600364 ランダム
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ある日ぼくがいた場所

1-13 法案説明会2


選挙議院と企業院からの法案説明会2


 これでまだオードブルか、とおれはぼやいた。
 ここからが質疑応答の本番である。官僚達が予想答弁を用意できるの
はここまで。おれはおれで、みゆきの例が治験の適用範囲内になるかど
うか、質問する気でいた。

 最初の何人かは、やはり政治家や裁判関係者にも感情固定装置を施す
べきではないかと問いかけていた。主な理由は、立法措置に関する感情
制御をかけない事と、不法な利益供与を受ける事や提供する事を禁じる
感情制御は共存できる筈だ、という主張に基づいていた。
 何回か質問と答弁が平行線を辿った後には、首相からこんな意見が出た。
「最終的には、立法は立法でしかありません。例えば今回の感情固定装
置取締法では、社会から感情固定装置を排除すべきという指針にはなっ
ていない。しかし例えば感情固定装置の存在を見なおそうという社会的
な機運が生まれた時、全ての立法府や司法府の人間が感情固定装置の施
術を受けていて、見直そうという行為自体が違法だと感情固定装置で固
定化されていた場合何が起きるのか?」
 もちろん、
「全ての国会議員を選挙で選びなおせば可能では無いのか?」
という反論も出たが、
「議員になる為には感情固定装置の施術を受けなければならないと規定
されたのなら、彼・彼女が厳密な意味で法案の改変に立ち会うにはまず
現行法に従う必要がある。矛盾しているようでも、法律とはそういうも
のだ」
 この法務大臣の答弁には反論がいくつも出たが、考えてみれば陥る先
は明らかだった。何かの影響から逃れるように例外措置を設けておかな
いと制度の見直しそのものが出来なくなってしまう可能性が有る。だが
その可能性を残す限り、制度が有形無実化する可能性もまた存続する。
 結局は「どちらを選ぶか」の問題であって、「どちらが正しいか」と
いう問題では無いという結論にひとまず落ち着いた。立法府の議員に感
情固定装置をかけてしまうことはその「どちらを選ぶか」という選択肢
そのものを封じてしまうことにつながるという事実を、抽選議員の人た
ちも渋々とだが受け入れざるを得なかったからだ。
 三番目と四番目に関しては、発覚させる事それ自体が非常に困難だか
ら、実際の件数が多数になるとは考え難く、解除手術そのものは命の危
険は伴わない事から、解除は行うべきであり、当人の許諾無く施術を受
けさせた場合は強制した者の負担となる法案の趣旨が繰り返された。当
事者に費用負担能力が無い場合は公的資金で一時的に建て替える事も含
めて。
 五番目の主権の取扱に関しては、あまり問題にならなかった。どの国
でも国内事項の最終決定権は自国にあると再確認されただけだった。
ここまで来てあまり時間も残っていなかったけれど、治験の応用範囲に
ついては、青月さんが鋭い質問の口火を切った。

「自殺未遂者に対して、自殺防止を目的に感情固定装置治験対象者とす
る事は可能でしょうか?」
 予備審議の際の答弁が一通り繰り返された後、厚生労働大臣は続けた。
「もし当人がそれを望み、家族もまた望むのであれば、対象道州政府知
事と裁判所の認可の許に、治験対象者となることは可能でしょう」
「けれど、当人はそれを望まないのであれば?身体的には何らかの傷病
の末期症状を示しているわけでもなく、家族や周囲の人々はその人にど
うしても死んで欲しくないと願っているだけでは、知事と裁判所の認可
は降りないのでしょうか?」
「これは、命が誰に属するのかという極めて重大な判断が求められる問
題です。極端な話、自殺を禁じる法律はまだ成立しておりません。例え
ば思春期の少年少女が興味からリストカットをたった一度行ったからと
いって、彼・彼女の一生を左右する感情固定装置を施術すべきかという
と、これは非常にデリケートな議論が求められます。外見上肉体的にも
社会的にも何の苦難も味わっているようには見えない人が、死にしか安
住の地を求められなかったとして、それを公権力の強制で留める事が可
能かどうか、そうすべきかどうか、難しい問題でしょう」
「おっしゃっていることはわかります。けれども、若年と老年とで扱い
を変えることは不可能ではないのでは?」
「年齢で線を引くことは議論を複雑にします。仮に七十五歳という年齢
から老年と定義した場合でも、納得される方もいればされない方もいらっ
しゃるでしょう」
 青月さんはまだまだ語り尽きない感じだったが、他にも手を挙げてる
人達がいたので引き下がった。
 その内の一人、おれが指名された。ブースが開き、おれは立ち上がっ
て発言した。

「えっと、治験なんですが、病気とかでなくてもかまわないんですかね?
例えば、妊娠してる人とか、赤ちゃん育ててる親とかが、自分で育てる
自信が持てなくて、児童虐待とか、子供を捨てたりしたくなくて、ちゃ
んと自分自身で育てられるように、子供の事を愛せるように、自分の感
情を制御したくて、感情固定装置の施術を受ける事は可能なんでしょう
か?」
 閣僚の間でざわめいた後、厚生労働大臣が答弁に立った。
「治験対象者として認めるかどうか、治験の内容を是認するかどうかは、
先ほどまでの例と同じく、各道州知事及び裁判所の判断に委ねられます。
 ただし、親は子を愛すべきか?この判断は個々の両親に委ねられます。
片親が望んでいなくても、片親が望んでいれば生まれてくる命もありま
す。堕胎そのものは現時点では違法とされていなくても、嬰児遺棄は罪
に問われます。
 両親は生まれた子供の養育義務を負いますが、パブリック・チルドレ
ンとして子供を供出した場合はその義務から解放されます。育てられる
自信は無いがパブリックチルドレンとして供出はしたくないという判断
と行動は罪に問われる可能性があります。生まれた子供の命と人生は親
の所有物ではなく子供自身のものだと法的に判断されているからです。
 詳しくは今後抽選議員でも審議される予定の人口維持法の中で触れら
れています。」
「もしもの話なんですが、知事や裁判所からの許可が下りずに、母親が
一人で生んで育てようとして失敗したら、その子供かその母親も死ん
じゃったら、誰の責任になるんですか?」
「治験の許可を下さなかった知事や裁判所にその責任を問うのは酷と言
うものでしょう。人生設計の責任は、各国民一人一人に在ります」
「でも、望まなかった妊娠とかだって在るわけじゃないですか」
「国は、堕胎を禁じてはいないし、親自身での養育が無理なら公的な扶
育に子供を委ねる事を可能にしています。逆に、親が子を愛するように
国が強制したら、そうするよう法的な筋道を付けてしまったら、次に何
が起こるでしょうか?片親によって育てられるより両親に育てられる方
が望ましいのだから『それを強制すべきだ』ということにつながってい
きかねません。離婚を認めることすら、同様の観点からは否定されてし
まうかも知れません」
「ぼくは、国が強制すべきだとは思いません。ただし当人が望んでいる
のであれば国が許可を与える事例があっても良いと思います」
「おっしゃられている観点からすれば、離婚や別離を望まない夫婦や
カップルに対しても治験を通した感情固定装置の施術を認めるべきだと
いうことになりませんか?子供の為に、家庭内暴力を起こさない為に、
理由はいくらで付けられてしまう」
「そう、なりますね・・・」
 ということは、みゆきは治験対象者になれないのか?
 もう、してやれることは無いのか?
 二緒さんが治験者リストに入れようとしても、法律の判断ではじかれ
てしまうかも知れない。
「白木議員、質問は終わったとみなしていいですか?」
 黒瀬議長の問い掛けに、おれは答えらなかった。
「では、次の質問に移ります」

 ブース前面の扉は自動的に閉じられ、おれはどさっと腰を落とした。
 全ての可能性が無くなったわけじゃない。そもそも感情固定装置なん
て使う必要が無いじゃないか?そうさ、いざとなったら、みゆきとその
子供の面倒くらい、おれが見てやったって・・・・・。

 次に指名されたのは、中目だった。
「さっきの白木議員の質問に対する答弁の中で気になったんですが、医
療や福祉といった誰も表立って反対できない理由を掲げられたら、治験
の施術内容や対象者の範囲がほとんど無制限になってしまいませんか?
法律上、各道州知事や裁判所が是認すれば、結果的に全国民を対象とし
た治験というのも有り得ることにならないでしょうか?」
 閣僚の間で短いやりとりがあり、答弁に立ったのは法務大臣だった。
「治験とは、全体へ適用して良いものかどうか、限定された範囲内で行
う試験です。結果的に全体へ適用される事になったとしても、治験の段
階で全国民を対象とする事は有り得ないと思われます」
「それが、LV3への対処として必要とされたとしても?」
「そ、それは・・・」
「感染者の免疫システムの学習を終えた後の発症段階において、LV1は
72時間、LV2は24時間で、感染者の大半を殺しました。LV3においては、
最長でも8時間、最短では即時の死亡が予測されています。感染の範囲
も全人類規模が想定されているのですから、知事や裁判官達も当然感染
して死亡しているかも知れません。
 そしたら、誰が治験の是非の判断を下せるんでしょうか?」
「上位の存在である、厚生労働大臣や、憲法裁判所が・・・」
「その人たちも死んじゃってたら?」
「大臣に関しては、活動可能な議員の間から補充されるでしょう。憲法
裁判所の首席判事7名の入れ替えには多少の時間がかかるでしょうけれ
ども」
「起こってしまってからじゃ遅い。でも、存在していないウィルスへの
ワクチンは作成できない。だとしたら、予防接種みたいなものをしてお
くしかないよね。それが実際のLV3に効くかどうかわからなくても」
「しょ、少々お待ち下さい」
 法務大臣は慌てて閣僚達の間に戻り、厚生労働大臣などと口早に議論
していた。

 国民が全滅してしまうかも知れないのなら、助かるかも知れない方法
に賭けるしか無いかも知れない。死んでしまうかも知れない時に、生き
残った後の事を心配する余裕なぞ無い。生き残らなければその人にとっ
ての全ては終わるのだから。

 5分くらいの中断の後、ようやく法務大臣は壇上に戻って言った。
「確かに、国家存亡の危機となれば、これは誇張でも何でもなく、全て
採り得る手段は試されるべき事態が発覚したのですから、見切り発車的
な措置が取られるかも知れません。しかしそれでも、LV3への対抗措置
を施した全員が死亡するような事があってはなりません。それでは本末
転倒だからです。ですから可能な限り施術範囲を限定した治験が先行し
て行われるべきであり、全体への治験はその後の事となります」
「状況によっては、全体への治験は有り得るということでよろしいです
ね?」
「この法案の解釈的には有り得ます。ただし実際に決定権を持っている
のは我々一般の議員ではないことは改めて強調させて頂きます」
「以上で私からの質問を終わります」
 まだ手を挙げている抽選議員はいたが、質疑応答の2時間はすでに終
わっていた。
「予定していた時刻を過ぎましたので、以上で選挙議院との質疑応答を
終わります。昼食休憩の後、企業議院からの説明会が始まりますので、
抽選議員の方は開始10分前までに議場にお戻り下さい。では、一時閉
会します」
 黒瀬議長の合図で、ブースの扉が一斉に開き、散会となった。

おれはブースの椅子にもたれかかってしばらく動けなかった。
「まだ本審議が始まってもいないのにな。へたれだな、どうにも」
「へたれでも何でもいいけど、ご飯食べに行こーよ、タカシ君?」
 レイナがブースの扉から覗き込んできていた。
「飯か。気分じゃねぇけど、国会議事堂内って、ファーストフードとか
ファミレス系のものも置いてあるのか?」
「ハンバーガーとかピザとかからお寿司まで、一通り揃ってるよ。タカ
シ君はお子様ランチが食べたいのかな?」
「それはお前に譲ってやるよ。コンビニとかも無いよな?」
「んー、それは流石に無いね。お弁当ぽいメニューも大抵揃ってるよ。
とりあえず見て回ろうよ」
「私達もご一緒させてもらっていいかしら?」
「もしお邪魔じゃなければね」
 内海さんと牧谷さんだった。
「おれは、構いませんけど」
「タカシ君がいいなら、アタシもいいよ」
 そんなわけで4人は、レストランのボックスシートに収まり、内海さ
んは手製のお弁当、牧谷さんはとんかつカレー。おれはダブルチーズバー
ガーにサラダのセット、レイナはかき揚げ蕎麦を注文した。
 しばし雑談を交わした後、内海さんが切り出した。
「あのね、質疑応答の最後でレイナちゃんが聞いてた、LV3への対策で
感情固定装置が使われる可能性って有り得るの?」
「ええ。LVは最終的に脳細胞に感染して、組織を破壊・死滅させます。
潜伏段階で抗体細胞に異物だと認識されないよう体内細胞と同一のマー
キングも獲得していますからね。通常の体内組織では、LVに対応できま
せん。
 ナノ・バイオ・ロボットの長所は、そういった偽物に騙されない点で
す。健常時のESP細胞情報をストックしておく事によって、いわばガン
化して体内組織では手に負えなくなった感染組織を除去・再生可能です。
脳細胞の神経接続情報を全てストックして固定化するのが感情固定装置
の根幹技術ですから、何らかの異常が脳組織に発生した場合、即時に修
復しなければなりません。
 MRもELも、LVに対応する為の技術開発の中で生まれてきた副産物とさ
え言えるのですから、その技術がLVに対して一定以上の効果を期待され
るのは当然と言えば当然のことでしょうね」
「むしろ、少しでも可能性があるなら、なんですぐに接種しておかない
のか、っていう意見の方が多そうだよね」
 牧谷さんは、とんかつをスプーンの先で細かく切りながら言った。
 レイナは、かき揚げの汁が染み込んだご飯をかき込みながら、蕎麦を
すすっていた。くそ、うまそうだ。
「費用の問題?それに感情固定装置の技術を応用してるわけだから、心
理的に嫌がる人達も多いだろうし」
 内海さんのお弁当箱には、伝説のたこさんウィンナーやうさぎさんり
んごなどが見えた。自分のハンバーガーが急に素気ない食べ物に見えて
きてしまった。
「でも、死んじゃうかも知れない時に好き嫌い言ってられる人は、あま
りいないんじゃないかな、かな?」
「問題は」細かく切り分けたとんかつとカレーとご飯を器用にスプーン
の上で一口サイズにまとめて口元に運びながら牧谷さんが言った。「命
よりも信条を大切にする人達でしょうね。自分の意識が自分の思いのま
まにならなくなるかも知れない装置を受け入れるよりは、死を選ぶでしょ
うから」
「ウィルスに感染しちゃえば、同じだと思うんだけどなー」
「でも、治験は基本的に本人の同意が必要とされるんだから、受ける受
けないの選択の自由は残るわけよね?」
「どうでしょうか?」
 牧谷さんがスプーンの運びを止めた。おれも内海さんの言葉に引っ掛
かるものを感じていた。
「え、だって、思考の自由なんて、人間の尊厳の根本でしょ?」
「平常時なら、そうです。でも、相手はウィルスです。治験を受けなかっ
た人たちの間で感染が広まって、NBRでも抑えられないような突然変異
が起きてしまったら、治験を受けていた人々も死んでしまうかも知れな
い。治験を受ける事を拒否した人々が殺したようなものです」
「そんな言い方ってひどくない?牧谷君?」
「治験を受けない事が罪に問われるような制度は、確かに問題がある
でしょう。しかし現実に、私達はLV3の脅威と対面して生きていかなく
てはいけない。国会議員ともなればなおさらです」
「じゃあ、牧谷さんはこの法案に賛成なんですか?まだ答えを表明され
てませんでしたよね?」
 牧谷さんはじっと考え込んだかと思うと、とんかつカレーの残りをざ
ざざっと平らげて口元をナプキンで拭ってから答えた。
「この法案ほど、抽選議員に不向きなものはありません。専門性が高過
ぎ、現在までに行われてきた研究や議論の積み重ねを一週間やそこらで
全て把握できるわけもない。しかしこの法案が一番最初に審議されてい
る。なぜだと思いますか?」
「二緒さんがそう強く主張されたからじゃない?」
「直接の原因としては、そうです。しかし先ほどのLVの話にも有った様
に、まずこの法案を通しておかなくてはならない。そう選挙議院で判断
されたからこそ、リストの先頭に来ていたのではないでしょうか?」
「どうして選挙議院は一番最初にこの法案を審議して欲しかったんです
か?」
 おれの質問に、牧谷さんはちらりとレイナを見てから答えた。
「我々抽選議員が余計な知恵と経験を身に付けて、彼らにとっては不要
な抵抗をしてくれる前に、法案を通しておきたかったんじゃないか。私
はそう感じてます」
「否定は、出来ないんじゃないかな?」
 レイナは蕎麦湯をすすりながら答えた。
「だって、LV3がいつ起こるかわからないんだよ?それを差し戻しだの
再可決だのやっていたら、最悪数か月は余計にかかっちゃうかも知れな
い。基本的人権を侵害する可能性のあるものでも、生命を守るという目
的がまず優先されるべきと政府が判断しても、誰がそれを責められるん
だろ?」
「じゃあ、どうしてその説明を前面に押し出さないんだ?」
「さっきタカシ君が言った通りだよ。命よりも信条を優先する人達も出
てくる。でもその人達のせいで感染が余計に広まったり、既存の対策で
は太刀打ちできなくなっちゃうかも知れない。でも、まだ起こってもい
ないことで誰かを責めることはできない。対応が後手に回れば回るほど、
最終的な責任を問われるのは政府なんだけどね」
「理屈ではそうなるのかも知れないけど、なんかイヤね」
 内海さんは最後のうさぎさん林檎を口に放り込んでしゃりしゃりと咀
嚼して飲み下してから言った。
「私は、感情固定装置の存在そのものを否定したい。でも世の中は、そ
の方向には動いていない。それどころか、死にたくないなら全員が受け
入れるしかないって論調に誰もが逆らえなくなるっていうのは、私は全
身全霊で嫌悪するわ」
「そんな内海さんに、レイナから意地悪な質問です」
「なぁに?」
「内海さんの旦那様が治験を受けるように説得されても、内海さんは拒
否されるんですか?旦那様にも拒否するよう説得するんですか?」
「説得はされるかも知れない。それしか助かる道が無いのならね。もし
旦那が拒否しても、あたしはそれを受け入れるかも知れない。強制はで
きないから。レイナちゃんはどうなの?白木君との間で、意見が違って
しまったら?」
 うふふ、とレイナはうれしそうに微笑んで答えた。
「アタシとタカシ君は、大丈夫なんです。アタシ達の間にできる赤ちゃ
んもね」
 ぶっ、と飲んでいたお茶を吹きそうになった。めちゃむせた。
「お、お前なー、そーゆー根拠の無いデタラメを言うな!」
「根拠はあるけど秘密だよー。タカシ君にはね」
 レイナの頭の両側からげんこつを当ててぐりぐりしてやったが、内海
さんと牧谷さんは何やら深刻な面持ちになっていた。
 おれのげんこつドリルから脱出したレイナは言った。
「お二人とも、ある程度の事情の説明は受けられてるんですよね。だっ
たら、大丈夫ですよ」
「何がだいじょうぶなんだよ?」
 しかしレイナは答えず、内海さんは目をそらし、牧谷さんは何故か照
れていた。
「さ、て、と!レイナは用事が有るんでお先に失礼しますね。タカシ君
は、また後でね!」
 レイナは去り際に、内海さんに何か耳打ちしていった。内海さんは瞬
間的に赤くなり、レイナが去ってしまったのを見てとると急にそわそわ
し始めた。
「内海さん?あいつから何言われたんですか?」
と問い詰めてみたが、内海さんも用事が出来たからと言って逃げてしまっ
た。

 で、後に残された男二人。しばし二人とも黙ってお茶をすすった後、
牧谷さんが言った。
「白木君は、抽選議員になってみてどう思う?僕たちの仕事とか役割を」
「まだ、実感湧きませんよ。判断だけ下せばいいって言われても、さっ
きの説明会の内容にもついていけてなかったし」
「はは、あの資料の数は無いよねぇ。でもさ、国民があれだけの量を読
みこなして理解していないと投票してはいけないなんて、有り得ないよ
ね?」
「投票する有権者はそれでいいかも知れませんけど、議員としては」
「どだい、無理なんだよ」
「え?」
「今回の感情固定装置取締法案だけで数百項有る。関連法案全て含めれ
ば数千項さ。しかも審議リストにはあと19個も審議待ちのものが詰まっ
てる。リストに載ってないものを含めれば数十さ。そしたら何が起こる
か、分かるかい?」
「みんな、ついていけなくなる?」
「レイナちゃんとか二緒さんとか赫さんとか、あと弁護士資格を持って
るクリーガンさんといった例外を除いたら、むずかしいだろうね。裁判
官って、いろんな裁判に必要な資料を読みこんで、その都度必要な判決
を下し続ける。でも、裁判官や弁護士ほどの専門性を持っていなくとも、
裁判に関わる事はできる。陪審員の様にね。ぼくらに求められているの
も、同じなんじゃないかな?」
「ついていけないながらも?」
「委員会制度が無くなった今、誰もが一定レベル以上の理解力を求めら
れている。でも、そうじゃないからといって抽選議員を辞めなきゃいけ
ないなんて法律は無い。なぜなら、これはぼくらにとっての練習みたい
なものなのだから。お?ははは、ちゃんと言えたよ」
「練習って何のことですか?それにちゃんと言えたってのは?」
 牧谷さんは何度か口をぱくぱくさせた後、言葉を慎重に選びながら
言った。
「さっきの話の続きでさ、もしもLV3が人類を壊滅させてしまうとして
も、人類としては誰かは生き残るって線に賭けたいわけだ。君なら、生
き残った人類に石器時代からやり直して欲しいと思うかい?」
「いいえ。少なくとも文明の利器が利用できるくらいには」
「AI達がいれば、社会インフラの維持は大丈夫だろうね。少なくとも積
極的に切り替えてきた日本は。ただ、AI達の主人である人間達が世紀末
的な漫画の筋書きを辿ってたら意味は無くなる。つまりは、そういうこ
とだよね」
「そういうことって?ぜんぜんわからないんですけど」
 牧谷さんはきょとんとした後、笑いながら立ちあがった。
「さ、もうすぐ休憩時間も終わるよ。企業院との質疑応答も楽しみなん
だよね、ぼく♪」
「ごまかさないで下さいよ!」
 牧谷さんは会計を済ませるとすたすたと歩き続けて立ち止まってくれ
なかった。おれはおれで急いで会計リーダに掌をさっとかざして会計を
済ませると、牧谷さんの背中に走って追いついた。
「牧谷さんまで謎かけして引っ張るんですか?たまにはスカっとしたい
んですけどね」
「白木君。誤解しないで欲しいんだけどさ」牧谷さんは振り向かずに
言った。「ぼくらだってそう思ってるよ。まぁさっきはちょっとだけ話
せたんで驚いたけどね。ははは」
 そのまま牧谷さんは議場に戻り、ブースに入ってしまった。

「道を空けて下さいませんこと?」
 おれは議場の入口で立ち止まってしまってたらしい。ぱっと脇にのい
て振り返るとそこには真赤なスーツを着た中年女性がいた。初対面だが、
ニュースとかで良く見る顔だった。
「あら、初めまして、白木議員。企業院議長の由梨丘です。お噂はかね
がね」
「は、はぁ。どんな噂だかわかりませんが、白木です。新人議員ですが、
よろしくお願いします」
「確か、18歳でしたね。私の娘が二十歳なんですが、さらに年下の議員
さんとはねぇ。いやでも歳を感じてしまいますね」
「そ、そうですか。まだお若く見えるのに、成人されたお子さんがいらっ
しゃるなんてびっくりですよ」
「あらお世辞なんて結構ですことよ。そうですね、機会が有れば、きち
んとお話ししてみたいですね。二緒さんがご執心のあなたがどんな方な
のか、私も興味がありましてよ。それではまた後ほど」
 由梨丘さんとその取り巻きは、議場の前面の、さっきまでは選挙議院
の閣僚達が占めていた席に着いていった。黒瀬議長は由梨丘さんに近づ
いていって、AIと一緒に打ち合わせを始めた。
 怪獣対妖怪。二人の姿にそんな印象を受けて一人でくすっと笑いなが
らブースに戻った。
 着席すると、すぐにレイナからの内線通話が開いた。
「一人でにやにや笑って、どうしたの?」
「ああ、由梨丘さんって初めて見たんだけどさ。テレビで見るよりも何
倍も濃くって、驚いただけさ」
「濃いって、あはは。確かにキャラクターは強いよね。アタシも苦手な
タイプだな」
「会ったことあるのか?」
「仕事で何度かね。何度も、と言うべきか。とにかく押しが強くてね。
何かにつけて二緒さんに対抗意識持ってるし。無駄なプライドなのにねー」
「身も蓋も無い言い方してやるなよ」
「日本の旧財閥系の御曹司だかホープだか後継者だか知らないけど、NBR
の規模と比べられる存在なんていないのにね」
「まぁ、な」
 おれは言いながら、仮想ディスプレイに由梨丘さんに関するネット上
の検索結果を表示させた。日本を立て続けに襲った震災と経済的危機、
そしてMR大政変は、財界をも激震させ、厳しい選択を強いた。要は弱体
化した組織が嫌々ながらも統廃合を繰り返し、その結果担ぎあげられた
のが、中枢にいなかった事で逆に穢れていなかった由梨丘という傍系の
中年女性だった。
 二緒律子と同じ女性ということでいろいろ協力してもらいたかった
らしいが、NBRからはけんもほろろに扱われたらしい。旧財閥系のめぼ
しい男性候補は全て二緒さんに求婚して例外無くふられた後の苦肉の策
であったらしいが。
 もちろん、こんな話は普段表沙汰になるわけもなく、三流ゴシップ雑
誌が面白おかしく書き立てた程度なのだが、ネット上には求婚して断ら
れた男性の実名リストまで出回って、なおかつ当人達が誰も名誉棄損訴
訟を起こさなかったことも逆に信憑性を高めていた。
 まぁ、そんなこんなで、一般には現世神と称えられている二緒さんも、
日本の旧態勢力からは面白く思われていない存在の筆頭に数えられてい
て、その勢力の(表の)代表者が企業院議長の由梨丘さんだった。


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