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おしゃれ手紙

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里山・歳時記

2019.10.12
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テーマ:■雑学王■(523)
カテゴリ:里山・歳時記
★神無月六日。
初亥のこの日は、幸の育った津門村では田の神が帰る日とされて、盛大に祝う。
「亥の子、亥の子」と束ねた藁で地面を打ちながら囃す、子どもらの声が懐かしい。
江戸では庶民の間では特に祭りはないが、この日から火鉢を出すのが習いとのことだった。「あきない世傳金と銀(六)」
★おはぎは12個、入れ物は一升枡。
昔ながらの作法通りに用意した・・・。
(猪子の日のしきたり)「あきない世傳金と銀」

(▲北海道・旭川に■「珈琲ちろる」■には、「亥」の文字の布が・・・。)

■小雪(しょうせつ)を過ぎ、朝夕ばかりか日中も、風の寒さが身に応えるようになった。
火鉢を使うのは、武家は神無月の初亥(はつい)、町屋はそれより遅れて二番目の亥の日とされている。
今年はそれぞれ十二日と二十四日がこれに当たる。
年寄りや病人の居る家では、武家に倣ってこっそり「玄猪(げんちょ)」と呼ばれる初亥に火鉢を出すのだが、それでもまだ大分と我慢せねばならなかった。「みをつくし料理帖第八弾:残月」


ギリシアの猪

イギリスの猪
亥年ですから:イノシシの語源
亥年ですから:バレンタインデー
亥年ですから:猪の目
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Last updated  2019.10.12 00:10:58
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2019.09.23
テーマ:歳時記(371)
カテゴリ:里山・歳時記
春の彼岸の頃は、畳の目一つずつ日が長くなると言われるが、秋の彼岸は逆に、畳の目一つずつ日が短くなり、冷たい秋風が吹くようになる。
秋分を中日として、前後七日間が彼岸であり、九月二十日から二十六日頃にあたる。
祖霊が来訪するのは、春、秋の彼岸と盆、正月であると言う信仰がわが国には古くからある。
秋の彼岸も、ほとんどは春の彼岸を同じように行う。
人々は「入り」、「中日」、「終わりの日」に仏壇に供えものをして祖霊をまつり、各寺では秋の彼岸会が営まれ、中日にそれぞれの菩提寺に参る。
 道南地域では、仏さんが餡子を好むと言って、春彼岸を同じ細長い団子やボタモチを供える。
稲作地帯では、秋の初穂をお供えするといって、その秋の新米を菩提寺に奉納する家もみられる。
実りの遅い年はこの頃が稲刈りの最中であり、農作業が忙しく、墓参りや寺参りを省略する家も多い。
供え物の団子は、春彼岸と同じ形に作る家が多いが、春の彼岸は花のつぼみの形にといってまん丸く、
秋の彼岸は開いたように丸い平らな団子を七つずつ供える家もある。
また、入りには丸い団子を七つ、中日にはボタモチを、彼岸の終わりには平らな団子を七つ供えたところもある。
平らな団子は、仏さんが帰るときに犬に追われたらぶっつける団子であると言う。
 秋の彼岸の中日は、有珠山の「お山登り」がある。
三年間通して登ると、思うことがかなうと言われ、地元の人々に限らず、遠方からも登りに来たと言われている。 

「北の生活文庫第6巻 北海道の年中行事」小田島 政子著

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Last updated  2019.09.23 00:07:55
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2019.07.24
カテゴリ:里山・歳時記
大川からは、催太鼓船(もよおしだいこぶね)、地車囃子船(じぐるまはやしぶね)などが打ち鳴らす賑やかな鳴り物が聞こえてくる。
 (略)
川岸に停泊している舞台船や供奉船(ぐぶせん)で鉦(かね)や太鼓が鳴り始めればいよいよ祭の幕開けだった。
水上に出ると川風が心地よい。
広岡家の船は神をお迎えする奉拝船の一つで、三十人を超す客が膝を連ねている賑わいだ。
団扇で涼をとりつつ、弁当や酒肴を楽しんでいる。
「あっちの船、寄席から噺家呼んで盛り上げたはるわ」
水上ですれ違う船どうし、互いに楽しんでいるのを伝えあうのも大阪ならでは。
せーだいやってまっかと声をかけ、ともに大阪締めで相手をねぎらい、すれ違う。
**どんどこ船**や御迎人形船には「ご苦労はんでおます」と挨拶し、川御霊(かわみたま)を乗せた船や神に仕える講社の供奉船(ぐぶせん)などには、どれだけ賑やかに騒いでいても沈黙してこれを送るのが礼だった。
(略)
打ちましょ、チョンチョン
・・・すれ違う供奉船(ぐぶせん)があり、船上の人々は互いにどこの誰の船だとたしかめあいつつ、そろって大阪締めを交わしあう。
**大阪締め**は、売る米と買う米の値段が一致した時、それで決まったと約束して打ったのが始まりという。
「優雅に聞こえるけれど、いったん締めたからには命を賭けて守りましょうと打ったのよ」
紙に書いた契約書も何もない、ただ口約束の米の値段。
だがそうやって互いに納得して手を打ったからには、どんなことがあろうとも守り抜く、それが大阪商人の信義であった。
この土佐堀で長く米の仲買をやってきた加島屋であるからこそ伝える話である。

 ■「負けんとき(上) ヴォーリズ満喜子の種まく日々」■:玉岡かおる

**どんどこ船**
起源は前述の御迎人形をかざった船から来ている。元々は伝馬船を使っていたため伝馬ともてんまとも呼ばれる。名前の由来はどんどこと音をかき鳴らしながら進む姿から来ているとされている。鉦太鼓に合わせて28人の漕ぎ手が一斉に櫂を漕いで進む姿は勇壮である。

**大阪締め[編集]
大阪締めは大阪を中心に行われている手締めである。大阪では「手打ち」という。
一般的な流れ
「打ーちまひょ(打ーちましょっ)」 パンパン
「もひとつせ」 パンパン
「祝うて三度」 パパン パン(天満・船場周辺)、パン パン パン(生玉神社周辺)、パンパン パン(平野郷)
「おめでとうございますー」パチパチパチ…(拍手)

天神祭りは、7月24日から25日。
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Last updated  2019.07.25 10:36:40
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2019.04.27
テーマ:歳時記(371)
カテゴリ:里山・歳時記
■魚島どき■
四月から五月にかけては江戸時代から続く「魚島どき」と呼ぶ風習があった。
この時期に鯛は産卵のために瀬戸内海に群をなす。
このとびきりの桜鯛を、船場では親戚や親しい家同士で贈りあった

「一番おいしく値段も安くなる旬のものを食べるのが大阪の食。
合理的でしかもぜいたくです。
普段は始末してますが、お正月や年中行事や法事などのハレの日には必ず出入の仕出し屋さん(プロ)に頼んで最高の味を堪能しました。
奉公人たちもお相伴にあずかって一流の味を覚えました。
そうして皆の舌がこえたことが大阪が誇る食文化につながり食い倒れのまちになったのでしょう。」

大阪市立 住まい情報センター「あんじゅ」より。
魚島・魚島どき
春に、魚が産卵のため陸地近くへ押し寄せ、小島のように見える現象。
また瀬戸内海で、八十八夜の前後、鯛が盛んにとれる時期。
魚島時 (うおじまどき) 。
《季 春》「魚島の大鯛得たり旅路きて/秋桜子」

魚島どきという言葉をはじめて聞いたのは、■朝ドラ・ごちそうさん■。
船場という地域限定だったためか、私はドラマを見るまでこの風習を知らなかった。
旬を大事にしていたのだなと思う。
細雪■に、次女・幸子だったか三女・雪子だったかの鯛に対する思いがあった。
細雪の四姉妹も船場の生まれだ。
★貞之助が笑ったのは、鯛とはあまり月並過ぎるからであったが、しかし彼女の説に依よると、形から云っても、味から云っても、鯛こそは最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。
彼女のそう云う心の中には、自分の生れた上方こそは、日本で鯛の最も美味な地方、―――従って、日本の中でも最も日本的な地方であると云う誇りが潜んでいるのであったが・・・(略)
まだい
「まだい」は通年出回り、産卵後の痩せた時期を除いては、いつでも美味しく食せます。
あえて旬をあげるならば、産卵後で食欲が増え体が回復し、身に脂がのる晩秋から春の産卵期前までといえます。
産卵期の「まだい」は桜の時期と重なり、また色合いも美しい桜色なことから「桜鯛」と呼ばれ珍重されてきました。

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Last updated  2019.04.27 19:23:10
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2019.03.18
テーマ:歳時記(371)
カテゴリ:里山・歳時記

大阪くらしの今昔館で行われている、
企画展 モダン都市大阪の記憶
2019年3月2日(土)~4月7日(日)という催しを見てきた。

その中で、「四天王寺の蛸めがね」というのが絵入りで展示してあった。
1887年(明治20年)生まれで、大正、昭和初期に活躍した画家、小出 楢重(こいで ならしげ)が子供時代に見た、見世物でにぎわう四天王寺の「蛸めがね」について書いていた。
子どもだった、小出楢重は、この「蛸めがね」が気に入って、
「(中略)私は、今になお彼岸といえばこの蛸めがねを考える。
(中略)何にしても忘れられない見世物である。」と記載されている。
めでたき風景 小出楢重

春の彼岸とたこめがね
「境内へ入るとその雑沓の中には種々雑多の見世物小屋が客を呼んでいた。
(中略)その多くの見世物の中で、特に私の興味を捉えたものは
蛸めがねという馬鹿気た奴だった。

これは私が勝手に呼んだ名であって、原名を何んというのか知らないが、
とにかく一人の男が泥絵具と金紙で作った張(はり)ぼての蛸を頭から被るのだ、その相棒の男は、大刀を振り翳(かざ)しつつ、これも張りぼての金紙づくりの鎧を着用に及んで張りぼての馬を腰にぶらさげてヤアヤアといいながら蛸を追い回すのである。
蛸はブリキのかんを敲(たた)きながら走る。

(▲これがレンズの眼鏡)
今一人の男はきりこのレンズの眼鏡を見物人に貸付けてあるくのである。
この眼鏡を借りて、蛸退治を覗のぞく時は即ち光は分解して虹となり、無数の蛸は無数の大将に追廻されるのである。
蛸と大将と色彩の大洪水である。
未来派と活動写真が合同した訳だから面白くて堪まらないのだ。
私はこの近代的な興行に共鳴してなかなか動かず父を手古摺てこずらせたものである。
 
私は、今になお彼岸といえばこの蛸めがねを考える。
やはり相変らず彼岸となれば天王寺の境内へ現われているものかどうか、それともあの蛸も大将も死んでしまって息子むすこの代となっていはしないか、あるいは息子はあんな馬鹿な真似まねは嫌だといって相続をしなかったろうか、あるいは現代の子供はそんなものを相手にしないので自滅してしまったのではないかとも思う。
何にしても忘れられない見世物である。


*春のお彼岸は3月18日(月)から3月24日(日)
企画展 モダン都市大阪の記憶
2019年3月2日(土)~4月7日(日)
今も昔も、大阪は魅惑的なビジュアルに満ちています。
美しくパッケージされた商品、目を引く広告パンフレット、凝ったディスプレイ、豪華な百貨店建築、橋や道路、地下鉄などの都市基盤も含め、それらは形態、形象、記号の宝庫であり、往時のグラフィックからは華やかな時代の息吹が感じられます。
本展では、橋爪節也氏のコレクションから、明治~昭和期の絵画・チラシ・ポスター・雑誌などを紹介し、当時の写真とともに近代大阪を振り返ります。
百貨店、劇場、花街、交通など、さまざまな見所を持つモダン大阪を、グラフィックをたよりにそぞろ歩いてみませんか。


開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
会場:大阪くらしの今昔館 8階 企画展示室
休館日:毎週火曜日
主催:大阪市立住まいのミュージアム
入館料:企画展のみ300円、常設展+企画展 一般800円(団体700円)、高・大生500円(団体400円)、団体は20名以上 ※中学生以下、障がい者手帳等をお持ちの方(介護者1名含む)、大阪市内在住の65歳以上の方は無料(要証明書提示)

大阪学
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Last updated  2019.03.18 00:01:41
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2019.02.20
カテゴリ:里山・歳時記
みをつくし献立帖「貝寄風(かいよせ)」
烈風が大川を逆さになぞり、常にはない波が立っている。
風に攫(さら)われまい、とふたりは足を踏ん張った。
「えらい風やねぇ、野江ちゃん」
「今日は如月の二十日や、せやからこの風は・・・」
野江に言われて初めて、澪は、ああ、と気づいた。
「そうかぁ、貝寄風(かいよせ)やってんかぁ」
例年、四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)が行われる頃になると、強い西風が吹く。
この風が難波の浜に買いを吹き寄せる、と言い伝えられることから、
この地では、如月二十日前後に吹く風のことを「貝寄風」と呼ぶのだ。

貝寄風が過ぎれば、春も爛漫。
今はちらほらしかさいていない菜の花も一気に開花し、鮮やかな黄のうすぎぬを広げたようになる。

琵琶湖菜の花
(▲写真は琵琶湖の菜の花畑)
旧暦如月二十日前後といえば、今の暦で三月の終わりくらいか。

3月25日には■菜種の春ごと■という行事が大坂にあった。
菅原道真公の忌日を新暦にあわせた日に(3月25日)に米の粉を蒸し「クチナシ」で菜種色に色つけした団子を神前に供える祭りで、この団子をいただくと病気が治るということで多くの人が参拝する。
当日は稚児行列も行われる。
本格的な春がやっと来た頃だ。

梅
貝寄せや阿部野の梅の花も散る   紅秋 

貝寄る風の手じなや若の浦   芭蕉
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Last updated  2019.02.20 00:07:12
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2019.01.20
カテゴリ:里山・歳時記
 正月に食べるめでたい魚は、上方では鰤(ぶり)であった。
暮れに買ってきた塩鰤(ぶり)を天井からぶら下げて、元日から身を削いで食す。
最後に残ったあらで出汁を取って粕汁を作り、それが奉公人にも振舞われる。
この鰤(ぶり)に匹敵するのが、江戸では鮭。
だからこそ、澪は、鰤(ぶり)の代わりに鮭を使おうと思ったのだ。
「みをつくし料理帖:八朔の雪:ほっこり酒粕汁」

 江戸時代、粕汁は、上方のもので、江戸では食べなかったそうだ。

私は、粕汁が大好物だが、家人は、それほど好きではない。
下の娘など帰ってきても、粕汁というと、食べない。
でも、月に2回は作る。
 今年の正月に、この小説を再読して、粕汁が食べたくなった。
4日には、さっそく粕汁を作った。
松の葉
20日は正月の祝い納めとして仕事を休む物忌みの日であった。
この日をもって正月の行事は終了する。

京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を酒粕・野菜・大豆などと一緒に煮て食べることから骨正月・頭正月とも言う。

骨まで使う料理ってエコ。

他にも「みをつくし料理帖:八朔の雪」では、江戸のリサイクルやエコな暮らしが描かれている。

●漉(す)き返し紙
今でいう、リサイクルペーパー。
出汁をとった煮干し
出汁をとった煮干しで亭主の晩酌用に一品作る。
●サツマイモの皮。
イモはもちろんだが、皮を厚めに剥いてきんぴらを作る。
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Last updated  2019.01.20 00:03:13
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2018.07.07
テーマ:里山生活系(97)
カテゴリ:里山・歳時記
◎七月七日・七夕◎
七月七日の夜を七夕という。五節句のひとつ。
大坂では手習いする子供たちが五色の短冊や色紙などに詩や歌を書き、青竹に数々付けて師匠の家に持ち寄り、
七夕二星の軸を掛け、太鼓などを打って一日遊ぶ。
七夕に素麺(そうめん)。
その昔、高辛氏という人の女性が七夕の日に亡くなり、その霊が鬼神となってみなに「おこり」を病ませた。
その女性が生前に麦餅を好んだところから、当日*索麺(さくめん)*を食べれば「おこり」にならないといわれている。
今、一般の人は七夕に素麺(そうめん)を食べるがこうした古い言い伝えによるものだろうと「俳諧歳時記」にある。
「江戸あじわい図譜」より

*索麺(さくめん)*冷やした麺類のこと。
江戸あじわい図譜■ 
ご飯、酒肴、菓子、外食…。
季節を大切にした江戸時代の食生活を江戸・大坂・京都を比較しながら幕末の記録文書『守貞漫稿』を基本に約400点の貴重図版で実証。

  
*7月7日は、旧暦で、今の暦では40日後、8月17日ごろ。
私が子供の頃は、七夕をひと月遅れの8月7日にやっていた。
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Last updated  2018.07.20 04:26:09
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2018.03.03
テーマ:歳時記(371)
カテゴリ:里山・歳時記
ぼんぼり2 ◎上巳◎ 
三月三日を上巳という。
あるいは桃の咲く季節なので、桃の節句ともいう。
幕末期にはこの日大坂は住吉、江戸は深川須崎などで潮干狩りをする人がたくさん出る。
この日は三都(京、大坂、江戸)とも女性は雛祭をする。
しかし古くは雛遊びといって、普段の遊びだったようだ
そのことは「源氏物語」、「宇津保物語」にも、「枕草子」などにも出ていてわかる。
これは小さい子が土人形を並べ、鍋釜や台所で使う小さなものを使って遊ぶままごとのようなものだろう。
古い時代も、高貴の方の子女のものは雛の調度も美しく作られ、人形も綺麗に作られていたのだろう。
しかし一般では古くは紙や土の人形で、木の葉や蛤の殻をつかっていたのだろう。■江戸あじわい図譜■

 ■先日、源氏物語手鑑■を見に行った時、幼い女の子が人形で遊んでいる絵があって、「雛遊び」だということだった。

ここでいう「雛の節句」は、今の暦の一か月以上後。
だから桃の花も咲いている。

私の子どもの頃の雛祭は■4月3日。
桜の花も咲いていて、女の子だけでなく、大人も楽しめた。

クリスマスやバレンタインに押されて、昔のようなお祭り感は少なくなったけど、忘れてほしくない日本の祭りだ。
ぼんぼりおしゃれ手紙◆ため息の雛祭
私のお雛様は、夫の母から譲り受けた80年ほど前の押し絵雛。

お内裏様の冠や飾りがいたんでいたり、左大臣なんかは、左手をなくす大けがをしています。
でも「私の人形はよい人形」、気に入ってます。
それに、お道具が好き!
丁寧に漆が塗られ、細かい模様が描かれています。
これを作った人は
「どうせ、子どものおもちゃなんだから」なんてことは思わず、心を込めて作ったんだろうな・・・。
「いい仕事してますね」と思わず、中島誠之助してしまいます。
大坂の初湯
江戸時代の大坂の初午
鴻巣雛(こうのすびな)
昔語り:雛祭
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Last updated  2018.03.03 11:58:17
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2018.02.07
テーマ:歳時記(371)
カテゴリ:里山・歳時記
 大坂では、この日、大坂城近くの「城の馬場」と呼ぶ空き地で凧揚げをする。
筵で作った小屋で茶や蒟蒻の田楽を売る。
市民の老若男女は、弁当や酒などを持って集まってくる。
東西の奉行所や総年寄りの役宅では、邸内にある稲荷の祠に参拝することを許す。
東西奉行所では、この日、陶工を呼んで色々なものの姿を写させ、これも見物させる。
■江戸あじわい図譜■ 
ご飯、酒肴、菓子、外食…季節を大切にした江戸時代の食生活を江戸・大坂・京都を比較しながら幕末の記録文書『守貞漫稿』を基本に約400点の貴重図版で実証。
●イカというのは、江戸でいう凧のことだ。
京、大坂でイカ、イカのぼりなどと呼ばれていたものを江戸っ子が洒落っ気からタコと呼んだものらしく、 近頃では、浪花の地でもイカとタコという呼称が入り混じってる。
長崎ではハタと呼ぶらしい。(略)
(略)幼いころ、正月に大坂城の馬場や河原などでちょこっと遊んだくらいだ。■鍋奉行犯科帳:道頓堀の大ダコ

 今でこそすたれた初午(はつう)だけれど、昔は大いに賑わっていたという。
特に、子供が楽しみにしていたらしい。
初午(はつうま)とは、2月の一番目の午(うま)の日を指し、昔からこの初午の日に稲荷詣でをする風習の地域がある。
今年、2018年は2月7日だ。
とはいえ、この2月は旧暦なので今の暦になおすと、3月半ばくらいだ。
そろそろ、外に出たくなる陽気だ。

2月「初午(はつうま)」
大坂の初湯
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Last updated  2018.02.07 00:19:16
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