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カテゴリ:雑感
「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日がみえますか」
くもりガラスはもともと向こうを見通せるものではないので、手で拭くという行為は無意味であり、不自然である。 だが反語として捉えるならば、「みえない明日」を強調するための「くもりガラス」となり、非常に屈折した表現であるといえる。 「愛しても、愛しても、ひとの妻」 「自分の妻」に対して裏切り行為をしておきながら、「他人の妻」には惜しみなく愛情を注げることに、身勝手さと理不尽さを感じる。 しかしまた、これを逆に考えるならば、「他人の妻」だから愛せる、或いはここでの「愛する」ことの条件が、あくまで「他人の妻」であることと捉えることができる。 「抜いた指輪の罪のあと、噛んでください、思い切り」 結婚指輪を抜くことに象徴されるのは「背徳感」と「罪悪感」であり、しかもそこを「噛んでください」と相手に要求しているところに、自虐性と自己憐憫がある。しかしそれは罪の代償とはなりえない。 「明日はいらない」 刹那的で退廃的な表現の中に、陶酔した自己憐憫が感じられる。 「せめて朝まで腕のなか、夢をみさせてくれますか」 「朝までいっしょにいられない関係」であることを承知していながら、それを要求する「ないものねだり」の心理に、幼稚な甘えがある。いずれは別れるべき相手であるという覚悟がないのだが、しかしそれを知ってはいるらしく、だからこそ「夢」を見たいという。そこに自己矛盾が生じるのだが、矛盾と捉えていないようである。 考察 この世界には「ひとの妻」と人目を忍ぶ「卑屈な逢瀬」があって、それを奪い取ってでも正式に「自分の妻」にしようという積極的で建設的な愛の姿勢がみられず、「さだめ哀しい」或いは「春はいつ来る」と常に受身な諦念があり、さらにあくまで屈折した罪悪感と自己憐憫というステージで、じっとりと湿っぽく展開されている。 ・・・と、いえるのではないでしょうか・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 9, 2017 01:00:56 AM
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