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2005/09/05(月)12:25

バリ島 絶壁の寺院にて

インドネシアのバリ島は個性的な文化がただよう島。 イスラム教のインドネシアの中、独自のヒンズー教文化が栄えたゆえか、 180年のオランダ支配によってヨーロッパ文化が混淆したゆえか、 バリ王国文化とヨーロッパ文化がヘレニズムのように油絵に開花。 ウブド村周辺には、多くの油絵の画廊が並んでいた。 絵画技術的には稚拙で素朴なものが多かったが、 これほど絵画好きな民族は東南アジアでは珍しい。 宗教的戒律は厳しく、葬式の日にはウブドの芸術村には入れなかった。 私には、油絵より、街中にあふれるヒンズーの神々の石像や、 バリダンスに活躍するさまざまな仮面に魅力を感じた。 ヨーロッパ中世のキリスト像などよりはるかに、 個性的で多彩で豊かな創造性を感じた。 日本も3年間占領、ひどいことをしたようだけど、 優しいバリ人は「昔のこと」と多くを語らない。 一方でオランダからの独立のために戦ってと懇願されて、 現地に残った信頼された日本人もいたよう。 更紗のろうけつ染め、銀細工の宝石店と、豊かな人々も多く、 ウブドには日本より美しい煉瓦造りの民家の家並みがあった。 絶壁の寺院では、夕暮れから「ケチャ」という踊りが 大勢の男たちの異様な身振りと囃子声によって始まる。 魔王に誘拐された王妃、それを取り戻すラーマーヤナの物語 それが美しい原色の衣装で踊られる。 踊りを囲む大勢の男たちがに左右に身をゆすりながら、 「ケチャ、ケチャ」と言う囃子言葉のリズムに、 観客は不思議なトランス状態になっていく。 やがてとっぷりと日は暮れる。 炎の輪の中から出ないようにと言ういいつけを破った王女。 その頃は、すでに寺院は真っ暗な闇の中。 仮面をかぶった戦士が炎を蹴散らし、火の粉が闇に舞う。 輪になった炎の中で、ヒンズーの物語は最高潮に達した。

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