934418 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

私訳・源氏物語

私訳・源氏物語

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

佐久耶此花4989

佐久耶此花4989

日記/記事の投稿

カレンダー

バックナンバー

December , 2025
November , 2025
October , 2025
September , 2025
August , 2025
July , 2025
June , 2025
May , 2025
April , 2025
March , 2025

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

September 10, 2006
XML
カテゴリ:雑感
「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日がみえますか」
くもりガラスはもともと向こうを見通せるものではないので、手で拭くという行為は無意味であり、不自然である。
だが反語として捉えるならば、「みえない明日」を強調するための「くもりガラス」となり、非常に屈折した表現であるといえる。


「愛しても、愛しても、ひとの妻」
「自分の妻」に対して裏切り行為をしておきながら、「他人の妻」には惜しみなく愛情を注げることに、身勝手さと理不尽さを感じる。
しかしまた、これを逆に考えるならば、「他人の妻」だから愛せる、或いはここでの「愛する」ことの条件が、あくまで「他人の妻」であることと捉えることができる。


「抜いた指輪の罪のあと、噛んでください、思い切り」
結婚指輪を抜くことに象徴されるのは「背徳感」と「罪悪感」であり、しかもそこを「噛んでください」と相手に要求しているところに、自虐性と自己憐憫がある。しかしそれは罪の代償とはなりえない。

「明日はいらない」
刹那的で退廃的な表現の中に、陶酔した自己憐憫が感じられる。

「せめて朝まで腕のなか、夢をみさせてくれますか」
「朝までいっしょにいられない関係」であることを承知していながら、それを要求する「ないものねだり」の心理に、幼稚な甘えがある。いずれは別れるべき相手であるという覚悟がないのだが、しかしそれを知ってはいるらしく、だからこそ「夢」を見たいという。そこに自己矛盾が生じるのだが、矛盾と捉えていないようである。

考察
この世界には「ひとの妻」と人目を忍ぶ「卑屈な逢瀬」があって、それを奪い取ってでも正式に「自分の妻」にしようという積極的で建設的な愛の姿勢がみられず、「さだめ哀しい」或いは「春はいつ来る」と常に受身な諦念があり、さらにあくまで屈折した罪悪感と自己憐憫というステージで、じっとりと湿っぽく展開されている。

・・・と、いえるのではないでしょうか・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  March 9, 2017 01:00:56 AM
[雑感] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X