臨床の現場より

2008/10/14(火)04:49

気管切開 その2

診療(80)

 前回のつづきです。  救急車のなかで何とか呼吸できていたこの患者さん、ストレッチャーで車から降ろす際の振動で、微かに通っていたのどの隙間におもちが詰まってしまいました。さっきまで赤かった唇の色が見る見るうちに紫色に変色してきました。 「あっ!・・まずい、マッキントッシュ(気管内挿管用喉頭鏡)持ってきて!あと吸引とマギール鉗子!」 口から喉頭鏡をかけて喉頭を覗いてみると、おもちがつまっていて声帯は見えません。やわらかくて鉗子で引っ張っても伸びてちぎれるばかり。除去できそうにありません。  そんなことをしている間にも患者さんはひくひくと痙攣し苦しげです。まわりのナースが心電図をつけ、酸素モニターをつけるともう瀕死の状態です。  異物除去を試みたのは1分ほどで、すぐにあきらめました。耳鼻咽喉科医の特殊技能としては、気管切開をやりなれていることが挙げられます。すぐに気管切開を試みました。 「メス持ってきて!それと何でもいいから摂子とはさみ!」  心電図は徐々に序脈になってきています。痙攣が少しずつ少なくなり、患者さんの動きが緩慢になって行きます。  消毒も、局所麻酔もする暇はありません。  のどの真ん中を大きく縦に切開すると、すぐに喉頭が見えました。気管はその下にありますが、前頚筋を分けてゆくと甲状腺の峡部が気管の前に横たわり、これを傷つけると出血するので本来は避けて気管を切開するのですが、そんな余裕はありません。  無我夢中で気管に到達すると、すぐにメスとはさみで穴を開け、そこにカニューレという呼吸のための管をつっこんで酸素を流しました。  ここまでおおよそ30秒。患者さんの呼吸がとまってチアノーゼが出現してからは約2分の間の出来事です。幸いなことに呼吸はすぐに復活し、心臓もすぐに復帰しました。  その後から消毒と鎮痛、沈静をし、止血処置をして、喉頭の異物を取り除き、入院となりました。  4日後、この患者さんは何事も無く元気に歩いて退院されました。普段はまだ現役の漁師をされており、退院後にのどの抜糸をしに外来受診された際に、お礼にバケツ一杯の貝柱を持ってきてくれました。  彼曰く、「先生ありがとう。痛かったけれど苦しいほうが辛かったよ。」とのこと。  あんな状態でも意識ははっきりしていると言うこと、人間の苦痛は痛みよりも呼吸苦のほうが辛いのだということを覚えさせられたのでした。  ←30位前後で奮闘中。一日一回のぽちを。

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