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テーマ:旅の写真(3456)
カテゴリ:海外スケッチ紀行
この太平洋の孤島になぜ、この巨像制作の巨石文化が起こったのか? 少しづつ、謎が解けてきました。 モアイ像の製作は、部族の先祖信仰から生まれたという説が有力。 同時に支配部族の権力誇示の意味もあったもよう。 また、もろい火山岩を切り出せる山が島の北側にあったこと。 これは、7つの部族の酋長のモアイ像。 モアイ像の大半は、この岩山の石壁から切り出された。 石の塊を削るのではなくて、石の壁から切り出すという大変な労苦。 当時、鉄器はなく、硬い石で叩いて石を砕く途方もない作業。 切り出された像は、てこや縄で起こしては下に石を敷き、 一旦立てられて仕上げた後、寝かしてコロで搬送。 その後、この山裾を下って、遠くのアモイ像のように並べられた。 遠いところは、10km以上先まで、木材のころと人力で移送。 これが、遠くに見えた、アモイ像。 発見当時、ほとんどのモアイ像は、反乱部族によって倒壊。 これを立てたのは、四国のクレーンメーカー「タダノ」 ガイドの話によれば、10億ほどかかった費用の半分は なにやかやとチリ政府が献上させ,吸い取ったとか。 それでもやりとげた「タダノ」さんは、本当に立派。 余談だが、世界有数の収益を挙げながら、 全く社会に還元しないことで 世界中に名をはせているのが、日本のトヨタ。 外人記者クラブの記者会見で、社会還元を問われ、 自動車博物館(入場料千円!)とトヨタの社長が答えたので、 外人記者達はあきれて「トヨタの馬鹿三兄弟」と皮肉っていた。 この島には多くの部族がいたが、支配階級の耳を長くした部族が 「耳短族」に、この過酷なモアイ像製作を強いていた。 16世紀から17世紀にかけて耳短族が、遂に反乱を起こし、 長い部族間紛争が勃発、最後に耳短族が勝利を収めた。 これは、切り出されて打ち捨てられたモアイ像群。 土の下に完成された胴体がうずもれている。 ともあれ、この島で最も屈託なく印象的だったのは「雲」でした。 四周遮るもののない広大無辺な空間で変幻自在。 実に気持ちよさそうに変化していました。 デザイン・アート部門のプログランキング。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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