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ある日ぼくがいた場所

1-19 再審議前日2


再審議前日2:企業のEL利用などに関して


もう、昼が近付いていた。

「お昼になさいますか?」
 AIが聞いてきたが、あまり腹は減ってなかった。
「レイナは?」
「夜までは戻れないとの伝言をお預かりしてます」
「あっそ・・・。とりあえずメーラー開いて」

 ソファの前の空間にメーラーと仮想キーボードが出現し、おれは企業
経営者や法曹関係者からのメールを眺め始めた。中にはいつでも呼びつ
けてくれてかまわないとまで書いてくれてる人達もいて、実際にそうし
ようかとも考えた。

 そんな中、一通のメールが目に留まった。
 差出人の名前は、Fredelica Berncastle。住所が、抽選議員宿舎になっ
ていた。どうなってるんだ?
 文面は至って簡素だった。

『企業やその従業員へのEL適用についてお悩みがあれば、ぜひご相談を。
あなたの頼れる弁護士、フレデリカ。

在:抽選議員宿舎ナンシー・クリーガンの居室』

「えっと・・・。これってさ、二人は結婚してるってこと?」
「いいえ。日本ではまだ同性婚は認められていません。しかしクリーガ
ン議員は、ご自身のパートナーが女性のベルンカステル氏である事を公
言されていますし、先日の就任式典の晩餐会の際にも同伴されてました」
 おれは記憶をたぐってみたが、無駄な努力だった。その時は各議員に
付き添っていた人達まで注意を向ける余裕が無かったし。
「その時の画像、残ってる?」
「はい」
 仮想ディスプレイが表示され、正装したクリーガン議員の隣にいる白
人女性がフレデリカ女史なのだろう。
「てっきりクリーガン議員の旦那さんが日本人で、国籍取ったと思って
たよ」
「いいえ。28歳で外資系企業に所属する弁護士として初来日し、その翌
年にはフレデリカさんに出会われて、一緒に生活を始められたそうです。
お二人は日本が大変気に入っていたので、そのまま日本に滞在を続け、
弁護士事務所もお二人で始められました。その15年後に投票権を、そし
て2020年に成立した新憲法の元、20年以上滞在を続けられている外国人
には準国籍が自動的に付与され、滞在30年以上の方々は抽選議員の抽選
対象にもなりました」
「それでしかもLVに耐性が高かったってか。どんだけ例外な人なんだか」
 そう呟いてから自分自身を振り返ってみて苦笑した。
「この人にアポ取れる?そうだな、午後くらいで」
「わかりました。・・・クリーガン議員が同席を希望された場合はどう
しますか?」
「別に構わないけど、でも、由梨丘さんまでついてくるとか言い出した
ら厭だな」
「先方からのお返事です。牧谷議員との先約が入っているので、それが
終わってからで構わないかとのご提案です」
「牧谷さんが構わなければ、一緒でどうかって言ってみて」
 何にしろ、自分は会社勤めしたことが無いのだ。レイナはパブリック・
チルドレンだし、二緒さんは例外中の例外だし、奈良橋さんもまっとう
(?)な会社人やってたとも思えなかったし、議員の間で一番年が近く
て会社勤めしてたことがあるのは牧谷さんだけだったのだ。
「伝えてみます。牧谷議員のAIからは了承を得られました。フレデリカ
氏も問題無いそうです。午後1時から、クリーガン議員の部屋にお越し下
さいとの事です」

 おれはふと思い立って、牧谷さんに電話をかけてみた。
 例のマネキン人形が牧谷さんの姿に変わって話しかけてきた。
「おや、白木君。電話なんてどうしたんだい?」
「いえ、アポに横入りしちゃってすみません。そのお詫びと言ってもな
んですが、お昼でもご一緒にどうかなと思いまして」
「気にしなくていいのに。でもさ、その代わりに一個聞かせてよ。どう
して同席したかったの?」
「ぼくは会社勤めした経験が無いんです。父や母とも生き別れだから、
両親からの話で伝わってくるイメージとかも無くて、それで」
「なるほどね。んじゃさ、どうせならぼくの知り合いとかにも同席して
もらった方が面白いかもね。ぼくもあまりまっとうな会社人でいたとは
言えないからさ。派遣とか契約が多かったし」
「でも同席って言っても、もうすぐお昼ですよ?」
「ここは東京のど真ん中さ。30分もあれば余裕で待ち合わせできるよ」
「でもでも、抽選議員がセレスティスで乗り付けてAI連れて定食屋に入っ
てけば大騒ぎになるんじゃ?」
「ははは。その調子じゃ、ここに来てからまだまともに外出してないね?」
「そうですけど」
「よし。10分後に部屋に来て。それまでに知り合いに連絡付けて都合聞
いておくからさ。それじゃまた後で」
「は、はい・・・」

 10分後に部屋を訪れ、牧谷さんのリビングに通されたが、その様子は
自分のとほぼ全く同じだった。
「それじゃ、準備はいいかい?」
「準備って・・・?」
「中目さんに運んでもらった経験はあるんだろ?」
「はい。でもあいつ、この場にいないじゃないですか?」
「ぼくらはみんなこの場じゃないどこかでもつながっている。そうは聞
かなかった?まぁいいや。AI、待ち合わせ先へ運んでくれと中目さんに
伝えて」
「かしこまりました」
 AI二人が手をつなぎ、それぞれが牧谷さんとおれの手を取ったかと思
うと、どこかのビルの高層階にあるのだろうレストランの個室に2人とAI
2体は移動していた。
 軽く混乱していたおれを横目に、牧谷さんはAIに待ち人を連れてくる
よう命じていた。
「あいつ、その場に自分がいなくてもできるんですか?」
「むしろ、そうじゃないとアイスベルトなんて無理だろ?ほんとは街の
定食屋とかのが良かったんだけど、二人だけじゃなく知り合いに会うと
いうなら、二緒さんに紹介してもらったここのが都合がつきやすかった
んでね」
「こういう風に突然出現しても?」
「そういうこと。君が先日アイスベルトの画像見せられたレストランと
似たようなものさ」
 それからしばらくして、30代後半くらいの男性が二人、部屋に入って
きた。
「やぁ、久し振り。といってもお互い知らないだろうから、まずはここ
に控えてらっしゃるのが、10代の抽選議員の白木君。そしてこちらのメ
ガネかけた方が永吉さん。こちらの短髪クールカットの方が石川さんだ。
お二人はそれぞれぼくが前努めてたトコの上司に当たるような人達でね」

 二人は顔見知りではなかったらしく、それぞれに牧谷議員と再会の挨
拶を交わした後、おれにも名刺を渡してきて、おれはおっかなびっくり
名刺を受け取ったが、返しの名刺はAIから二人に手渡された。ていうか
自分の国会議員の名刺なんて、気がついてみれば当然必要な筈なのに、
今まで気にしてなかったことがなんだか恥ずかしかった。
 4人は適当に注文を済ませてから、すぐに本題に入った。

「それで、お二人に今日来てもらったのは、ここにいる白木議員が、EL
の企業利用に関して会社勤めしてる人の意見を聞きたいって、ぼくにリ
クエストしてきたからなんです」
「賛成か、反対か、ですか?」と永吉さん。
「ぼくは、政治家へのELの適用に反対です。でも、企業とか従業員にとっ
てはどうなのかなって」
「企業の情報を守るとかって意味合いで言えば、ELをかける意味はある
でしょうね」と石川さん。
「補足しておくけど、永吉さんは、とあるファイアウォール製品のサポー
ト業務をしてた時に一緒に働いてた人。石川さんは、とある金融系の会
社で、企業内システムの管理業務をしてた時の作業指示者。どちらも、
不正を働こうと思えばできちゃう立場だったよ」と牧谷さん。
「ファイアウォールは、省庁とか企業のネットワークを外部から守る装
置だからね。その設定情報とかをユーザーから受け取るってことは、相
手のネットワークへの鍵を手に入れるような物。実際はそんな簡単な話
じゃないけど、でもだから業務に付随した制約とかは多かったよ」と永
吉さん。
「どんな制約なんです?」
「設定情報を受け取って、顧客の問題解決の調査に使ったりはするけど、
設定変更してそれがうまくいくようになっても、装置に読み込ませる設
定情報そのものは顧客には絶対送らないし、遠隔操作で顧客の装置に入
り込んでの設定作業も行わない。どうしてだかわかる?」と牧谷さん。
「いいえ。だってそうした方が確実だし、早いからやってくれって人の
が多いんじゃないんですか?」
「もちろんそういった人たちはいるけど、何か問題が有った時に、『そ
の設定はサポートセンターにしてもらったものだ』とか言われたら、責
任取れないんですよね」と永吉さん。
「ふーん。そんなもんですか・・・」
「情報漏えいとかにも厳しくなる一方だったからね」と牧谷さん。
「その意味でも、システム管理者なんて、ものすごく繊細な立場にいる
んだ。なにせネットワークのどこに何があるのか、見れないと仕事にな
らないし、だけど業務上は個々のファイル内容まで見れてしまうと会社
的には困ったりとかね」と石川さん。
 4人分の焼肉定食が届き、肉をホットプレートで焼きながらの会談に
なった。
「それをさ、どこの誰とも知れない奴にまかせなきゃいけない企業の立
場にしたら、当然怖いわけさ。そこにELなんてものがあったら、場合に
もよるけど数百万とか一千万かける価値は出てくるよね」と牧谷さん。
「通話録音とかアクセスログ、操作ログとかも、後追いの手段だからね。
確実に予防する手段があったら、欲しがる会社は少なくないと思う。メー
ルの誤送信とかでも大騒ぎになるくらいだから、操作ミスを無くすよう
な機能も付加されてれば、余計に価値は上がるし、受ける従業員の側に
とってのメリットも増えるよね。だからといって、個人的に受けたいか
どうかはまた別の問題になるけど」と石川さん。
「でももし暗に会社から迫られたら、断れる人は多くない気もします」
と永吉さん。
「景気も雇用情勢もまだ弱腰だからですか?」
「そうですね。それに、企業からの要望を受け入れることで当面の解雇
を懸念しなくていいとなれば、従業員側の将来の不安は若干でも取り除
かれますし」
「牧谷さんは、そういった不正を働く誘惑には駆られなかったんですか?」
「割に合うとも思わなかっただけさ。生活していくに十分な給与さえ支
払われていれば、過ぎた額の報酬に手を出そうという気も起らないよ。
たいていの場合はね」
「そのたいていじゃない場合ってのはなんですか?」
「月並みだけど、ギャンブルとかで大損して借金の返済に迫られたとか、
ね。インサイダー取引とかにしろ、何十万人ているトレーダーの中で、
たった一人がやってしまうだけで、その職種全体の人たちが白眼視され
るわけさ。これは官僚とかでも似たようなもんだけど」
「官僚達はELの制御を受けてるお陰で、世間の批判から身をかわすこと
に成功したんだよな。平等性から言えば、彼らにELを強要した社会もま
たその制御を受けるべきなんだろうね」石川さん。
「牧谷はもう決まったの?どっちにするか?」と永吉さん。
「政治家にELを適用すべきじゃないとは思う。選挙をその争点にするの
もどうかと思うけど、企業がもしどうしてもELを使いたいって言うなら、
個別に従業員との合意の上で使っていくしかないんじゃないかな。だか
ら、今回の取締法は一旦通して、後日改めて審議した上で、企業院から
修正案を再提出してもらう方がいいと思う。世間のアンケート調査の結
果見てても、否定的な意見の方が圧倒的に多いしね」
「まぁ、人事異動とか考えただけでも、永続的なELをかけるのは無理っ
て気もするよな」と石川さん。
「どうしてです?」
「だって、2-3年とか、下手したら数か月とか一年未満で、違う部署に
人が異動しちゃうんですよ?こないだの企業院からの提案だと、業界団
体毎にその施術内容を定めるとか言ってたけど、異なる事業部を同じ人
が渡り歩く可能性考えただけでも、もう無理そうじゃないですか?」
「そう言われてみれば、そんな気もしますね」社会経験ゼロの俺には、
そんな発想は浮かばなかった。「異動って、一般的に行われるものな
んですか?」
「企業の業種とか規模とか文化とかにも依るだろうけど、一般的に行わ
れていると言って差し支えないでしょうね。それに非正規雇用のパート
とかバイトだって、企業が取り扱う個人情報とかに触れる機会はあるの
も珍しくないでしょうから、彼らにもELをかけるかどうか。費用対効果
で言えば、二の足を踏むでしょうね」
「NPOやNGOといった企業でもない公的組織でもない団体に対するELの適
用も悩ましいね」
「自営業の人達の大半なんて、ELをかけるような余裕無いだろうしなぁ。
心情的にも嫌がる人多そうだし」
「でも国家的には、彼らが正直に売上を申告してくれるようになるだけ
でも、大きな違いだろ?」
「それ言ったらさ、年金とか社会保険料とか国民一人一人がちゃんと払
うよう制限かけてきたらどうするよ?」
 そんな感じでおれを除いた3人の話は白熱し、会社人の昼休み時間は
あっと言う間に過ぎ去ろうとしていたので、牧谷さんのお知り合い二人
は名残惜しそうに会社へ引き揚げて行かれた。
 牧谷さんはAIに支払いを済まさせると、個室の扉を閉めさせ、来た時
と同じ様に4人で輪になると、「宿舎へ」と言い、また景色は一瞬で切り
替わっていた。
「これ、慣れちゃうと怖いですね」
「そりゃね。でも便利だし、使わないでいるのは合理的じゃないよ」
「皆さんこのテレポートサービスを使ってるんですか?」
「全員てわけじゃないさ。ぼくも正確に誰と誰とまでは把握してないけ
ど、中目さんと接触のある人で信頼を置かれてる人なら、大抵は頼める
らしいよ」
「由梨丘さんは?」
「あまり好かれてないらしいからね、どうだろ?さて、次の約束に遅れ
てしまうよ。急ごう」

 おれと牧谷さんは、2フロア下のクリーガン議員の部屋へと向かい、
そこでフレデリカさんに招き入れられた。どことなくクリーガンさんに
雰囲気が似ていた。
 おれと牧谷さんはソファに腰掛け、背後にAI達が控えた。リビングに
はタベストリーがかけられたり、お手製だろうテーブルカバーやレース
のカーテンが部屋に彩りと温かさを加えていた。

「刺繍、お好きなんですか?」牧谷さんが尋ねた。
「ええ。二人で作るのよ。素敵でしょ?」フレデリカさんは誇らしげに
ほほ笑んだ。
「温もりが感じられていいですね」こういった物に囲まれて過ごしてい
るとは、おれはクリーガン議員のお固い印象を若干柔らかめに修正した。
「それでは、さっそくお伺いします。どうしてぼくらにあのようなメー
ルを?」
「ナンシーの力になりたかったしね。お二方とも、法曹関係者からのメー
ルには注視されていたのでは?だったら、身近にいて相談できる私は頼
れる存在の筈。ナンシーのパートナーって事で、他の法曹関係者よりも
抽選議員の事情にも詳しいしね。例えば、中目議員についてとか、もね」

 意味ありげに見つめてきたフレデリカさんの視線の意味をおれは理解
した。

「あなたとナンシーさんは同一意見なんですか?」牧谷さんが問いかけた。
「ELに関して?」
「ELを含めた抽選議員や政治的スタンスなど、諸々です」
「すべてにおいて意見を同じくするパートナーなんていないわ。思考や
趣向は違ってて当然だものね。他にご質問は?私とナンシーの関係だけ
を聞きに来たわけじゃないでしょ?」
「そうですね。では」牧谷さんはちらっと俺をみてから続けた。「企業
のEL利用、実現性はあると思われてるんですか?あなたやクリーガン議
員は?」
「実現性が選挙民の意思にあるとしたら、それは現在極めて低いと言わ
ざるを得ないですね」
「それだけ抽選議員に期待をかけてるってことですか?」
「していないと言えばウソになります。But、企業院と抽選院だけでは如
何ともしがたいでしょう。人々がELを受け入れてくれるような重大な何
かが無ければ、状況が変わるとも思えません」
「例えば、自分の生死?」牧谷さんが切り込む。
「Exactly!そうです。白木さん、あなたのフィアンセはとても良い例
を出してくれました」
「お礼を言われるようなことじゃ・・・」
「いえいえ、実に大切なことだったのです。誰だって死にたくはないで
すからね。受け入れられる時に、受け入れられる内容で。企業も従業員
も助かります。施術を受け入れてくれた従業員の家族の施術手当を企業
が支給するとしたら、政府も大助かりですよね」
「なるほど。そう来ましたか。国だけでは無理。企業だけでも無理。だ
から国と企業と国民の、3者の協力で達成する。誰も損をしないように
見える。いや名案かも知れません」牧谷さんは気に入ったように何度も
うなずいていた。
「あなたはどうですか、白木さん?」
「どう、って・・・。ELはどうであれELなんでしょう?それにLV3に本
当に効くかどうかはわからないのに、それだけで押し通そうとするのは
無理があるようにも感じますけど」
「それは、自分が助かると分かっている人の言い方ね」
「なっ、そんなつもりはありませんよ!」
「本当に効くかどうかわからなくても、それしか選択肢が無いのなら人
は飛びついてきた。日本語だと、溺れる者は藁をも掴む、でしたね」
「がんの放射線治療とかもね。がん化していない周辺組織に影響がある
とわかってても、頼らざるを得ない人々はいた。今はストックされたESP
細胞による臓器培養とNBR社のナノテク医療で過去の技術になってしまっ
たけどね」
「話を、戻しましょうよ。選挙院は、政治家へも企業へもELの利用を認
めていない。企業院は、企業への利用を認める交換条件として、政治家
への適用を提示している。ぼくがまずお聞きしたかったのは、法律的に、
企業が従業員に対してELの利用を促したり半分強要したりすることが許
されてるかどうかってことです」
「強要はできないでしょう。でも、雇用条件の一つとして提示すること
は合法よ」
「どうしてです?」
「例えば、LVへの予防接種を義務付けていない会社が、少なくとも先進
国で、今時ある?」
「無い、と思います」
「信仰上の理由から注射や献血、輸血などをタブー視している人達は引っ
かかるわよね。平等ではない取り決めの筈なのに、どうして慣行が許さ
れているのかしら?」
「周囲の人々の生命や健康状態の方が、個々の信仰よりも優先されるべ
きだからです。でも普通の予防接種とELを同列に扱うのはどう考えても
おかしいでしょう?」
「それが全体の生命の危険に関わらないのであればよね、白木議員?あ
なたと中目議員の間の子供が新しい人類になるって、中目議員の力をそ
のまま引き継ぎ、他の人類の間のもその耐性を広めてくれるって、誰が
証明できるの?」
「それは、あいつがそう言ってたから・・・」
「そう。そして私も、たぶん他の人達も、もっと確かな保証が欲しいの。
人類が絶滅してしまうかも知れない時に、明日に蒔く種もみの心配をし
ても仕方無いわ。だから企業も政府も国民も一致して対策に踏み出そう
とするなら、それは称賛されこそすれ非難される言われは無いと思うわ」
「ELが本当にLVへの対策手段なのかどうかも怪しいですが、そこは一旦
横に置いておきます」牧谷さんが割って入った。「LVへの対策として本
当にELを国民全体に施術しようとしたら、もちろん反対派が何割か出て
きてもおかしくないですよね。その彼らに強制的に施術しようとするの
はさすがに無理なんじゃないですか?」
「国家緊急事態法でも発動しない限り、むずかしいでしょうね。受けな
いという人々を隔離するくらいが限界かも知れないけれど」
「事が起こったのを確認してからじゃ、間に合わない。LV3が来た時に、
それはほぼ瞬時に起こり、拡がる。耐性が無い人達の大半は24時間以内
の死亡が予測されている。だから事前に予防接種しておきましょう。こ
こまではいいとします。
 でも、ELですよ?感情を固定してしまう装置ですよ?法律家であるあ
なたが気がついてないなんて言わせませんよ?従業員としての社則くら
いまでならともかく、その家族にまで範囲を広めるというなら、いった
いどの感情は固定化してどの感情は固定化しないなんて、判別して施術
を実施していけるんですか?予防接種を受ける直前の全ての情報をその
まま保持しないとするなら、それが穴となって感染してしまうかも知れ
ないのに?感染という言葉は適当じゃないな。彼らとの適合に失敗して
死亡してしまう、か」
「その意味で言うなら、LV3は普通のウィルス感染とは違う。誰か一人
が適合に失敗した分、彼らの移住先候補が一つ減る。誰かの失敗は、他
の誰かの死の増加にも直結してしまう。もちろん、ここら辺の情報は一
般には公開できないのだけれど。
 固定化する感情としない感情の取捨選択は本人に任せるしか無いでしょ
う。社員の家族に提供される感情固定装置は、おそらく本当に最低ラン
クに機能が制限された廉価版。施術後の一挙手一投足までその後の人生
が拘束されてしまうような代物にはならない筈よ」
「おそらく、ですよね。NBRが出荷する製品を黙って他の高機能版と取
り替えてしまえば可能です。その施術を行うのが国側なら、第三者の監
視も及びにくくなりますしね」
「そんな可能性があるんですか?」とおれ。
「あるよ。あの企業は原材料の調達から、一次素材、二次素材の製造、
加工から流通、販売と施術まで、全て自社内のみで完結してるんだ。価
格もだから全て自社の都合だけで決められる。国相手の商売も多いから、
国債での数十年ローンみたいのまで認めてたりする。引き換えにいろん
な条件を引き出してるけどね」
「なら尚更、そんな得体の知れないものを受け入れるなんて」
「言ったでしょう?命より大事なものがあるの?死んだら、宗教上のそ
の後は個々で違うかも知れないけど、そこで終わりなのよ?なら、受け
入れられる時に、望んだ内容で施術を受けておく方が、非常時に当人の
預かり知らぬ内容で施術されるよりも、ずっと受け入れやすいと思うん
だけどね」

 議論が一息ついたところで、フレデリカさんはコーヒーを淹れて、苺
のショートケーキをふるまってくれた。もちろんお手製だそうだ。そこ
にクリーガン議員も戻ってきたので、4人でテーブルを囲んでの歓談に変
わった。

「遅かったわね」とフレデリカさん。クリーガン議員の上着を受け取っ
てAIに渡す。
「それで、今までどんなお話を?」クリーガンさんの表情も、議場で見
る時よりもずっとくつろいでいた。
 フレデリカさんとクリーガンさんは並んで座り、今まで3人で話してき
た内容は要点を余さずに伝えられた。

「白木議員の懸念には、私も同感だわ」と、ナンシーさんが言った。
「例えばね、人口減少を気にしている政府が、つがいには異性のみを選
ぶように制限をかけないとも言い切れないもの」
「それもそうね。見落としてたわ」フレデリカさんが相槌を打った。
「それくらい基本的人権に立ち入る装置って事ですよね。LV3への対策
として施術するにせよ、事が企業とその従業員に留まらないのだったら、
尚更改めて法案を出して論点を整理していった方がいいと思いますよ」
と牧谷さんが言った。

「時間があったらね」

 その唐突な5番目の声に4人は飛び上がらんばかりに驚いた。

「レイナ!お前なー!」
「ナンシーさん、フレデリカさん、牧谷さん、突然お邪魔してしまって
申し訳ありません。お話は聞いてたんですけど、ちょっと直接話に加わっ
ておいた方がいいと思って失礼しました」
「そ、それはいいんだけど。せめてノックくらいして扉から入って来て
くれると助かるわ。心臓麻痺でも起こすかと思ったもの」
「次からはそうしますね。あ、この苺のショートケーキおいしそー!」
「お前、緊急な話があって来たんじゃないのか?」
「そんくらいいいじゃん、ケチー!タカシ君の食べちゃうぞ?」
「まだあるから、今持ってくるわね」フレデリカさんが席を立ち、新た
なコーヒーカップとケーキの皿がテーブルに並べられ、レイナはおれと
牧谷さんの間、ナンシーさんとフレデリカさんの正面の席に割り込んだ。
「それでレイナちゃん。時間があったらね、ってどういうこと?」牧谷
さんが尋ねた。
「ん、これすごいおいしー!お二人で作られたんですか?」
「そうよ。それで時間が無いっていうのは、まさか、もうLV3が・・・?」
 クリーガンさんもフレデリカさんも青ざめていた。
 レイナはケーキをぱくつきながら答えた。
「今すぐってわけじゃないけど。それでも最初の犠牲者は、3か月以内に
出るみたい」
「例の予知者とかがそう言ってたのか?」
「その人だけじゃなく、私達、つまり『彼ら』からの観測結果。彼らの
恒星系の重力場に変化があって、太陽が収縮を始めたそうよ」
 レイナ以外の4人の動きが止まっていた。
「だからもう、いつLV3が起こってもおかしくない状態。さっきの話から
すると、LV3への対策として国民全般にELを適用すべきかどうか、費用負
担とか施術内容とか、広範な議論が必要とされてるとはアタシも思う。
 でも、それにどれくらいの月日をかけられる?一年で済む?2-3か月で
何とか議論を済ませてもLV3に間に合わなかったら何の意味があるの?
人類にも『彼ら』にとっても、今出ている法案の治験という方法で、後
は国家緊急事態法で強制的にでも希望者には施術を開始した方がいいの。
早ければ早いほどいい。それだけは、確実に言える」

 静まり返った場に、レイナがケーキを食べ、コーヒーを飲む音だけが
響いていた。
 元からいた4人は顔を見合わせ、おれ以外の3人は何となくおれをすが
るように見てきたので、おれは言った。
「なぁ、レイナ。さっきの話、もう首相とかには伝えたのか?」
「うん。朝、タカシ君の部屋から慌てて消えたでしょ。あれは、この知
らせがあったから。この国の首相だけじゃなく、国連議長とか、その他
伝えるべき処には伝えていって、対策とかを協議して、それで一息つい
て戻ってきたの。タカシ君達にもなるべく早く伝えてあげないといけな
かったし、大事な話をしてたからね」
「でもさ、レイナちゃん。各国が一斉に対策を取り始めたら、さすがに
みんな思うんじゃないかな。もうすぐLV3が来るのかも知れないって」
牧谷さんが尋ねた。
「それって悪いこと?牧谷さんやフレデリカさんが話してた通りですよ。
命がかかってるなら、普段受け入れられないものでも受け入れられるか
も知れない。それを一国だけじゃなくて世界中の国が始めたなら、自分
の国の政府だけが危機を煽って国民を統括制御しようとしてるっていう
不安もある程度は和らぐでしょ?」
「気休めね」ナンシーさんが反論した。「世界的な危機にかこつけて、
国は何でも出来てしまうわ。拒否権は、国民の側には無いにも等しいも
の。受け入れ拒否による感染の拡大を口実にされてしまえば、逃げ場は
無いわ」
「でも、それは事実。感情的に受け入れられようが受け入れられまいが
変わらない事実に過ぎない」
 口調が中目のそれに替わっていた。
「せめてELがLV3へ有効だという事実を示して?でなければ、他の救済手
段を提示すべきよ、あなた達は!」ナンシーさんが食い下がった。
「ELは、あなたの人格を、思いを、なるべく現在のまま留めておく事に
役立つ。彼らを受け入れるということは、別の誰かをあなたの中に、脳
内に受け入れるということ。
 胎児でも無い限り、神経系統の切り替えや再接続に、特に大人達にな
ればなるほど耐えられる可能性は低くなる」
「じゃあ胎児は全員助かるのか?」
 中目は悲しげに首を振った。「事はそう単純ではない。適合性の問題
は、物理的・生理的な範疇に留まらないから。説明してもいいが、今の
人類に伝えても決して理解できないだろう」
「あなた達の間の子供は?さっきまでの話からすると、LV3の始まりまで
には、当然間に合わないわよね?」フレデリカさんが言った。
 中目は、おれを見て言った。
「通常の人間の胎児と変わらないスケジュールで産まれると予測された。
つまり10か月と10日くらいの時間の経過は必要とする筈」
 なぜか、フレデリカさんとナンシーさんが溜息をつき、牧谷さんは天
井を仰ぎ見た。おれも倣いたい気分だったが、他に言うことがあった。
「妊娠したってのは、本当なんだな?」
「今朝方伝えた通り。レイナもまだ不安がっている。仕方の無いことと
は言え、あなたには彼女を力づけて欲しい」
「彼女って、お前自身でもある筈なんだけどな」
「私自身は、興奮している。レイナの言葉で言うなら、わくわくしてい
る」
「LV3が来るかも知れないって時に、とてもじゃないがおれはそうは言
えん」
「白木隆。レイナとあなた、そして私は、時間をかけ過ぎたかも知れな
いが、お互いの合意の上で、ここまで辿り着いたのだ。それは必要な時
間だったのだと信じよう。そして最善を尽くそう。私達の全てと、あな
た方の全てにとっての、最善を」
「最善、ねぇ・・・」おれはとりあえずコーヒーに口をつけてみたが、
それはもうぬるくなっていた。「自分一人取ってみたって、何が最善か
なんてわかるのか?例えば、お前とレイナにとっての最善って一致して
るのかよ?」
「私にとっての最善の結果とは、はっきりしている。人類も我らも絶滅
せず、レイナもあなたもその子供も周囲の人達も、誰もが幸せと感じら
れる状態で在れる事」
「レイナにとっての最善はどうなんだ?」
 中目からレイナに切り替わり、レイナは一つ深呼吸してから答えた。
「私が言ったのとほとんど同じ。だけど、一番は、タカシ君と幸せにな
ること。どれか一つだけしか選べないのなら、あたしはその一つを迷わ
ず選ぶ」
「人類も、彼らも絶滅したとしても」
「うん。あたしはもう、その覚悟を決めてる」
「どうしてそう覚悟を決められたの?」とナンシーさんが尋ねた。
「だって、何があっても、あたしとタカシ君が幸せでいられたなら、人
類も彼らも、また殖えていけるもの。あたしは、そう信じてる」
「前向きだな、お前は・・・」おれはレイナと頭をくしゃっと撫でた。
「おれはまだ、そこまで割り切れてない。だけど」お前の言うとおりか
も知れないな、とも思えた。

「レイナちゃん、教えて。世界はその時まで平静を保っていられるの?」
「あたしと彼らは、その為の努力を惜しまないでしょう。だから人類の
大半は、大丈夫だとは思いますけど」
「大半じゃない部分っていうのは?」
「まぁ、人類の日常の範囲内で起こる犯罪とかその犠牲者とかは、いつ
も通りに保たれるくらいでしょうけど。でも有望そうな人は、自動的に
保護されるでしょうけどね」
「有望そうってのは、耐性の事か?」
「うん。それぞれに適合性とか相性があるからね。それぞれ目星をつけ
てる人はいると思うよ」
 それはあまりぞっとしない話だった。
「それはつまりあたし達に関しても同じなの?」
「そうなりますね」レイナはさらりと答えた。「まぁ、お二人の趣向と
いうかは最大限尊重されるでしょうけど、種の保存に協力してもらうか
も知れませんけどね」
「卵子を提供しろって言うなら、それはもう行ってるわ」
「存じ上げてます。さて、他に何かご質問はありませんか?」
 レイナ以外の4人は顔を見合わせたが、特に何も出てこなかった。
「じゃ、タカシ君。またね。晩御飯期待してるからね!ナンシーさん、
フレデリカさん、ケーキごちそうさまでした」
 そして勝手にキスしてきて、そのまま姿を消した。

 残された4人は、誰からともなく、ふーっと、長い溜息をついた。

「国会議員になれってだけじゃなく、人類の存亡に関われ、だものね。
あなたに同情するわ、白木議員」ナンシーさんが言った。
「コーヒー、冷めてしまったわね。お代わりを淹れるわ」フレデリカさ
んが立ち上がった。

 そうして4人はお代わりにを軽く口をつけた後、何となく解散した。
 部屋に戻る途中、牧谷さんが言った。
「ぼくは、君に同情なんてしないよ」
「そう言って下さる方が気が楽です」
「半分本気で言ってるんだけどね」
「・・・もう半分は?」
「確実に生き残るだろう人へのひがみとか嫌味みたいなものさ」
 おれは肩をすくめるしかなく、牧谷さんは自分の部屋へと戻って行った。
 部屋に戻ると、もう窓の外には夕闇が迫りつつあった。
 おれは何となく冷蔵庫の中身を確かめ、夕飯のメニューを考え始めた。

 妊婦向きの献立なんてものをAIに時折尋ねながら。
 それは思ったより、悪くない体験だった。

 外がすっかり暗くなり、時計が7時を回った頃には夕食は出来上がり、
おれはAIを通じてレイナに伝えた。もうしばらくはかかると言われ、お
れはテーブルに並べた料理の上に覆いを被せて、リビングの仮想ディス
プレイでTVのチャンネルを回し続けた。
 どの局も、明日に迫った抽選議院の再審議の特番を組んでいた。おれ
は自宅から持ってきた映画やアニメでも観ようかとも思ったが、気が乗
らずに画面を消してもらい、そのままベランダに出て手すりに寄りかかっ
た。

 議員になってから見せられてきたこと、聞かされてきたことなどが次
々と浮かび上がってはまた沈んでいった。そんなおれの内面には構わず、
眼下の道路には車や人が行き交い、数えきれないビルの明かりはそこで
働いている人達の日常を感じさせてくれた。

 この人達全員にELをかける?無理だろ?でもかけないと死ぬんだぞ?

 そんな疑問や反問が何度も繰り返された揚句、いつの間にかレイナが
横に立ち、おれの見ている風景を並んで見ていた。
「いつからいたんだ?」
「ん、いつからだろね」
レイナはおれの体と手すりの間にもぐりこんで来て言った。
「こうやってね、ほとんど同じ物を同じ所から見ていても、あたしとタ
カシ君が見ているものは違うの。それは、他の誰にとっても同じなの」
 レイナの髪が顔に心地よく当たっていた。
「ほとんど、同じ物を見ることはできるんじゃないか?全部でなくても、
分かり合えることはできるんじゃないか?」
「そうだね。そうできるのは、とても素敵なことだね。でも・・・」
レイナは言いかけたまま口をつぐんでしまった。
「でも、何だよ?」
「先に晩御飯食べよ。お腹減っちゃった」
「先に答えを言えよ」と言う代わりに、おれはレイナをぎゅっと抱きし
めた。なんとなく、それがレイナの言いかけて止めたことに対する答え
だと思ったから。

 そしておれはレイナの手を引いて、部屋の中に戻り、夕食とその後の
時間を共にした。
 次の朝まで。
 起きた時には、レイナの姿は隣に無かったけど、不安は感じなかった。

 何でだかはわからない。けど二人の間に、もう離れられない何かがつ
ながったような気はしていたから、いつも通りシャワーを浴び、着替え、
セレスティスに乗って国会議事堂へと向かった。


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