札幌市民芸術祭・奨励賞に。
8月末の水曜日、札幌市民芸術祭実行委員会から一通の封書が届いた。5月に応募したエッセイが「奨励賞」をいただけるという。エッセイに応募したのはこれが二回目で、10年ほど前の随筆春秋賞以来二回目の受賞になった。応募するたびに賞をいただけるわけではないと思うのだが、光栄なことにはちがいない。授賞式は11月23日。まだ日があるが、年齢とともに衰える気力と筆力を実感している身には大きな励みになる。私の文章修行は、14歳の時の日記に始まると言って良いかもしれない。周りの友人たちに理解されない心内を、日記の中に打ち明けていたのだった。その頃の日記は他愛のない、いかにも中学生らしい日常の悩み事で埋められているのだが、古文のテストで先生に褒められたことが、大きな転機になったように思う。それは枕草子から抜粋された文章で、内容から感じられる作者・清少納言の性格を記せという問題だった。私は「気が強いが、中宮の言うことをよく聞いて素直なところがある。特に『下品といふとも』というところはいじらしい」と書いたのだ。それまで親からも親せきからも褒められたことのない私だったから、今でもしっかり覚えている。先生は「あなたの答案には個性があります。他の人はこんなこと書きません。何かしているのですか」と私に問うた。日記を書いていますと応えると、膝を叩いて「やっぱり!文章を書き慣れている人は違うんですよ。本を読んだら必ず感想文をお書きなさいね」と私を励ましてくださった。先生のさりげないその一言に、私はどんなに勇気づけられたか知れない。日記帳にはあくまでも私が感じ、考えた事を自分のもつ言葉で思いつくまま正直に、自分が納得できるまで書いた。正直が身上だったから、嘘やフィクションを書き込むなど、思ってもみなかった。ところが初めて応募した先から帰ってきた評価は、中の中から中の上と低く、「こういったエッセイは創作であっても、喜劇調にするといいでしょう」と、心外なアドバイスを受けたのだ。「創作であっても」という文言には、正直言ってひどくおどろいた。その作品は、私の気持ちのやり場のなさ、やりきれなさを書いたのであって、喜劇に相応しい内容ではなかった。にもかかわらず、事務局の5人からは一様に「途中でポツンと切られていて、読んでいる者に不満が残る」とのコメントをいただいた。私は、その不満こそ書きたかったテーマだと思いながら、あくまでも起承転結にこだわる事務局の方たちに、一種の絶望感を抱かざるを得なかった。日記を書き始めたころと同じ気持ちを、ここでも味わうことになるとは。しかし、それにもかかわらず最終20作品に残してくださった事には感謝しなくてはなるまい。残らなかったら、佐藤愛子先生に読んでいただけなかったからだ。事務局の方たちは最後まで大反対したようだが、先生が「これ!絶対これ!」と強く推してくださったことを、私は後から知った。私が受賞後自分のブログに引きこもり、エッセイとして書きながらも公募に出さなかったのは、受賞を目的にして書く気持ちになれなかったからだ。しかし今回は私の身辺に辛い事が起きたことと、そんな時には例によって、何かに夢中になりたくなる私の性格のために、短期間に二つのエッセイを書き上げて応募してみた。その一編が受賞したのだから、嬉しくないはずはない。もう一つの発表はまだ先になるのだが、楽しみに待っている。人生、まんざら捨てたものではないと思いながら。