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父と娘の物語




「お父さん、大好き」と言え!

「大好き!」

これが父親と娘が会うたびに交わす合言葉のようなものだった。


今年嫁いだ娘が父親の言うことを、まだ何でも聞いていた頃の

夏の風物詩。

倉敷市に玉のように美しい島という小さな漁港があった。

港に面した備前屋と言う旅籠には、広い庭にたくさんのの風雅な離れ屋。

そこの御老公はもと関西テニスチャンピオン。

私と妻にテニスの楽しさを教えてくれた人生の恩人。

港の潮が押し寄せる水門近くには、ほかにも良い店がいくつかあった。

夫婦でやっている小さなイタリアレストラン。

完熟したトマトでしか作らないパスタは季節限定。

パスタ好きの娘と良く通ったけど、ほんとうにおいしかった。

そして美星町の牛馬市で入手した自分で納得した馬刺ししか出さないと言う焼き鳥屋。

馬のように長い首の長身の主人が頭上から話しかけてくる。

巨人の定岡投手が大好きと言う年上の奥さんと、「あんなののどこがいいんだ」と

減らず口を叩きながら作る焼き鳥も馬刺しも美味だった。

一番おいしかったのは、鳥のあぶらみを小さく刻んで浮かした鳥スープ。

その玉島を離れて数十年。

自分で、その味を試みて何度も作ってみたがどうしても味が違う。

そんな玉の港に月が隠れて満潮の夜。

港の石垣にへばりついたような小屋に灯りがともる。

「あっ!今夜は居る!」

灯りを見つけたら一目散、家に帰って子供たちと早々に

食事を済ませかけつけた。

娘も息子も6年間、1年360日、毎日18時から21時まで

剣道少年団で剣道を励んでいた。

寒風吹き抜ける体育館で母親たちはじっと見守らねばならぬ厳しい剣道団。

座って見ているよりした方がいいと始めたかみさんはいつしか剣道2段。

先生と母親の厳しく優しい薫陶を6年間受けて、

子供たちはすくすくと育った。

そんな子供たちが剣道の疲れも見せずにそんな夜は大喜びではせ参じた。

かみさんには、いつものように一升瓶を持参させた。

港の小屋には石油会社を退職したおじさんとおばさんが待っていた。

「こんばんわ」

「やあ、きたか。ほらたくさん捕れてるよ。」

ひたひたと押し寄せる満潮の海に、四つ手網が下ろされて

裸電球が光っている。

沈められた網の上を、夜光虫のようにきらきら輝く生き物が数匹。

「ほら、いまだ!」

子供たちが歓声をあげて網を引き上げる。

小さな生き物が網の中心に跳ねている。

やしの殻を割ったひしゃくで網を叩くと、それがひしゃくに入る。

6,7cmほどの小さなベイカと言う烏賊(いか)。

生きたまま、醤油をかけて喉に流し込む。

とろけるようにおいしい。

ベイカは捕らえられるとすぐに死ぬ。

この生きた踊り食いは岡山の料亭でもでない珍味とおじいさんは言っていた。

子供たちが、キャッキャ言いながら網を揚げたり

降ろしたりしている。

子供が遠くに育っていったおじさんたちは、

自分の孫のように、ふたりをかわいがってくれた。

話は少し変わって酒の話。

岡山の日展の女流画家、三宗千恵子先生と備前の若手陶芸家とか

いろんな芸術仲間でよく飲んだ時期があった。

企画、メンバー選定の特権幹事は僕。 

時には、八方破れの彫刻家 流正之 氏もいた。

下津井の神社に花見に行って句会をしたり。

この三宗さんが、「酒はどこの酒がお好きですか?」と問われた時の返事。

「お酒のおいしさは、銘柄ではなくて、その場の人と話題と雰囲気で決まります。」と。

確かに名言。

その意味では、この港の夜のベイカを肴に飲む冷酒は、ほんとうにおいしかった。

いつも生きる喜びにあふれていた子供達と

一緒に目を細めて子供を見つめていたかみさんと

優しいおじいさん夫婦と、

尽きない楽しい話題と

夏の夜の瀬戸の潮の匂いのする情緒があった。




絵は、その玉島港を見下ろす瀬戸の丘。

良寛が住んでいたという小さな丘伝いに我が家があった。

絵を描いている間、お転婆娘は草スキー。

ダンボールの紙を尻に敷き笑い転げながら何回も転げ落ちていった。

玉島の丘



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