PLAN75
話題作というので、公開初日に見に行った。 ネットで座席予約した時はまあまあの入りという印象だったが、翌日行ってみたらほぼ満席状態。年代では50代後半から80代のご夫婦や2~3人の女性グループが目立った。安楽死や尊厳死に対する関心が高まる年代なのだろう。 ゆくゆくは安楽死や尊厳死を是認する社会になって欲しいと願う私は多少の期待感があったのだが、うちのマンションの友人たちは、好奇心はあるものの「75歳って、何よ。ちょっと早いじゃない」「せいぜい85歳にしてほしいと思うわ」という抗議的な意見が多かった。 昔の団塊世代の始まりがちょうど今年75歳になるので、多分それを基準にしたのだと思うが、今の70代はまだまだ元気なのだ。 主人公は仕事を解かれた78歳の女性で、エレベーターもない古い市営住宅のようなところに住んでいる身寄りのない独居老人だ。仕事仲間だった仲良しの女性が孤独死しているのを目撃し、衝撃を受ける。話し相手を失い「PLAN75」で安楽死までの精神的フォローをする女性と長電話するのが唯一の楽しみという設定だった。もう一人応募した老人は、お役所でPLANを推進する若い事務員のおじである。 安楽死を施す建物は灰色で大きく暗く人影もない。女性は一人でバスに乗ってそこに向かい、おじは甥のクルマに乗ってやってくるのだが、なぜかみんなたった一人で歩いて入って行く。それもまた不思議なシーンだし、独居老人とはいえ、友達の一人もいないなんてありえない設定ではないか。 その施設では遺体の始末や死者の持ち物を、使えるものと捨てるものを振り分ける従業員がいるのだが、どうもアウシュビッツを連想させて嫌な気持ちになった。あの場面にはどんな意図があるものやら、私にはおぞましさしか感じ得なかった。 赤い夕陽の中で主人公は死を思いとどまり帰って行くのだが、話題作とはいえタイトルだけがセンセーショナルなだけで、何ともお粗末なストーリーだと思った。 人間は多様な人生を生きているのであり、様々な価値観、人生観、死生観を持っている。安楽死あるいは尊厳死という選択を前にした時、たった二人の登場人物でその多様なシニアの雑多な人生を描くのは乱暴というものである。 私は「安楽死・尊厳死」という選択があることに救いを感じるのだが、この映画に救いはなかった。救いどころか死は暗いものであり、否定されるべき選択肢である事を暗示している。「結局何がいいたいの?」 映画が終わって館内が明るくなった時、前の座席の女性3人組の一人が言った。私もまさに同感だった。