アゼルバイジャンの悲劇
これから少しづつ人物を増やしていく「シルクロードの顔」を左記に追加しました。3大国、ロシア、トルコ、イラン、カスピ海を渡るとカザフスタンという東西文化の交流点バクーでであった人々の風貌を描いて追加していきます。ところで本題。1990年のある日、ソ連戦車隊は、大型戦車を連ねて、この首都バクーに侵入。その後方には、たくさんの銃撃歩兵部隊が、連なっていた。バクー市民は、市内にバリケードを張って進入を阻止。しかし、大型戦車は、つぎつぎにバリケードを乗り越えて進撃し、バリケードを守っていた、多くの市民がタンクの下敷きになって死亡。大型戦車の重みで身元が判別できないほど無残な死体が後に残っていたという。ソ連崩壊をうけて独立宣言してから、ソ連重戦車部隊が首都バクーに侵入し、ほんとうの独立を勝ち取るためには、6ケ月もの市民戦の攻防があったという。写真は、その時死んだ、4748人の犠牲者を祭る記念墓地。4748人全員の精密な像を黒い石に刻んでたたえるところも、この国の人々の真面目な人柄を示している。なかには、花嫁姿の乙女と一緒の若者の像があった。ふたり一緒に葬ってやりたいという遺族の願いが感じられた。 そして、もっと素晴らしいのは、この国に残った7%のロシア人に対する態度。決して、いじめたり追い出そうとしたりしない。「戦いを挑んできたのは、モスクワのロシア人、ここのロシア人ではない」と。金正日という非道な人間がいるからといって、国内の無邪気な韓国の娘達に帰れといったりする人はこの国にはいない。絵は、そのメモリアルパークから見た美しいバクーの街とカスピ海。その戦没者記念日が1月17日、ちょうど私達がバクーではじめての休日の日だった。海を見渡す丘に、なくなった人の血を意味する赤いカーネーションがあふれるほど供えられていた。思い出したのは漱石の句 あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中ほとばしるような悲しみが、かなしいという言葉をひとことも使わずに表現されている。俳句を素晴らしいと思うのも、こんな時。