば、土佐堀川で荷物を積んで、地図で真上の堂島川に渡るには、どうするのか?
今ならエンジンが付いた船で簡単に渡れるが、かつては手でこぐのだから、なるべく遡るのは避けた方がいい。

そこで土佐堀川と堂島川を繋ぐ中之島を縦貫する水路、堀川=中之島掘割があった。

▲■土佐堀川と秋月橋と朝日新聞大阪本社の社屋
土佐堀側、左端が秋月橋、白壁が本社の長屋門、右端は旅館「西照庵」。(株式会社朝日新聞社所蔵)

かつてあった、■今はない西横堀川■から出た船が、
土佐堀川■を渡り、
中之島掘割を通り
堂島川■を渡り、
堂島掘割(梅田入堀川)■に入る。
そこから大阪駅に船で荷物を運び、大阪駅からは、列車を使うという風になっていたそうだ。


中之島を縦貫していた中之島堀割。

中之島堀割は土佐堀川から堂島堀割に入るための捷路という意味合いが強く,大阪駅の荷揚場廃止とともに埋め立てられ,姿を消した。

中之島掘割には、橋が架かっている。
一つは、「秋月橋」
で、もうひとつは名前が書いていない。
そこで調べてみると、
中之島堀割ノ橋ヲ、秋月橋、 中島橋ト云、
とある。
中之島橋というのか、と思っていたら、■比丘尼橋■という記述もある。

いまの中之島は貞享年間まで現在の日本銀行支店の西方に堀割があって、
これによって堂島川と土佐堀川の水が連絡し、           
この堀割から東を上中之島、西を下中之島(肥後島)と称し、
両島を東西に結ぶ比丘尼橋が架けられていた。


(▲この橋はばら園橋。)
中之島掘割は、こんな感じだったのだろう。
セピア色の写真はここからお借りしました。
(右、土佐堀川、左、堂島川)

中之島の東の方には、バラ園になっている小さな島がある。
(セピア色の写真)

1766年(明和3年)、当時の中之島東端に■「山崎ノ鼻」■と呼ばれる新地が埋立造成されて遊興地・景勝地となった。
1891年(明治24年)に大阪市初の市営公園として整備され、
1921年(大正10年)に行われた大川の浚渫で出た土砂の埋立により、現在の形状となった。


なぜ、離して作ったのか?
同じ埋め立てるなら、繋いだ方がいいのにと思っていたが、船が通りやすいようにわざわざ離したのだ。

ここは、■東横堀川■があり、通路を通れば■今はない天満堀川■に繋がっている。

こんな形で中之島堀川もあったのかと納得した。

 「みをつくし料理帖・特別巻:花だより」で江戸時代の大坂の地図があり、
 そこに中之島掘割」が!!
■川の痕跡巡り■
西横堀川の痕跡と金屋橋
難波新川の名残り
天満堀川跡と太平橋
梅田入堀川跡と出入り橋

廃川跡を行く
古代の運河 古市大溝
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Last updated  2019.06.01 00:16:39
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2019.04.18
カテゴリ:八百八橋散歩

玉江橋は
大江橋や渡辺橋と同様に、元禄期の堂島開発によって架けられた橋である。
この時、古代大坂に架けられていたとされる堀江橋の名前で復活されたが、のちに玉江橋と変更されている。
玉江の由来は、『中之島誌』によると、欽明朝のころ堀江で美しい玉が見つかり、堀川戎神社の御神霊としたが、その場所を玉江と呼んだという縁起から命名したとされている。

江戸時代、玉江橋の北には肥後藩、中津藩の蔵屋敷があり、南には久留米藩の蔵屋敷や理宝院という薬師堂があり、縁日には大層賑わった。

(▲玉江橋は、一本に見えて2本に別れている。)

明治18年の大洪水で流失した後、一たん木橋で復旧されたが、明治42年の北の大火で類焼している。
その後、昭和4年に第一次都市計画事業によって近代的な3径間鋼ゲルバー桁に架け替えられた。
昭和44年には高潮対策による嵩上とともに下流側に新橋が架けられ、拡幅された。

また、平成3年には改装工事が行われ、土佐堀川の常安橋とともに、現代的なアルミ製の高欄や照明灯、タイル舗装が用いられている。

福澤諭吉は玉江橋の北詰にあった中津藩の蔵屋敷で生まれている。


▼写真下の常安橋も玉江橋同様
 

二つに分かれている。

■堂島川の橋■
天満橋■洪水で流失、耐久願い鉄橋に
天神橋■江戸時代にだんじり崩落事故。
難波橋(なにわばし)■ライオン橋
鉾流橋(ほこながしばし)
水晶橋■本来は汚水排出用につくられたダム。
大江橋■ 日の目を見なかった第二案
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋■と堂島米市場跡碑

田蓑橋(たみのばし)
玉江橋
堂島大橋
上船津橋
船津橋
土佐堀川に架かる橋
天満橋■洪水で流失、耐久願い鉄橋に
天神橋■江戸時代にだんじり崩落事故。
難波橋(なにわばし)■ライオン橋
栴檀木橋(せんだんのきばし)
淀屋橋(よどやばし)■ - 御堂筋(国道25号)の橋
錦橋(にしきばし)■ - 歩行者専用の橋
肥後橋(ひごばし)■ - 四つ橋筋の橋
築前橋(ちくぜんばし)
常安橋(じょうあんばし)■ - なにわ筋の橋
越中橋(えっちゅうばし)■ - 歩行者専用の橋
土佐堀橋(とさぼりばし)■ - あみだ池筋の橋
湊橋(みなとばし)■ - 新なにわ筋の橋
端建蔵橋
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Last updated  2019.04.20 11:53:36
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2019.04.17
カテゴリ:八百八橋散歩

当時の姿でよみがえった大正ロマン建築
2013年のグランドオープンに際して、1925(大正14)年に渡辺節の設計で建てられた旧ダイビル本館を見事に復元。

ギリシャ風彫刻が施された柱、

吹き抜けのエントランスなど見どころたっぷりだ。




大正15(1926)年に渡辺節の設計で建てられた、ネオ・ロマネスク様式の大規模なビルディングです。


上部はスクラッチタイル貼りのシンプルな外観ですが、

1階の北側正面には大國貞蔵と言う彫刻家が手がけた

円柱が並ぶ濃密なデザインが施されています。

渡辺節設計で同時期に建てられた東京の旧丸ビルが既に取り壊され、大正期の大規模オフィスビルとしては、神戸の商船三井ビルとこのダイビル本館が、現存する最後のもので貴重なものです。

平成22(2010)年の建て替え(高層ビル化)が決定していて、取り壊される寸前になっていた。

堂島川に浮かぶ船を思わせる建物に保存運動が高まり、残された。


前の歩道は、レンガが、ヘリンボーンの形に敷かれている。











▲入口

▲入口▼


靴
住所:大阪府大阪市北区中之島3-6-32
アクセス:Osaka Metro四つ橋線「肥後橋駅」から徒歩5分 
     または、JR東西線「北新地駅」から徒歩10分 
営業時間:店舗により異なる
定休日:店舗により異なる
ダイビル本館
大阪中之島の中央部分にあるダイビル本館。

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Last updated  2019.04.20 11:53:16
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2019.04.16
カテゴリ:八百八橋散歩

田蓑橋は
元禄時代、堂島開発によって架けられた橋の一つである。
それぞれの橋には大坂に古くから伝えられた由緒ある橋の名や歌枕として有名な地名などから採って付けられたが、田蓑は古代の大阪にあったとされる八十八島の一つ、田蓑島に由来する。

橋の周辺は各藩の蔵屋敷が建ち並んでいた。
南西側にあった広島藩の蔵屋敷の塀際には、蛸の松という姿の良い松の巨木があり、名所になっていた。
近年、広島藩の蔵屋敷跡の発掘調査が行われ、大規模な舟入の構造などが確認された。

田蓑橋が近代橋になったのは第1次都市計画事業によってである。
現在では見られないが、優美な形のコンクリートアーチで、戦前の大阪の橋の中でも屈指の美しい橋であった。
この橋の設計にあたって、大正13年に行われた大江橋の意匠設計コンペの第3等の作品が参考にされた。

ロマネスク風のデザインをもった名橋も地盤地下には勝てず、上部工が架け替えられた。
橋体を出来るだけ軽くするために鋼床版桁が用いられている。


雨により田蓑の島をけふ行けど名にはかくれぬものにぞありける
紀貫之(古今集)
雨なので、蓑を着て田蓑の島に今日行ったのだけれど、
蓑という地名だけでは体を隠すものにはならない。

*ここの田蓑は、田蓑島のことで、田蓑橋ではない。

田蓑神社、佃、佃煮

蛸の松(たこのまつ)は、
大阪市福島区福島1丁目にある松の木の名称。
堂島川の右岸・田蓑橋北詰の袂にある。

最初の蛸の松は、堂島川の左岸・現在の田蓑橋南詰のもう少し下流側、玉江橋との中間ぐらいの位置にあった。
枝振りが蛸の泳ぐ姿に見えるということから、「蛸の松」と呼ばれるようになった。
その松の木は慶安年間に福島正則が植えたといわれており、その後、すぐ近くに屋敷を構えていた浅野氏が毎年扶持十石を与えて維持したという。
しかし、明治44年(1911年)についに枯れてしまった。

その切株の一部は、現在も大阪教育大学の天王寺キャンパス内に保存されている。
なお、現在の蛸の松は平成16年(2004年)に護岸工事の一環として植えられたものである。


蛸の松がある対岸に「大阪府師範学校跡」の石碑。
切株の一部は、現在も大阪教育大学の天王寺キャンパス内に保存されている。というが、今の教育大は、当時「大阪師範学校」。

明治10年6月にここに出来たあと、明治34年3月に天王寺に移転した。

「この地に蛸の松があったという」文字。

大阪大倉商業学校跡地

大阪大倉商業学校跡地の碑が堂島川沿いの遊歩道にあります。

柵の向こう側にあって少し見にくいです。
この地に前身となる関西商工学校が明治35年に発足。
その後、大倉喜八郎が明治40年に大倉商工学校を開設しました。

ホテルオークラなどの経営で有名な大倉財閥の大倉喜八郎が、
私財を投じて大阪大倉商業学校を開校しました。
堂島川に面し、府立大阪医学校(現在の大阪大学医学部)に隣接する府有地を、無償で借りたわけです。


天満橋■洪水で流失、耐久願い鉄橋に
天神橋■江戸時代にだんじり崩落事故。
難波橋(なにわばし)■ライオン橋
鉾流橋(ほこながしばし)
水晶橋■本来は汚水排出用につくられたダム。
大江橋■ 日の目を見なかった第二案
中之島ガーデンブリッジ
渡辺橋

田蓑橋(たみのばし)
玉江橋
堂島大橋
上船津橋
船津橋


土佐堀川に架かる橋
天満橋■洪水で流失、耐久願い鉄橋に
天神橋■江戸時代にだんじり崩落事故。
難波橋(なにわばし)■ライオン橋
栴檀木橋(せんだんのきばし)
淀屋橋(よどやばし)■ - 御堂筋(国道25号)の橋
錦橋(にしきばし)■ - 歩行者専用の橋
肥後橋(ひごばし)■ - 四つ橋筋の橋
築前橋(ちくぜんばし)
常安橋(じょうあんばし)■ - なにわ筋の橋
越中橋(えっちゅうばし)■ - 歩行者専用の橋
土佐堀橋(とさぼりばし)■ - あみだ池筋の橋
湊橋(みなとばし)■ - 新なにわ筋の橋
端建蔵橋
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Last updated  2019.04.20 01:14:57
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2019.04.15
カテゴリ:八百八橋散歩

中之島は、堂島川と土佐堀川に挟まれた細長い島だ。
例えば、土佐堀川で荷物を積んで、地図で真上の堂島川に渡るには、どうするのか?
今ならエンジンが付いた船で簡単に渡れるが、かつては手でこぐのだから、なるべく遡るのは避けた方がいい。

そこで土佐堀川と堂島川を繋ぐ中之島を縦貫する水路、堀川=中之島掘割があった。

▲■土佐堀川と秋月橋と朝日新聞大阪本社の社屋
土佐堀側、左端が秋月橋、白壁が本社の長屋門、右端は旅館「西照庵」。(株式会社朝日新聞社所蔵)

かつてあった、■今はない西横堀川■から出た船が、
土佐堀川■を渡り、
中之島掘割を通り
堂島川■を渡り、
堂島掘割(梅田入堀川)■に入る。
そこから大阪駅に船で荷物を運び、大阪駅からは、列車を使うという風になっていたそうだ。


中之島を縦貫していた中之島堀割。

中之島堀割は土佐堀川から堂島堀割に入るための捷路という意味合いが強く,大阪駅の荷揚場廃止とともに埋め立てられ,姿を消した。

中之島掘割には、橋が架かっている。
一つは、「秋月橋」
で、もうひとつは名前が書いていない。
そこで調べてみると、
中之島堀割ノ橋ヲ、秋月橋、 中島橋ト云、
とある。
中之島橋というのか、と思っていたら、■比丘尼橋■という記述もある。

いまの中之島は貞享年間まで現在の日本銀行支店の西方に堀割があって、
これによって堂島川と土佐堀川の水が連絡し、           
この堀割から東を上中之島、西を下中之島(肥後島)と称し、
両島を東西に結ぶ比丘尼橋が架けられていた。


(▲この橋はばら園橋。)
中之島掘割は、こんな感じだったのだろう。
セピア色の写真はここからお借りしました。
(右、土佐堀川、左、堂島川)

中之島の東の方には、バラ園になっている小さな島がある。
(セピア色の写真)

1766年(明和3年)、当時の中之島東端に■「山崎ノ鼻」■と呼ばれる新地が埋立造成されて遊興地・景勝地となった。
1891年(明治24年)に大阪市初の市営公園として整備され、
1921年(大正10年)に行われた大川の浚渫で出た土砂の埋立により、現在の形状となった。


なぜ、離して作ったのか?
同じ埋め立てるなら、繋いだ方がいいのにと思っていたが、船が通りやすいようにわざわざ離したのだ。

ここは、■東横堀川■があり、通路を通れば■今はない天満堀川■に繋がっている。

こんな形で中之島堀川もあったのかと納得した。

 「みをつくし料理帖・特別巻:花だより」で江戸時代の大坂の地図があり、
 そこに中之島掘割」が!!
■川の痕跡巡り■
西横堀川の痕跡と金屋橋
難波新川の名残り
天満堀川跡と太平橋
梅田入堀川跡と出入り橋

廃川跡を行く
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Last updated  2019.04.19 22:44:38
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2019.02.25
カテゴリ:八百八橋散歩

用事があって、天満に行ったついでに、天神さんこと、大阪天満宮にもお参り。

(▲■表門■当社には六つの門があると書かれていた。表門は南中央にある。)
大阪天満宮は、大阪府大阪市北区天神橋に鎮座する神社(天満宮)。
延喜元年(901年)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、この地にあった大将軍社に参詣した。
そして、延喜3年(903年)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始める

この門をくぐるとき、若い男性や小さな小学生が頭をぺこりと下げていたのが微笑ましかった。

(梅の季節だった。)
大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。

▲■手水舎(てみずしゃ)■参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。

天神さんといえば、牛。

参拝客が頭をなでるから、牛の頭はピカピカ。

表門には、梅の模様の石の防火用水があった。
よく見ないと、看板に隠れて見逃す。
私は防火用水が好きだから見逃さなかった。(^▽^)/

誰が寄進したのかと思って調べたら、乾物商の問屋。
天満は乾物相が多い。
今はない天満堀川の近くにも■乾物商の寄進した灯篭が。
銀二貫■の舞台は天満で、乾物・寒天を扱っている設定。

表門から西に行くと蛭子(えびす)門がある。

表門と蛭子門の通りで見つけた、手押しポンプ!!
津田式手押しポンプが道の隅っこにあるということは、天神さんの防火のために違いない!!
津田式ポンプは、
ポンプ王と呼ばれる広島の津田喜次郎(きじろう)(1888-1959)が、大正9年(1920)に開発した昇進式ポンプです。

●蛭子(えびす)門の由来●
当宮には六つの門がありそれぞれに独自の用途と由来を持っている。
当門は入ってすぐ 左手に「戎社(蛭児社)」が祀られていたことから「戎(えびす)門」と呼ばれてきた。
江戸時代の「戎社」では 毎年の正月・五月・九月の十日に「蛭児尊遷殿神事」を斎行しておりこの年三回の「十日えびす」には数多くの参拝者が当門を利用した。
その後 「戎社」には境内西北に移されたが「戎門」の名は変わらずに今に伝えられている。
昨年正月に「十日えびす」を復興をしたのを記念してその由来をここに記す。
-平成二十年正月吉日 宮司 寺井種伯

梅
門の左の石垣は、度重なる船場の火災から守るために防火壁として作られたそう。
船場からの火災はこの防火壁で免れたが最後の火災「大塩平八郎の乱」は石垣のない方から火が攻めてきてしまった。

(▲蛭子門を入って見る境内と本殿)
本殿
現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建されました。
大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度もの火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837年)の大火では、全焼致しました。
その約6年後に、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在のご本殿が再建されました。
本殿内も他のお社に見られるようなきらびやかさは見られませんが、先の大東亜戦争にも焼けずに残ったのは、氏子の方々が焼ける自分の家を横目に見ながら「天神さんを焼いたらあかん」と守って下さったおかげです


歴史ある場所で古いものが残っているが、常夜灯とお百度石を兼ねたものが、表門を入ってすぐにあった。
反対側を見ると

安政二年  海上安全 家内安全
の文字が見える。
安政二年とは、江戸時代で1856年。 

梅が満開の境内は、出店がいっぱい。

観光客でにぎわっていた。
梅2
東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ                  菅原道真

靴  地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」、JR東西線「大阪天満宮駅」から徒歩
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Last updated  2019.02.25 00:01:44
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2019.01.12
カテゴリ:八百八橋散歩

西横堀川(にしよこぼりがわ)は、
かつて大阪府大阪市を流れていた運河。

土佐堀川の■錦橋■上流側より分流し、南に向かって流れて■道頓堀川■に注いでいた。

長さは約2.5km。
中央区と西区の境界で、埋立後の跡地は阪神高速1号環状線(北行き)の高架と大阪市西横堀駐車場に利用されている。


(▲金屋橋から見た、残っている西横堀川。)
現在は道頓堀川から北に分流し、

金屋橋を少し越えた部分だけが残存し、ここから土佐堀川への合流部まで埋め立てられている。


▲埋められた川の跡は、高速道路が走っている。
西横堀川は、土佐堀川の肥後橋の北まで流れていた。


(▲金屋橋から見た道頓堀川を行く船。)

■西横堀川に架かっていた橋■
上流から
西国橋 - 土佐堀通
船町橋
尼ヶ崎橋
筋違橋
呉服橋
京町橋
新天満橋
相生橋
敷津橋
信濃橋 - 本町通
江達橋 - 中央大通
篠橋 - 中央大通
新渡辺橋
助右衛門橋
新町橋
上繋橋 - 長堀通
下繋橋
御池橋
清水橋
木綿橋


現存する橋■金屋橋 - 最下流
西横堀川とその橋の跡を歩く

■川の痕跡巡り■
西横堀川の痕跡と金屋橋
難波新川の名残り
天満堀川跡と太平橋
梅田入堀川跡と出入り橋

廃川跡を行く
古代の運河 古市大溝

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Last updated  2019.01.12 12:33:39
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maki5417@ Re:伊賀上野1泊旅行:伊賀焼と長谷園(11/23) New! 確かに信楽焼みたいですね。 有名なのです…
天地 はるな@ Re[1]:昔語り:マツミドリが食べたい(12/26) miekoさんへ マツミドリ、知っている人が…
mieko@ Re:昔語り:マツミドリが食べたい(12/26) 私は岡山の総社市というところで育ちまし…

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