その頃、大阪に仕事場があった関係で、早起きを余儀なくされていた日々を過ごしていた。
その日も、目覚ましは6時にセットしていたが、寒さのせいで5時30分ぐらいに起きていた。
5時46分に揺れが起こる。割と揺れたのだが、まあ普通にある地震と同じく、すぐに収まるだろうと鷹をくくっていた。
ところがどっこい、揺れは大きくなってきた。
取りあえず、私のとった行動は、布団を頭にやる事だった。
CDケースは大きく崩れて、床一面に広がった。
取りあえず、大きな地震だったな、と思い、あわてて下に降りる。父も早起きしていて、偶然食器棚から食器が出ないように支えていたと話していた。
すぐにテレビをつける。NHKだ。
地震速報を見ると、京都は震度6で一番強いとあった。
「まあ、これだけの地震だから、そうだろう」と思ったが、何故か神戸の震度は表示されなかった。
ちょっと心配になり、当時あちらに住んでいた彼女(元)に電話を入れるが、呼び出し音のみがなる。
「出ないなあ」と思いつつも、寝ているんだろうか?と思う事にするが、やや不安は残ったままだった。
その不安は、後に恐ろしいほど大きくなるのだが・・・。
取りあえず、家を出て駅まで向かうも、電車は不通。
偶然、高校時代の知り合いに会って、雑談をする事になった。
会社にもその旨を伝えて、家に帰ることにした。
そこで見たテレビの光景は、衝撃としか言いようがなかった。
阪神高速が崩壊し、伊丹の駅も崩壊。
大学はあちらだったので、良く見慣れた風景が見るも無惨な姿をさらけだしていた。
朝の不安は的中してしまった。
家にいようと思ったのだが、その日は上司の手伝いで大阪の得意先へ行かねばならなかったので、結局淡路辺りまで足を延ばして、お手伝いをしたのは覚えている。
何と上司は、奈良の自宅から原付で来たそうだ。(笑)
そんなこんなで一日が終わる。
しばらく彼女とは連絡が取れなかったのだが、数日後、無事に連絡が取れた。
家がつぶれて、小学校に避難していたそうだ。
そして、電話もつながりにくく、こちらまで連絡が取れなかったんだそうだ。
後、いろいろとあるのだが、これが9年前のあの日である。
年末に行った神戸は、活気を取り戻していたが、勿論ルミナリエというイベントはなかったわけなのだ。
単純に、クリスマスイベント、として捉えるだけでなく、あの悲惨な日々があった事は、記憶にとめておきたい。
9年と言えば、社労士、税理士試験の受験も早9年目となってしまった。こちらは早く終わらせたい。(笑)