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ある日ぼくがいた場所

1-20 結審


再審議、結審、そしていくつかの発表


 議場に入ると、抽選議員の面々がそこかしこに散らばっていて、こち
らに会釈してきたりした。黒瀬議長は首相と歓談していて、二人して笑
顔を送ってきた。何か不気味だった。
 おれはブースにAIと入り、扉を閉めた。外の騒音の大半を締め出し、
モニターパネルをいくつも出し、感情固定装置取締法案や企業院からの
修正案、数々のアンケート調査結果や、自分に届いたメールの主張分布
図などを映し出していった。

 しばらくしてレイナが議場に入ってきて、議長や首相と短いやり取り
を交わした後、自分のブースに入って扉を閉じた。それからほどなくし
て、レイナからの通信パネルが開いた。
「おはよ、タカシ君!」
「おう、おはよう。元気か?」
「うん。今日もまだみんな生きてるしね」
「そりゃまた、ヘビーな返答だな」おれは面喰っていた。
「でも事実だよ。さてさて、お仕事お仕事♪」
 レイナの横顔は消失し、議場内は静かな慌ただしさを増していった。

 その数分後、黒瀬議長が開会を告げた。
「抽選議員の皆さん、これが私達の最初の本審議となります。
 ご存じの通り、法案の可決、または否決には、私を含めた17票のうち
の2/3に当たる11票が必要になります。3時間毎のセッションでどちらの
意見も2/3を得られなかった場合、休憩時間を挟んで審議が続けられて
いく事になります。
 そのセッションが重なる毎に、議長票は2ずつ加算されていき、第2
セッションでは3票、第3セッションでは5票、第4セッションでは7
票カウントされます。ただし議長票だけでの結審は有り得ず、少なくと
も議員の半数が投票している事が最低条件となっております。また、議
長票7に抽選議員票4を足した11票よりも、抽選議員の11票の方が優先
的な意見として採択される事になっております。
 採決は、議員の半数以上の同意があれば、セッション中のどのタイミ
ングでも行うことができます。例えば審議開始時に採決を行い、そこで
いきなり結審してしまう可能性もあります。今回は初めての本審議とい
うこともあり、中目議員に冒頭の進行をお任せします。では、副議長、
よろしくお願いします」

「黒瀬議長、ありがとうございます。では、前回までの投票結果を再確
認しておきましょう。企業院からの説明会の際に行われた投票では、感
情固定装置取締法への賛成は7、反対が9、未決が1でした。
 先日の取り決め通り、第一セッションは企業院からの修正案を審議し、
その結果をもって選挙院からの法案に対する採決を行います。ここまで
はよろしいですか?」
 抽選議員達の間からは、特に異論は出なかった。
「では、由梨丘企業院議長、修正案の提示と説明を10分でお願いします」
 由梨丘さんが議場に入って来て、演台に立った。

「みなさんおはようございます。この2度目の機会を与えて下さったこ
とを感謝しております。
 時間も限られておりますので、さっそく本題に入らせて頂きます。
 先日の提案は、以下の5点でした。

 企業のEL利用に関して、3点。
 (禁止行為)を規定した第十一条第三項の文末に「企業が従業員と雇
用主に対して施術する場合、事業内容に関連した省庁の大臣にも施術内
容が事前に提出され、認可を受けなければならない。」という一文を加
筆。
 同第十一条に「第十二項 全ての企業の従業員及び雇用主は、各々の
事業内容に関連した法令遵守の為の感情固定装置の施術しか受けること
ができない。」を新たに追加。

 (施術、施術のための交付及び感情固定装置処方せん)を規定した第
二四条第三項に「7.各業界団体により施術を指定された企業に属する
従業員及び雇用主」を追加して、各企業の従業員と経営者に対して業界
単位での施術指定を許可。

 政治家へのEL適用に関して、2点。
 第十一条に、「第十三項 全ての地方選挙及び国選選挙で選ばれた議
会議員は、公職選挙法に定められた感情固定装置施術しか受けることが
できない。」を追加。
 第二四条第三項に「8.公職選挙法で定められた選挙に当選した議員」
を追加。

 先日の説明会の後、最も懸念されたのは、政治家の立法機能に制限を
かけてしまう事への危惧と、企業が従業員にELを課す場合それが雇用契
約を盾にとった一種の強迫にならないかという点でした。複数の事業を
跨いだ兼任や人事異動や転職といった観点からの実現性も疑われており
ます。自営業と非自営業、正規雇用者と非正規雇用者の間での均等な処
置も難しいと言わざるを得ない部分があるのも承知しております。

 そこで我々は一部の抽選議員の方々と協議し、企業院からの提案を修
正致しました。

 企業とその従業員に対するEL利用に関しては、これを一端取り下げま
す。その最大の理由は、先日の選挙院からの説明会の質疑応答の際、中
目議員が発言していた通り、LV3への対策としてELが国民全体に施術さ
れる可能性があるからです。
 その際、まだ社会や経済の営みが止まっていないようであれば、企業
はその従業員だけの施術費用だけでなく、その家族の施術費用の一部ま
で負担できるかも知れません。交換条件として、業務に関わる最低限の
法律遵守はELの制御内容に含めさせて頂く。法律の順守そのものが害悪
を及ぼすわけはありませんから、異動や転職がその後の人生の妨げには
なりませんし、費用負担の観点からも、国だけでも企業だけでも国民だ
けでも無理なのであれば、三者の協力でこれを実現するしかありません。

 また世論でも歓迎されている政治家へのEL適用ですが、法律の順守と、
法律の変更・修正・廃案機能の併存は可能です。これは純粋に技術的な
問題に過ぎません。立法に関わるプロセスはすべて議会の審議を経る必
要が有り、その過程の中でのみ、法案は絶対不可侵なものではなくなる
と制御の内容に書き加えれば良いのです。これは通常の法律でも憲法で
も同じことです。
 緊急時には、憲法裁判所の決定を持って、政治家へのEL適用を一時的
に解除できるようにしておけば、非常時への対応に制限がかかることも
無くなります。若干のタイムラグは発生するにせよ、これは通常時のEL
利用のメリットと相殺できるものと考えます。
 具体的には、第十一条第十三項として、「全ての地方選挙及び国選選
挙で選ばれた議会議員は、公職選挙法に定められた感情固定装置施術し
か受けることができない。」を追加。

 その補足事項、第十四項として、「憲法裁判所は、必要に応じて議員
に対して施術された感情制御装置を解除することができる」も追加。
 具体的な施術内容等は、公職選挙法や国会議員法の中で、憲法裁判所
や内閣法制局と詰めていく必要があるでしょうから、この感情固定装置
取締法の中で取り決める必要はありません。

 我々企業院としては、政治家への感情固定装置施術を懸念される抽選
院の皆様へ最大限の譲歩をしたものと考えております。皆様にこの法案
修正内容が受け入れられ、ひいては今後の永き政治の安定に寄与できれ
ば望外の幸せと存じ上げます。

 以上で、私からの説明を終わります」

 議場内は、拍手をする人達と呻き声を上げる人達とで半々くらいに分
かれていた。

「では、抽選院の皆様から質問があればどうぞ由梨丘議長にお尋ね下さ
い」とレイナが告げた。何本かの手が挙がり、クリーガン議員のブース
の扉が開かれた。

「私は、今でも企業へのEL利用が認められるべきと信じております。け
れどもLV3への対策としてELが国民全体へ施術される可能性を考慮する
のであれば、企業のEL利用もその一部として検討されるべきなのでしょ
う。
 政治家、正確に言えば当選した議員への感情固定装置が施術されたと
して、それが必要に応じて解除され得る措置が取られるのも必要な事か
も知れません。しかし非常時の筆頭として考えられるLV3の対策として
ELの施術が考えられているのなら、その施術をLV3が来た時に議員達か
ら解除しようとするのは、論理的に明白な矛盾が生じていないでしょう
か?」

「お答します。例えば人工心肺装置に依存している生命に対して、その
装置を停止すれば死に直結するのは明白です。
 ELの施術は、解除したからといった死に直結するものではありません。
少なくとも平常時においては。LV3が来ていると仮定した非常時において
はいかがでしょうか。私より説明に適した方がここには二人もいらっしゃ
います。NBR社社長でもある二緒議員と、国連のLV対策室室長でもある中
目議員です。もし差し支えなければ、私からでなく、どちらかの方から
ご説明頂けないでしょうか?」

 おれが左右を振り向くと、二緒さんが挙手していて、そのブースの扉
が開けられた。

「修正案を提示し、質問を受けていたのは由梨丘議長、あなたです。私
に助け舟を出してくれと言うのは筋違いの筈ですが、参考人に招致され
たとでも考えて、NBR社のAIでも答えられる内容でよろしければ申し上げ
ます。
 先日の中目議員の発言の通り、LV3への対策としてELが国民全体に施術
される可能性は有り得ます。LVは最終的に脳細胞に感染し、脳神経系の
接続障害を引き起こして、幻聴・幻覚などを通じて自殺・自己破壊に及
び、一部は他殺や周囲への破壊的活動を通じて自己の破滅を図ったりも
します。その前にショック死したり、生命活動の維持を脳が正常に管轄
できなくなって死亡に至る場合もありますが、要になっているのが、脳
神経の接続情報の書き換えです。
 LV2への対抗手段として、正常時の神経接続情報を保持し、抗体組織が
識別できなくなったLV細胞を攻撃・死滅させ、ESP細胞のストックから再
生した細胞で修復・再生を並行させる。この対抗手段からMRやELが開発
されてきたのは偶然ではなく必然です。
 人間の感情とはつまるところ脳内の化学物質の変化であり、そして全
ての行動は脳神経接続の結果生まれ、身体に伝えられます。言い換えれ
ば、脳の活動そのものが人そのものであり、それは全て脳神経細胞の接
続によって左右されるのです。記憶も然り。人間の思考は言語を抜きに
しては有り得ず、それは記憶の内容によって構築されます。
 ご質問にあったELを解除したら施術されていた議員達が死亡するか否
かですが、「死亡しない」が正解となります。何故なら、ELそのものを
完全に除去するのではなく、一時的に非常時の対応として、その機能の
一部を停止させるだけだからです。脳細胞の接続情報はその間EL装置内
に保持されたままです。
 ただし制御の一部に穴を開けるような行為ですから、接続情報の書き
換えを許可するということはすなわち、LVに対する脆弱性をわざわざ作
りだす行為とも言えます。であればこそ、技術的には可能とは言え、そ
もそもが非常時への対応が職務の最優先事項である議員達にELの制御を
かけておくことが望ましいかどうか、疑問の余地は残ります。

 LVへの対策として議員達自身からELの施術を望む事もあるでしょうけ
れど、政治的見地や立法等、議員としての活動に制御をかけるべきかど
うかは、やはり立法プロセスの中で論じられ、決定されていくべきでは
ないでしょうか。
 私が先日申し上げた通り、選挙でそれを実現するというのも民主主義
の在り方の一つではあるでしょう。その選択の結末については、苦楽共
に飲み干す覚悟が有権者に要求されますが。
 このような答弁でよろしいでしょうか、クリーガン議員?」

「はい。ありがとうございました。二緒議員。そして由梨丘企業院議長。
以上で私からの質問を終わりますが、後日LVへの対策としての国民的な
EL施術への対策を一日でも早く条文化して立法プロセスに乗せて下さい。
お願い致します」
「それはもう可能な限り早急に。お約束します」
 由梨丘さんの返答に合わせて、クリーガン議員と二緒議員は自らブー
スのパネルを閉じて着席した。

「他にどなたか質問はありますか?」
 レイナの呼びかけにまた複数の手が挙がり、今度は増満さんが指名さ
れ、パネルが開かれた。

「私は納得がいかない。政治家へのEL利用よりも、企業のEL利用が許可
される方が大切だと思っていたからです。これはあなたも同感だったん
じゃないんですか、由梨丘企業院議長。あなた自身に答えて頂きたいです」
「私個人の思いとしては、増満議員と違えるものはございません。しかし
ながら先日の企業院からの法案説明会の後に行われた数々の世論調査な
どの結果からも、企業の従業員に対するEL利用への理解はまだ低いと言
わざるを得ません。実現策としては、LV対策として国民全体へのEL施術
の中で、希望者とその家族に企業が費用を援助する形で施術を行ってい
くことが最も無理の無いものになるでしょう。
 それも受け入れられないという方達は少なくないでしょうし、逆に費
用をねん出できない従業員やその家族への費用援助をどうするか、施術
内容の差別化と統一化をどう使い分けていくのか、国民的議論となるべ
き課題は山積しています。政治家へのEL利用に関しても二緒議員が提起
された点は無視されるべきものではありません。
 先ほどクリーガン議員にお約束した通り、企業院は抽選院の方々の代
わりに法律を立案し、抽選院の方々の手で選挙院の立法審議に送って頂
けるよう尽力致します。今はこの約束でご容赦頂けないでしょうか?」
「いつまでにその法案を企業院で締結して、抽選院に送ってくれるんで
すか?」
「重要な、しかし決めやすい部分から、3か月、いえ一か月以内には何と
か。ただし世間の広範な議論も必要とされている点もご推察頂けると幸
いです」
「わかりました。一日でも早い法案送付を心よりお待ちしてます。以上
で、私からの質問を終わります」

 その後は、議員に対するEL制御の内容についての質問が重なったが、
これは各種公務員や自衛軍兵士、パブリック・チルドレンに対する制御
と同じく、この感情固定装置取締法の中で規定されるべきでない旨、法
制局や憲法裁判所からの見解が提示されて退けられた。
 議員達が議員達自身への感情制御内容を審議することの危うさについ
ても質問が挙がったが、代議制民主主義においては議会における立法プ
ロセスを経ない立法は有り得ず、それを担当する議員達がその内容に関
わらない事もまた有り得ないとして退けられた。その内容が選挙民への
公約を果たすものであったかどうかについては、次の選挙のプロセスで
判断されるべきものであり、特に虐殺を許容するような逸脱した内容で
無い限り憲法裁判所がその妥当性を判断することも筋が違うというのも
また事実に過ぎなかった。

 質問を求める挙手が尽きたのを見て、レイナは言った。
「それでは質問が終わったようですので、企業院からの提案を支持する
かどうかの採択を行いたいと思いますが、異存のある方は挙手をお願い
します」
 一本の挙手も無く、レイナは先に進んだ。
「反対の方はいらっしゃらないようなので、採択を行います。抽選議員
の方で、企業院からの修正案に同意される方はYesの投票ボタンを、同
意されない方はNoの投票ボタンを、棄権される方はボタンを押さないま
までいれば棄権と見なされます。
 では投票に一分間時間を取りますので、各自投票行為をお願い致します」

 議場の壁の上方に設置されたディスプレイに、縦に議員の名前が並び、
横にYesとNo、そして白票=棄権の投票を示す表が映し出された。
 最初は空欄だけだった表は、ゆるゆるとしかし確実に各自の判断で埋
められていった。

 まずは中目と二緒さんが表の表示と同時くらいに、Noを。続いて牧谷
さんと赫さんがほとんど続いてNoを。そこまででまず選挙院の代表でも
ある列席した大臣達が湧きかえったが、春賀さん、八神さん、増満さん、
奈良橋さんと続けてYesの票を投じたので静まり返った。

 ここまでで4対4。

 わずかな間を空けた後、クリーガンさんと鈴森さんがYesに投票。
 6対4で賛成派に傾いた。

 残り30秒で残6票となったところで、内海さんがNo。おれもNoに投じた。

 これで6対6。残り4人全員が賛成に投じなければ、2/3未到達で企業院
からの提案は却下される。

 残り15秒で轟さんがYes。7対6。

 残り10秒で藍澤さんがYes。8対6。

 残る二人は、七波さんと青月さんだったが、七波さんは目を閉じて背
を真っ直ぐに伸ばして落ち着き払っていたのに対し、青月さんは深刻な
表情でボタンを前に固まっていた。

「残り5秒です」

 レイナが告げると同時に、青月さんがYesに投じた。

 9対6。

「七波さんが棄権したらどうなるんだ?」
 おれはAIに尋ねた。
「全体の票数は15票に減りますが、三分の二票は、10票のまま変わりま
せん」
 議場全体が固唾を飲んで見守っていた七波さんは、ディスプレイの時
間表示がまさに残り1秒からゼロに変わる瞬間に、目を見開き、Noに投
じた。

 結果は、9対7。賛成派は三分の二を得られず、政治家へのEL適用はひ
とまず見送られる事になり、議場内からは歓声が上がり、議場前方に座
していた少なからぬ人達は握手を交わしていた。

「お静まり下さい。議事進行中です」
 冷静な声でレイナが告げた。
「ご覧頂いた通り、抽選院議員達は、企業院からの提案の賛成に必要な
票数を得られませんでした。これで本来の議事進行に戻りますので、以後
の進行を黒瀬議長にお返し致します」
 議場が静まり、黒瀬議長が登壇して告げた。
「では、もし半数以上の議員の方々の同意が得られるのであれば、ここで
選挙議院からの法案採択に臨みたいと思いますが如何でしょうか?ご賛同
頂ける方はYesの投票をお願い致します」

 さっきは企業院からの提案にYesが過半だったのだから、半数は集まら
ないんじゃないか。おれはそう思ったのだが、その人達の大半が投票し
なかった。投票に賛成が7、反対が4、棄権が5で、おれはやはりAIに
尋ねた。
「この場合どうなるの?」
「投票された票数の中で半数が数えられますので、11票の内7票ですから、
半数以上として認定されます」
「変なの・・・」
「そうでないと、例えば9名が結託すれば、抽選院はいかなる法案に対し
てもいつまでも投票に及べなくなってしまいますから」
「そうか。そうなる・・・のか」

 半数プラス1では、三分の二である11票には及ばないが、議長票の加
算をも無視できる効果を生めたのだ。投票が行われなければ、すなわち
加算も成立しない事になるのだから。残りの7人がいくら頑張ろうと説
得しようと、投票が行われなければ法案は成立しない。
 もっとも、この積極的な審議拒否も、審議不成立という見なし裁決が
一か月後に認定されれば選挙院での再採択で法案は成立することにはな
るのだが、それではあまりに抽選院の審議が意味を成さなくなる可能性
が生まれる。
 議事進行AIが、その辺の仕組みを黒瀬議長からの依頼で抽選議員達に
説明した上で、選挙院からの法案採択は行われることになった。

「ようやく、本番か」
 AIは答えなかったが、代わりに通信パネルが開いてレイナが答えた。
「今までだって、ずっと本番だったよ?」
「そうだな。そうだったな」

 そうして行われた投票は、意外な結果に終わった。
 順に見ていこう。

 10代女性議員:中目零那:賛成
 10代男性議員:白木隆:賛成
 20代女性議員:二緒律子:賛成
 20代男性議員:奈良橋悠:反対
 30代女性議員:内海愛:賛成
 30代男性議員:牧谷暁生:賛成
 40代女性議員:鈴森加奈子:賛成
 40代男性議員:増満幸太:反対
 50代女性議員:青月綾香:賛成
 50代男性議員:轟豪:賛成
 60代女性議員:ナンシー・クリーガン:賛成
 60代男性議員:藍沢守:賛成
 70代女性議員:七波茜:反対
 70代男性議員:赫和夫:賛成
 80代女性議員:春賀緑:反対
 80代男性議員:八神明:反対

 賛成11、反対5。
 議長が更に賛成に投票して賛成12、反対5で、審議はあっさりと結審、
感情固定装置取締法案は成立してしまった。

 湧きかえる議場とは正反対に、おれは拍子抜けしてしまった。意外な
投票結果に驚いているのはおれだけかと各ブースを見渡してみたが、同
じ様な表情をしてたのはほんの3、4人。他の多く、特に企業院からの法
案に賛成票を投じていた人達の多くは、諦めた様な、仕方無いといった
苦い表情をしていた。

 黒瀬議長が閉会の挨拶を済ませ、各ブースの扉が開きかけたが、それ
は一旦閉じられ、レイナが告げた。

「法案審議お疲れ様でした。今日の審議はこれでおしまいですが、国営
テレビ主催の共同記者会見が申し込まれています。こちらは自由参加で
すが、結審から休憩を1時間挟んで、議事堂内の会見場にて行われます。
参加を希望される方は遅くとも開始10分前までに会見場控え室まで集まっ
て下さい。
 この共同記者会見とは別に、国営放送からの個別インタビューがあり
ます。これは結審から一週間以内に、各自の都合がよろしい時に受けて
下さい。健康上の理由等が伴わない限り、このインタビューには応じる
義務がありますが、各々の政治的見解や投票行動の理由等について黙秘
権は認められています。公開を希望しなければ一般への公開は控えられ
ますが、裁判所に記録は残されます。
 それでは解散します」

 こうして、おれの抽選議員としての最初の本審議は、第一セッション
の半ば過ぎくらいで終わった。終わってしまった。
 もっと語るべきこと、論じ合うべきことがたくさん有ったんじゃない
か?
 七波さんが提起した生贄論みたいな本質にはまるで触れられないまま
だったし、おれは消化不良でもやもやしていた。

「すっきりしてない感じね」
 レイナがブースの入り口に立っていた。
「見りゃ分かるだろ。なんか、あっけなさすぎてさ」
「そうでも無いと思うよ」
「どうしてそんなこと言えるんだ?」
「だって、選挙議員達がこの日この時に至るまで、何時間の討議を議場
内外で費やしてきたと思ってるの?選挙議員達だけじゃなくて、いろん
な審議会や官僚達だってそう。それだけ重い法案だったの。だから私達
素人議員の票に一喜一憂してはしゃいだり静まりかえったりするのも仕
方無いでしょ」
「そんなのが一番最初に審議されるっての、やっぱおかしいよ。いまさ
らだし、必要だったのはわかってるけどさ」
「逃げ場は無いの。誰も、その事実に面と向かい合うしか無いんだもの。
それが出来るなら、早ければ早い方が良いでしょ。違うかな、かな?」
 首をかしげたレイナを見て、おれは溜息をつきそうになるのを、なん
とか呑みこんだ。
「審議をやり直せったって、無理なんだろ?漫画みたいに主人公が八方
走り回ってさ、無理が道理を引っ込めるみたいな」
「やり直しは無理。少なくとも、修正案が企業院か選挙院から出て来る
とか無い限りね」
「抽選院議員てな不自由ってか、中途半端だなぁ。まだ以前の参議院議
員のが法案も提出できたのに」
「それでも衆議院の優越が認められていた事実は変わらないし、以前の
制度に巻き戻る事も無いよ」
「そりゃわかってはいるけどさ」
「それより共同記者会見どうする?あたしは出るけど」
「ちょっと考えさせてくれないか。このもやもやを残したまま、テレビ
のインタビューなんか受けられないってか受けたくないっていうか、そ
んな状態なんだ」
「ふーん。じゃ、それまでに何か軽く食べておかない?もうすぐお昼だ
し」
「すまん。ちょっとだけ一人にしておいてくれ。何か食べるならあのレ
ストランだろ?おれも気が向いたら後から行くからさ」
「わかった。それじゃ先に行ってるね」
「おう。サンキューな」
「どういたしまして」

 レイナが去った後、おれはパネルを閉めてつぶやいた。

「記者会見、か。気が乗らないな」
「参加は任意です」
「わかってるさ。ねぇ、さっきの審議、かあさんはどう思う?」
「AIが審議内容や経過について評価することはありません」
「それでもさ、何かないの?」
「どうしてもとおっしゃるなら、全て規定の範囲内で行われた審議であっ
たという評価だけです。またそれだけが、立法審議に必要なことです」
「内容に心底納得がいってるかどうかよりも?」
「納得というのは主観であり、個人差があって、しかも不特定多数の、
わずか17人の投票権を持った人達の間でも均一にすることがむずかしい
のはご主人様もご存じの筈です」
「それはそうだけどさ、議員てさ、それでも何とか、納得できないもの
を納得できるようなものにするのが仕事じゃないの?」
「最終的に、立法化された手続きを経て、法案が成立すれば、それは主
観を越えて必要数の議員達の間に受け入れられたと判断することは可能
ではないでしょうか。それが納得という主観的な言葉に置き換えられる
かどうかは別の判断になるでしょうけれども」
「法案成立に必要な議員の賛同が意味するもの、か・・・」

 法案成立に必要な審議は何時間とは定められていない。それがわずか
2時間程だったとしても、結審に至るまでのプロセスは全て規定の範疇
に収まっている。おれもわかっててその審議に加わって、考え、投票し
ていた。そのつもりだった。
 けど、投票結果が予想外だった。
 選挙院からの法案には反対派の方が多くて、少なくとも議長の加算票
が5票になる第3セッションまではかかるつもりでいた。それが覆され
てしまった。

 なぜ?
 なぜその予定は狂ってしまったのか?

 企業院は、企業へのEL利用を一端見送り、政治家への利用のみに切り
替えた。これで賛成できる抽選議員は増える筈だったが、結果は違った。

 なぜ?
 何が分岐点だった?
 何が、誰が、流れを変えた?

 おれの頭の中はぐるぐると空転したまま答えには辿り着けなかった。

 ブースの扉をノックする音でおれは我に帰り、パネルを開いた。二緒
さんだった。
「白木君、お昼食べないの?あと20分で記者会見始まるわよ」
「すみません。何か気が乗らなくて」
「あっけなく終わってしまったから?」
「そんな、感じです。拍子抜けしたっていうか。もっと話し合うべきこ
とがあったんじゃないかって」
「白木君、扉閉めてもらえる?」
「え、ええ?いいですけど」
 二緒さんが中に入ってきて、おれは少しどきどきしながらパネルを閉
めたが、二緒さんの顔からはそういった期待は読みとれなかった。
「わかってるとは思うけど、この議場内で、LVとか中目議員の正体につ
いて論じあえると思う?私達が聞いているレベルで、LV3がどうして、い
つ頃やってくるのか、公にできると思う?少なくとも、私にはそう思え
ないわ」

 おれは反論できずに黙ってしまった。納得もできなかったから、ふて
くされたと言えばそれが一番近い。

「誰だって、全てに納得なんか出来るわけないじゃない。LV3なんて来な
い方がいいに決まってる。中目さんなんて例外だって、本来なら、いな
い方がいい存在に決まってるじゃない」
「そんなこと言って、だいじょうぶなんですか?」
「わかりきったことくらい言えるわ。あの人達だってわかってることだ
もの。ただ、公に出来ることと出来ないことは、こんな国会の場だから
こそ、誰も言えないことがある。だからこそ、国会議員にELで制御なん
てかけられないの。議員は国会の場で嘘をつけないなんて制御をかけた
ら何が起こるかしら?想像してみて。それが国民の納得のいくものかど
うかで考えれば、決して納得いかないでしょう。
 私がこの間言ったこともだから嘘よ。そう願うなら選挙で実現すれば
いいって言うのは、例え選挙の結果、ELの制御を受け入れるという議員
達が過半を占めても、NBR社としてその制御は実現させないでしょうね」
「またそんな物騒な発言して。いくら二緒さんでも・・・」
「私は別に議員なんて立場に執着してないもの。こうして白木君ともお
話しできるきっかけになったことには感謝してるけどね。話を戻すと、
ELは誰かが言ってた通り、人類最凶のブラックボックスなの。史上最も
危険な両刃の剣。人がその肉眼だけで内容を確かめられないものは、怖
れ触れないのが最善なんだけどね」
「今さら、ですね」
「うん。いくらラベルやカルテに書かれてるものが何であって、第三者
が立ち会ってたって、ナノ領域のサイズよ。それが実際にどう動いて人
の身体組織に食い込んでどんな機能を果たすかなんて、人の目では追え
ないしわからないもの。何かの装置の助けを借りない限りはね。
 知ってる?、白木君。ソビエトのある歴史的人物が言った言葉」
「なんですか?」
「票を投ずる者が権力を持つのではない。票を数える者が権力を持つの
だ」
「ELに置き換えると、ぞっとしませんね」
 二緒さんはつと顔を近づけて小声で言った。
「実は、もうみんなELを受けているって言ったら、信じる?」
「ええええええ!?」
 二緒さんは身を翻してくすくすと笑った。
「うそよ。さ、私は会見はパスしたいけど、そうもいかないか。NBR社
社長というのも面倒な肩書よね。それじゃまた後でね」
「はい、また後で・・・」

 おれはまたブースの扉を開いて二緒さんを見送り、椅子に深く背を預
けて、天を仰いだ。


***

 おれはほとんど時間ぎりぎりになって控え室に入った。
「遅いよ、タカシ君!」
「すまんすまん。おれ以外、みんな揃ってるみたいだな。て奈良橋さん
がいない、か」
「さ、もう会見場に入るよ」

 15人と議長、そしてそれぞれのAIは、会見場に入り、一番奥からレイナ、
おれ、二緒さんといういつもの性別・年代別の順で着席していった。
 向かい合ったカメラやTVカメラの数は、数百といったアバウト数え方
しかできなかった。フラッシュは一秒間に数十回は焚かれていたし、質
問しようと待ち構えている記者達の中には日本人には見えない人も多く
含まれていた。
 記者会見は黒瀬議長の挨拶と質疑応答から始まり、次に各議員から手
短に今回の審議の感想や今後の所信などを述べていくことになった。年
上の年代の八神さん、春賀さんから始まり、牧谷さんまでで一番多かっ
たのは、LV3がいつ来るかわからず、ELが対策として有効かも知れない
のなら、治験という手段で国民への施術を可能にする今回の法案に賛成
するしかなかったという意見だった。

 つまり、流れを変えたのは、中目零那だった。

 そんな流れを受けて、二緒さんは言った。
「NBR社長、二緒律子です。議員として十分な活動ができたかどうか、
評価はわかりかねます。ただし審議に参加し、発言し、他者の意見に耳
を傾け、投票または棄権という判断を下す。それら一連の行為は私達抽
選議員一同つつがなく行えたのではないかと思います。
 今回の法案の成立に参加できたことを誇りに思いますし、今後とも同
僚議員の皆様と協力して審議を進めていきたいと思います」
 短かかったが、大きな拍手が起こり、二緒さんは無数のフラッシュに
包まれながら着席した。

 いよいよ、おれの番だった。
「白木隆です。本当はもっと、話し合いたかったです。選挙院とか審議
会とかでどれくらいの時間を今まで費やしてきたかは聞いてますが、ぼ
く達抽選議員はまた別の存在です。時間は無現にある訳じゃないし、全
ての議論を白紙の状態から再出発させるべきとも思いませんが、消化不
良な感じです。
 企業院からいずれ送られてくる修正案の審議には、このもやもやした
感じが残らないようがんばりたいと思います」
 目がくらむほどのフラッシュに包まれて着席すると、ラストのレイナ
が立ち上がった。
「中目零那です。副議長に任じられていましたが、今後より一層円滑に
議事進行できるよう、黒瀬議長や議員の皆さんと協議していきたいと思
います。
 初めて審議する法案としては、かなり重い内容であったにも関わらず、
生活者たる抽選議員ならではの活発な議論が行えたのではないでしょう
か。企業院との連携も今後一層密になっていくでしょうし、期待が持て
ます。
 若輩の身ですが、今後とも皆様のご協力をお願い致します」

 そして議事進行AIが質疑応答に移ろうとした時、奈良橋さんが会場に
入って来た。

「いやー、すんまへん、えろう遅れてもうて。いろいろ準備があったさ
かい」

 奈良橋さんは黒瀬議長、レイナに小声で何かを告げてから、議事進行
AIからマイクを取り上げて言った。

「ども、抽選議員の奈良橋悠です。この場をお借りして、大事な発表が
あります。わいの婚約者を発表させて頂きます」

 当然ながら、時と場所をわきまえろといった声があちこちから上がっ
たが、奈良橋さんは無視したし、議事AIや黒瀬さん、レイナも抗議する
ような素振りを見せなかった。
 ふと、会見場入口が大きな騒ぎに包まれた。会場を埋め尽くした数百
の報道陣がすわ何事かと身構える中、首相と宮内庁長官に間を挟まれて
入ってきたのは、相子殿下だった。
 会場中が爆発するような騒ぎになり、慌てて何十人かが一斉に部屋か
ら走り出て行ったりもしたが、首相達にエスコートされた殿下は、奈良
橋さんの隣に立った。

 もうそこから先がどうなったかは言うまでもない。

「狙ってたのか、これ?」

 その晩。レイナと部屋で晩飯を食い、テレビを見ながらおれは言った。
「どのニュースも、相子殿下の婚約の話題一色。明日の朝刊の一面も、
同じだろうな」
「婚約発表は、感情固定装置取締法案の本審議が結審してからって決め
てあったの。だから、差し戻しとかされてたら、もうちょっと後になっ
てただろうね」
「どうして結審してからだったんだ?」
「議員として最初の仕事をこなしてからにしたかったんだって。それに、
もし発表が結審の前だったら、それはそれですごい雑音になって審議に
集中できなかったかも知れないでしょ?」
「そうかも知れないけどなぁ。せっかく抽選議院なんてもの作って、最
初の仕事こなしたんだから、もうちょっと取り上げてくれたっていいの
に」
 レイナは苦笑して、おれのうなじを撫で上げてきた。
「たった二人しか残されてない皇族の片割れが婚約したんだから、国民
的には一番の関心事になるのは仕方ないでしょ。それにトップニュース
じゃなくたって、奈良橋さんの紹介の絡みで、今回の法案の審議とか結
果についてだって、ちゃんとどこも報道はしてるよ。一応ね」
「おれが気になってるのはさ」
「うん?」
「この騒ぎを目くらましに使ったんじゃないかってことなんだ。首相と
か選挙議院とかもグルでさ」
「否定するつもりも無いけどね。騒ぎはまだまだ大きくなると思うよ」
「どうしてだ?」
「LVへの対策としてELを国民全員に施術するとかって話出てるよね。で
も、皇族は国民じゃないんだよ。どうするんだろね、とか」
「施術を受けるといっても受けないといっても、大騒ぎになるのか」
「それに今後の審議予定に入ってる国体維持関連3法案の中で、皇室維
持に関する法律も含まれてるしね。火種候補はいくらでもあるよ」
「でも、婚約発表をこのタイミングで持ってきたってことは、やっぱり
今回の法案が一番大事だったんだな?」
「理由はもう知っての通りだよ。抽選院や企業院の顔も最低限立てつつ、
最速のタイミングで法案を成立させ、さらに成立に伴う社会的不安は排
除しなきゃいけなかったんだよ?」
「その舵取りが、お前に任されてたってわけか」
「抽選議員の自由意思を基にね」
「かなり危うい賭けだったんじゃないか?そもそも副議長に選ばれるか
どうかだって・・・」
 そこまで言って、二緒さんの言ってた言葉を思い出してしまった。
「何もずるはやってないよ。何でもありの存在らしいから、信じてもら
うのは大変だろうけど、ね」
 おれは無言で肩をすくめた。
「二緒さんでも良かったの。だけどNBR社社長という立場は、議員にはそ
もそも向いてないし、副議長なんて首相代行になるかも知れないならな
おさら。今回の法案なんて、一部にだけど、二緒さんは投票を自粛すべ
きだって意見が根強くあったしね」
「まぁ、お疲れさんって言っといてやるよ。よくやったよ、お前は。お
れとタメなのにな」
「えへへ、ありがとー!」

 おれはレイナの頭をくしゃくしゃと撫でてやった。

「それにしても、奈良橋さんと相子殿下か。もしかすると、相子殿下も
耐性が高いとか?」
「そうだよ」
「てことは、耐性が高いその世代の候補から、相子殿下のお目がねに適っ
た人が選ばれたとか?まさかそんなことは・・・」
「結果から言えばそうだよ」
「いくらなんでも、それはいいのかよ?」
「日本国政府が把握できた20代の男性で、最高の耐性を持っていたのが、
あの奈良橋悠さん。引き合わせた側に、皇室を維持させたいって意図が
あったのは確か。でも、誰も相子殿下に強制したりなんてしてないよ。
あの二人は、自分たち自身の意思でくっついたんだから」
「今回の騒ぎの演出についても?」
「発表した段階で大騒ぎになるのは誰にでもわかるでしょ?だからその
タイミングは利用させてもらったの。それは彼ら自身にとっても損じゃ
無いことだよ」
「皇室維持法とやらも待ち構えてることだし?」
「まぁね。この後もいろいろとエグイのが待ち構えてるから楽しみにし
ててね♪」
「エグイのねぇ。何か休日を定めるとか、そんな気楽なのが一番先に来
てれば良かったのに」
「そういう意見も確かにあった。まず手順に慣れてもらうべきじゃない
かってね。でも状況がそれを許さなかったの。それだけ」
「そっか・・・。なぁ、もしかして、あの二人の間にも、もうデキてた
りするのか?」
「子供ってことなら、まだだよ」
 おれは我が身を振り返って、頭をかいた。
「審議も一つ終えたことだしなぁ。確かに区切りとしてはいいタイミン
グなのかな」
「何のこと?」
「ほら、婚約したことになってるだろ、おれ達?でも、おれはまだ正式
にプロポーズしてないし、指輪もまだおれの手元にある状態で子供が先
に出来ちゃったのならさ、その、ちゃんとしないか?記者会見どうのこ
うのとかはとりあえず後で考えるにしてもさ。お前は、いやか?」
 レイナはじっと考え込んだ後、言い淀んだ。
「いやじゃない。うれしい。けど・・・」
「けど、何だよ?元々お前からふってきた話なのに」
「ごめんね。タカシ君と一緒になるって事については、もちろんYesなの。
でも、対外的に正式に婚約したりとか、二人の間に子供が出来てるとか
を発表するのとかは、もう少しだけ待ってて。私との間でも、まだ話し
合ってることがあって、ね。とても大切なことについて」
「私って、中目か?」
「うん。あたしは折れるつもりが無いから、たぶん、私が折れてくれる
と思うんだけど」
「ややこしいな。で、おれには教えてくれないのか?当事者の一人だろ?」
「二人の間で結論が出てからね。ただ、これは今でも言えるのかな。あ
たしは、自分のお腹で二人の子供を育てたいだけなの」
「別に当たり前の事じゃん?」
「だよね。うん、そうだよね。良かった。そう言ってもらえて」

 それが何故問題になるのか、おれはもっと考えてみるべきだった。
 なんでそんな自然なことが、中目とレイナの間で議論になるのか、わ
かったのは次の法案審議が始まってからだった。

 人口維持関連3法案の一つに、人工子宮利用法が含まれていた。減少し
続ける出生率を増加に転ずる切り札として開発された装置の実用化を認
可するかどうか。
 人工子宮そのものに、卵子を作ったり排卵したりする機能は無いが、
受精卵を母体から取り出し、人工子宮に移し、出産まで胎児の状態を文
字通り『完全に』制御する。先天的な病気や障害などは胎児の段階で治
療してしまうし、早産や難産も流産も無い。
 妊婦にとっては完全にリスクフリーな妊娠になるだけでなく、妊娠や
出産に伴い社会生活の一線から退く必要が無くなる。労働力の確保とい
う意味合いでも非常に大きな効果を持つと期待されている。

 良いこと尽くめに見える。

 けど、ESP細胞技術を組み合わせたら何が起こるかというと、ほぼ無限
に人類を製造できてしまうのだ。卵子(未受精卵)を複製しまくり、精
子とかけあわせていくだけで、数億、数十億以上の人間がいとも簡単に
作れてしまうのだ。

 で、人類の置かれた状況と、おれとレイナの状況を振り返ってみよう。

 通常、一度妊娠すれば、出産などで子宮が空くまでは、次の子供を妊
娠することはできない。当たり前の話に過ぎなかった。
 だが、ESP細胞を元にした培養技術と、人工子宮を組み合わせれば何が
できるか?
 必要な数だけの受精卵を造り出し、人工子宮で育て上げる事が可能に
なってしまったのだ。
 もしレイナが自然受精に拘るとしても、受精卵は逐次人工子宮に移し
替えることによって、次の受精卵を子宮内に宿すことができる。

 ただ10ヵ月と10日を待つよりは、遥かに多くの子供達を生みだせると
いう理屈になる。

 おれとレイナの間の子供が完全な耐性を持つのであれば、それを百五
十億個用意すれば、他の人類は誰も死ななくて済むことになる。
 人類にとっても、彼らにとっても、悪くない話だ。
 レイナの子宮で育てられなかった子供が、本当に耐性を引き継げるか
どうか、議論の余地が残っていたにしても。
 そんな状況下で、おれは次の法案と向かい合うことになった。


(第一部終わり)
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