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おしゃれ手紙

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里山・歳時記

2020.08.15
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カテゴリ:里山・歳時記
 盆踊りは、盆に招いた祖霊を迎え、送るための念仏踊りであるといわれている。
盆踊りは道内の最大に楽しみとして、8月14日から16日の間、地域によっては二十日盆の頃まで賑やかに催されていた。
踊りの広場には小学校のグランドや寺、神社の境内などが利用され、青年たちの手で櫓が組まれ、太鼓の代わりに樽が持ち出され、歌の上手な歌い手の調子に合わせて子どもから大人まで幾重もの踊りの輪が出来た。
真狩村には、明治20年代から高知、徳島、神戸、富山、岐阜団体などが入地しているが盆踊りはどの集落でも盛んであった。
特に大正期のでんぷん景気の時期は最大の盛り上がりを見せたと記録されている。
 遊郭街の芸妓も繰り出し賑わった根室の盆踊りでは、明治15年頃、越後移住者が母村からもたらしたベッチョ節を踊り、
一週間で六丁の樽を叩き破るまで踊り続けるのが普通であったと言う。
音符 こうしてみると、北海道に移住した人々は、それぞれの地域で母村の盆踊りを披露していたことが分かる。
戦後は、「ハァー、北海名物 アードーシタドシター 数々 コリャ アーレドヨ」と歌う北海盆歌が盆踊りの主流となった。
下駄 踊りの好きな人は一晩で下駄がすり減るほどに熱狂したと言う。北の生活文庫第6巻

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Last updated  2020.08.16 22:42:35
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2020.08.03
テーマ:竹細工(32)
カテゴリ:里山・歳時記
北海道には竹細工に適した「真竹」が群生しないため、本州のように気軽に竹製品の遊具(竹とんぼなど)を作ることができなかった。
しかし、漁業、農業が盛んであったため、特に「ザル」や「カゴ」の需要が大きく、函館、江差、岩内、小樽などでは竹細工を生業する職人が数多くいた。
また1919(大正8)年から北海道の副業奨励政策に基づいて実施した「竹細工講習会」では、手カゴ、
背負いカゴ、うにカゴなど幅広い用途に使用する竹細工を教授し、竹細工職人の育成に努めた。
北海道の場合、材料には主に「ネマガリダケ」を使用するが、本州から取り寄せた真竹も使用する。
「北海道開拓村解説シート」より。

 北海道に竹がなかったというのは、■北海道・松前に行ったときにはじめて知った。
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Last updated  2020.08.03 00:03:53
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2020.07.07
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
■北海道歳時記:北海道の七夕■
北海道では、8月7日に行う地域が多く、6日に川の縁から採ってきた柳の一枝を家の前に立て、子供たちが「天の川」、「ひこ星」、「おり姫」などや願い事を書いた折り紙や色紙の短冊を下げて七夕飾りを作ります。
道南の函館市から七飯町あたりまでの地域では、一般にササダケと呼んでいる「アオネザサ」を使い、
八雲方面まで北上すると「ネマガリダケ(チシマザサ)」を使います。
さらに内陸部では、ネマガリダケが細くなってしまうため、「柳」を使って短冊を飾っています。
なす  そして、七夕を飾る柳の下に、小机や箱を置いて「七夕棚」を作り、菓子やスイカ、稲の穂、トウモロコシ、ナス、
キューリ キュウリなどの初野菜を並べたり、団子を飾ったりします。
ろうそく  また、北海道では、「ローソクもらい」と称して、子供たちが各家をまわってローソクをもらう風習があります。
子供たち5人から8人くらいで缶灯篭や提灯を手にして、はやし歌を歌いながら町内を練り歩くのです。
これは諸府県で行われてきた「七夕送り」の形態を踏襲したもので、今でも、6日の夜に子供たちがはやし歌を
歌いながら火や人形を用いて「穢れ」を「祓う」行事が行われている地域があります。 北海道歳時記:北海道の七夕

竹

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Last updated  2020.07.07 00:33:31
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2020.07.02
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
■北海道歳時記:半夏生(はんげしょう)■

一年中で最も日が長くなる夏至(6月21日頃)から数えて11日目、太陽が百度の位置に達する日を「半夏生」と呼び、新暦では7月2日頃に当たる。
青森県以南では梅雨の季節である。
全国的には、このころに農作業の節目の行事をする地域が多く、秋まきの麦を収穫して新麦で団子やうどんを作ったり、この日に麦がらを燃やすなど、麦にまつわる行事が多い。
北海道の海岸地域では半夏の行事は希薄であり、内陸部の農村地帯では「ハンゲハンサク」(半夏半作)などと言い伝え、この日以降に植え付けしても秋の実りは半減するとしている。
「ハンゲハネアガリ」とも言い、半夏が過ぎると天気になると言い伝えられ、母村では心待ちにしてたのであろうが、梅雨のない北海道でも同様に言い伝えられている。
 また、「ハンゲハンニチ、団子食って休め」とも言い伝えられている。
麦団子を食べる風俗は、母村では収穫に伴う「ハレ」の行事として位置付けられている。
 北海道では麦の取入れは7月20日過ぎになり、半夏の麦団子や麦まんじゅうの粉は前年収穫したものが用いられている。
このような半夏の行事は、昭和30年代以降人口が流動化するに連れて徐々に薄れていった。
北海道開拓の村:年中行事

七十二侯:半夏(はんげ)生(しょう)ず
六月捨(す)てえ
7月1日のことを「六月捨(す)てえ」と言い、農家では、焼餅を作り神仏に供える習慣があった。
■この日食べるのは、麦団子、うどん、流し焼き、などなど麦を使ったものが多い。
米がなく、麦の収穫が終わったところだからだろう。
ただし、それは本州で、北海道では、7月2日は麦の収穫前。

1980年の7月2日に、香川県生麺事業協同組合によって制定された「うどんの日」。
 大阪では今も「半夏生団子」、「半夏生餅」というものが和菓子屋で売られている。
「はんげしょう」ではなく「はげしょう」と読む。
私よりももっと歳よりの中には、「はぎしょ」と発音していた人もいた。
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Last updated  2020.07.02 00:15:29
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2020.04.03
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
ぼんぼり◆各地のひなまつり◆新潟県山北町◆
月遅れの4月3日に行い、ひし餅を作り雛人形を飾る。
ひし餅は栃餅・白餅・よもぎ餅を作る。
この3種は、天・地・人表現しているといわれている。
雛人形は2日~4日まで飾り、家に悪いことがおこらないようにと、家のある人形は全て飾る。
ぼんぼり2 ◆ひなまつりに繰り広げられる様々な風習◆雛荒らし◆
少年少女が一団となって家々を訪れ、豆炒り(炒り豆)やその他の供え物を貰っていく行事で、徳島県や岡山県
に多く見られる。



◆がんど打ち◆
「雛荒らし」と同じで、愛知県や岐阜県に見受けられる。
ガンドとは強盗のことを意味し、岐阜県大野郡では雛祭りに菓子を盗むことをガンドを打つといい、木曽にも
ガンドーチといって雛棚の酒や餅を子供たちが盗み食いする風習があったという。
節句に限定して公認された行為では、十五夜の時に月見団子を盗むというのと同様である。◆北海道歳時記:ひなまつり◆

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Last updated  2020.04.03 11:46:32
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2020.03.03
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
ぼんぼり2 ◆各地のひなまつり◆北海道雨龍町◆

3月3日には各家では紅白の餅、ひし餅、ぼた餅などを作り床の間に飾る。
雛人形の掛図を床の間に掛ける家は少なくないが、昭和25年頃より嫁の実家または婿家で雛人形を用意するようになった。
◆ひな段のはじまり◆
ひな段が始まったのは江戸時代の元禄以前と見られている。
段の数は、雛や調度品の増加に伴って寛延(1748~1750)頃は二段、明和(1764~1771)頃は三段となったといわれている。
江戸末期になると、内裏雛と称して雛段の上に内裏の有様を表現するようになり、左近桜、右近橘、随身、女房、白丁、稚児などを加えた。
ぼんぼり 調度品では反対に日常庶民が使用する箪笥、膳椀、化粧具、茶弁当その他の諸道具を飾るようになった。
この形式は明治期以降にも踏襲し、御殿の屋形を添えるようになった。
男雛・女雛の飾り方には一定の定めはなかったが、多くは男雛を向かって右側とした。
これを昭和御大典後から、両陛下の高御座と同様、男雛を左に飾ることが提唱された。
北海道開拓の村:年中行事

 夫の母は大正生まれで雛人形は、押絵雛。
男雛は、向かって右に置くように顔が作られていた。
人形を海や川へ流すことで、自分の身代りとして清めてもらうことが雛祭りの起こりだという。
今年こそ、本当に穢れを祓いたいものだ。
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Last updated  2020.03.03 17:44:20
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2020.02.03
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
豆まき 節分とは、季節の変わり目のことで、立春、立夏、立秋、立冬の前日をさし、1年に4回あります。
節分の主な行事。

2月初めは、陰暦の正月にあたり、暦日上重複または連続する日が多かったことから一部地域で、大晦日から正月にかけての行事の一部が節分の日に移行して行われたことが全国に伝わり、現在では、大寒の末日で春に季節が変わる立春の前日をさすようになりました。

各地で行われている節分には、大晦日に行われる新しい年の年占い、厄よけや邪気を払う行事が伝承されています。
●豆占い●
豆を焼き、その焼け方によって、一年間の月々の天候や豊凶を占う行事で、この性格から、農、漁村地域で多く行われていた。
和歌山県・那賀郡では、豆を12粒選んで、炉の灰の上に並べ、右から順々に正月、2月と数え、白く灰になる月は晴れ、黒く焼けにくいのは雨、息を吹くのは風、早く焼けてしまう月は旱(ひでり)と判断する。
他の地方でも方法はほぼ同じである。
北海道の日本海沿岸では、次に示すとおり、鰊漁を占う行事として、豆占いが行われていた。
■北海道・松前町■
神仏を拝み、炒った大豆を入れた一升マスを神棚に供えた。
その豆を炭火に当てて焼き、豆占いをした。
鰊漁占いとして、鰊の月別漁獲、漁場箇所を占って予想を立てた。
また、豆まきの晩は、家族の者を早く家に入れて豆まきをした。
玄関の戸をちょっと開け、
「福は家、鬼は外」と唱えて豆をまき、終わると戸を閉めた。
■北海道・熊石町■
男が裃(かみしも)を着て
「福は内、鬼は外」と豆をまく、その後を子どもが棒を持ち
「ゴモットモ、ゴモットモ」と言いながら歩き、豆を拾った後に御馳走が出る。

神様に供えた豆を下ろし、各々に親方の名前を付けて炒り、その色具合(黒・・・凶、、白・・・大魚)を見て漁を占う。
また、この日に家を訪問すると、福が来たといって酒、御馳走がだされ、その日は帰してもらえなかった。
■北海道・北桧山町■
炒った大豆を入れた升を神様に供え、
「福は家、鬼は外」と唱えて灯りを消して豆をまき、それを年の数だけ拾う。
主人は、その拾った豆で漁模様その他吉凶の占いをする。
■北海道・寿郡町■
鬼やらいの行事は、家族はもちろん訪問中の人でも外出を禁じられた。
年男は神社参拝をし、豆占いを行った。
豆占いは、神前に供えた豆を豆炉に並べ、こげつき加減でその年の鰊の豊漁を占うもので、また、この豆を災難除けとしてお守り袋に入れていた。
■北海道・余市町■
節分の豆を焼いて、鰊漁の好漁場や大漁の時期を占った。
また天気も占った。

「開拓の村」では、旧青山家漁家住宅において、鰊漁場で行われていた豆占いを再現しています。
その方法は、余市町と同様、炒った豆を炉に並べ、自分の漁場内における好漁場や漁期を占いました。
北海道・札幌;野外博物館:北海道開拓の村


北海道歳時記:餅つき
北海道歳時記:秋じまい・庭じまい
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Last updated  2020.02.03 17:44:40
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2020.01.20
テーマ:■雑学王■(567)
カテゴリ:里山・歳時記
昼の雪  今日は、1月20日は、大寒。
大寒は、「だいかん」
と読み、季節を表す言葉の一つです。
読んで字の如く、寒さが大きいと書くことから一年で最も寒いのが、この大寒の時期です。
 大寒は、毎年1月20日頃、もしくは1月20日から次の節気である「立春」までの期間を指します。
頃という曖昧な記述になるのは、必ずしも1月20日が大寒と決まっているわけではないからであり、2020年の大寒は1月20日となっています。
暦の上では、1月20日からが一年で最も寒い時期ということになりますが、実際には一週間ほど後の1月26日から2月4日までに最低気温を更新することが多く、若干のズレがあります。
 国内最低気温氷点下41度が記録されたのも、明治45(1902)年1月25日で北海道旭川。
ところで氷点下41度とはいったいどのような世界だったのでしょうか。
今よりもずっと寒さの厳しかったころの旭川では・・・。

夜の雪
●凍結で電線が切れた。
●電線に止まっていたスズメが凍って落下した。
●醤油が凍って瓶が割れた。
●灯油、清酒が凍った。
●多数の木々で「凍烈」がおきた。
などが、厳冬期にはよく見られたと言います。(「旭川市」第一巻ほか)
旭川で国内最低気温を記録した同じ日、青森県八甲田山山中では陸軍第八師団の将兵210名が雪中行軍中遭難し、199名が死亡した。
その後、昭和6(1931)1月27日に北海道・上川(旭川)で氷点下41.5度を記録し、これが国内最低気温となった。
最低気温が出た2回とも1月25日と27日で
暦の上では、1月20日からが一年で最も寒い時期ということになりますが、実際には一週間ほど後の1月26日から2月4日までに最低気温を更新することが多く・・・
ということが証明されている。
「寒仕込み」といって、寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込むのに最もよい時期とされています。


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Last updated  2020.01.20 00:00:57
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2019.12.28
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
お供え餅 餅は古くから稲の実りを表す象徴であり、正月の鏡餅は神に捧げる食物として供えられ、わが国では重要な年中行事や人生儀礼といった日に欠かせない食物です。
年中行事の餅には、正月餅、年玉、小正月の若餅・雛節句の菱餅・旧暦10月の亥の子餅などがあり、私たちもこうした「ハレ」の日に餅を食べる習慣があります。
また、人生の節目には初誕生の餅負いなどの餅があります。
餅は、日本人の生活文化の重要な食物として位置ずけられているのです。
●餅つきの日●
暮れの12月25日から28日にかけて、正月用の餅をつく。
正月用の餅は縁起物なので、日を選んでつく日を決める。
4は死に、6はろくでなしや労苦に、9は苦につながるから縁起が悪いとされ24、26、29日を避ける風習がある。
31日についた餅は神様に一夜餅をあげないということで31日にもつかない。
30日は正月飾りが集中する日である。
その結果、餅をつく日は28日が多いということになる。
●正月餅の種類●
●お供えする餅・・・お供え餅
●食べる餅
 ①のし餅・・・ついた餅をのし板の上で平らにのして作る。
切り餅ともいい、正月中に焼いてきな粉餅や汁粉、雑煮にして食べる。
 ②豆餅・・・もち米と黒豆を一緒に蒸してつく。
なまこ形に整え翌日に切って正月に食す。
 ③草餅・・・春に摘んで乾燥させておいたヨモギを水で戻し、餅をつくときに加える。
あんこ餅やのし餅にする。

④団子餅・・・米が十分でなかった時代、もち米の上にくず餅の粉をのせて蒸してついたもの。
 ⑤あんこ餅・・・つきたての餅に小豆餡を入れて包むまるめ餅。
その場で食べたり近所に配った。

⑥干し餅・・・薄く切って、干して凍らせ、乾燥状態にした餅。
餅つきの時に砂糖を加えたものもある。
保存食となり、田植えの事の捕食にも用いられた。
北海道歳時記:秋じまい・庭じまい
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Last updated  2019.12.28 00:02:12
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2019.12.19
テーマ:歳時記(380)
カテゴリ:里山・歳時記
●「嘘かまことか、大坂には、庚申の日に北を向いて立ったまま黙々とコンニャクを食すと願い事が叶う、という呪いがあるのだとか」。
「四天王寺さんの『北向きコンニャク』のことかと思いますが、私もそれほどよくは知らないのです。
串に刺したコンニャクの田楽を、北を向いて食べると頭痛が治る・・・だったか、盗みに遭わない・・・だったか、運が強くなる・・・だったか。」
「みをつくし料理帖10」
 12月19日と明日20日は、飛び地境内の庚申堂にて60日に1回の「庚申まいり」がある。
古来よりの俗信で、『庚申の縁日に、お願いことを考えながら「庚申こんにゃく」を北を向いて黙って食べると、その願い事は叶う』という。
江戸時代には既に大人気だったようだ。

庚申信仰の根本には諸相があって、
大阪では拝むとお金ができるとか、どんなことでも一願を叶えてくれるという信仰を生み、庚申待ちの日に庚申さんが天降るのでお迎えするのだといってワイワイ言いながら、庚申堂の境内で庚申待ちをしたのである。
お詣りができない者はコンニャクとコンブのお土産を家庭で待っていた。
今日でも、庚申の日には境内に庚申コンニャクの出店が立ち、京都の八坂庚申堂でもコンニャクを食する風がある。
北向きになってコンニャクを食べると無病息災が叶うといい、関西の諸堂ではそのような光景を目にするのである。
 ところで、この庚申コンニャクを北向きになって食べる件につき考案者がいて、雑誌で告白されている。
辯咲美志という人で、「大阪辯」(大阪ことばの会編。昭和26年7月発行)という雑誌で「庚申こんにゃく」の題で紹介されている。
辯咲氏は戦前、東平野町1丁目で割烹料理店をやっていた竹内という家の縁者であるらしかった。
はじめ、辯咲氏が四天王寺の庚申堂に竹内の者と連れ立ってお詣りした際、冗談半分に、
「コンニャクは北を向いて食べな願が利けへんのやで」とやった。
皆が間に受けて、北を向いて食べた。
お参りする毎に、ほかの方を向いている者がいると、
「北を向かなあけへんがな」と笑いながらやる。
「ア、そや」と、その人も笑いながら北を向く。
しまいに、コンニャク屋までもが、
「北向いてお上がりやしたら願が利きますのや」というようになり、昭和になるとコンニャクは北を向いて食べるものと相場が決まった。
北野の太融寺の庚申堂が北向きであったので、辯咲さんが庚申コンニャクを食べる向きに結びつけたということである。
 その他、江戸などでは庚申の夜には夫婦の交わりを禁じ、間違ってしまうとできた子は盗賊になるという俗信までできた。
 歌舞伎の「三人吉三」はそうした俗信からストーリーが出来上がっている。
大近松の「心中宵庚申」は、嫁と姑の反目から庚申の夜に八百屋のお千代と半兵衛夫婦が生玉の大仏勧進所で心中するストーリーであるが、こちらのほうは心中と庚申信仰を絡ませたものである。 

 節分のの恵方巻の由来も案外、こんな冗談から出来たのかも知れない。
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Last updated  2019.12.19 00:04:04
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