ある日ぼくがいた場所

2004/08/26(木)13:32

日記のようなもの(56) 優しさ

お仕事(19)

 職場の年食った新人が相変わらず使えない。日々、「え、そんな事も知らなかったの?」「そんなんも分からんの?」といった新しい発見が周囲にはあるのだが、疲れるだけだ。当人を除いて。(苦笑  例えば今夜、教育役の人がその新人から受けた質問はこんなものだったそうな。 新人:「インターネットに接続できないんですが」 教育役:「・・・XXさん、これケーブルつながってないよ?」 新人:「あ!そっか!」 教育役:「・・・・・・・・・・・・・・・・」  まぁそんな感じの人です。^^;  その後、教育役の人と、職場の客先の人と3人とで夜ラーメンを食べに行き、その新人の事とかその他職場に纏わるような事をいろいろと愚痴りあった。由緒正しき社会人オヤジへの道を辿っていると言って良いのかも知れない。  帰宅途中にゲーセンでVF4FTを少しやって帰ったら既に12時前。  フルメタルジャケットを再鑑賞しつつ、FF11にログインし60制限のバリスタの準備。しかしこの映画、罵詈雑言や卑猥な言葉で満たされているのだが、品格は少しも損なわれていない。美辞麗句を並べ立てても映画として最悪な出来なものとは対照的だ。  日本の学校とかでこの映画の中の教官、ハートマン軍曹のような教示を垂れようものなら、一発で停職か懲戒免職だろう。父母からの抗議で。別に戸塚ヨットスクールや兵員教育を礼賛するわけじゃないけど、今の日本の教育とかって、子供を持ち上げすぎなんだと思う。  同じ地面に立った時の視点の差を、現実の差として彼らに認識させる事自体は悪では無い。彼らは1個の存在ではあるが、大人ではないのだ。未成年という、保護すべき存在かも知れないが、それだけ未熟な存在なのだ。良い意味でも悪い意味でも。  教育や受験という繭で彼らをくるんでおけば将来は安全だなんて事は(もはや)無い。美辞麗句のみでコーティングされた本や映画だけ彼らに見せていれば、いわゆる"品行方正"という親が子供に望む様に育ってくれるだなんて保証も無い。  そんな意味でハートマン軍曹は、映画の脚本や監督の意図はもちろんあったにしろ、新兵達に対してはっきりと「お前らは地球上で最下位の存在だ」「蛆虫どもめ」「両生類の糞をかき集めて作られた存在」などなど、あらゆる罵詈雑言のシャワーを浴びせるものの、彼らを一人前の兵士として育て上げようとしている公正さというか、親身な姿勢が見て取れる。  例えば、「おれは人種差別はしない」と言いながら、黒人兵士に「お前はスノーボール(雪玉、邦訳だと白雪姫)」と仇名をつける所など、うならされた。彼は新兵を平等にこきおろし、罵倒し、彼らのプライドをいったん叩き潰しておいてから、兵士としての教育を施していく。それが、彼らが兵士として生き延びる為に必要だからだ。  教練の冒頭の方で、ライフルを右肩から左肩へ移し変えたり、胸の前で構えたり、脇に降ろしたり、それらを行進しながら行うといった場面が何回か続く。  実戦でそんな諸動作が必要になるかと言われれば、おそらく必要無いだろう。要点は、上官からの命令に間違い無く従い、それを(部隊として)実行する、という事の訓練だろう。  別に、今の日本の義務教育の中に軍隊教練が必要だと言うのでは無い。  ただ、夏休みの課題図書のような、大人(教育者)達の耳目に心地よく響くらしい言葉を並び立てた本や映画しか子供に見せないというのは、教育として偏っているのではないだろうか?  映画でいえば、血が流れないとか誰も死なない(殺されない)事が判断基準の一つにもなるらしいが、小学校低学年(10歳未満くらい)までならともかく、それ以上なら彼らは両親や教師達以外にも情報ソースを持ち始めているだろう。通学に使っている路線で飛び込み事故(自殺)があっても、(それが目の前で起こらない限り)誰も騒がないし涙にくれたりしない現実を目の当たりにしてれば、人の生死の扱われ方の軽さなんて充分に身に染みてる年頃だろう。  そんな年齢なら、この「フルメタルジャケット」を観て充分に何かを得る事ができると思う。  マラソン中に最後尾で脱落しかける落ちこぼれ新兵にハートマン軍曹が浴びせる言葉が強く印象に残っている。 「お前のせいでおれも死ななくちゃならんのか?」  優しい言葉かと言われれば、そうではないかも知れない。  ただし実際の戦場で、一人の逃げ遅れを庇う為にもう一人が残り、それで二人とも殺されてしまうなんていうシチュエーションは充分に想定し得る。主人公に肩を貸されながら何とか走り続ける落ちこぼれ(まぁ呼び名そのままのデブ)を庇う為に、(実際の戦場で)戦友や上官を犠牲にする気か?、と訓練兵を罵る教官というのは、果たして優しさに満ちていないだろうか。全ての訓練兵と、そして彼らが新兵として戦場に赴いた時、彼らと肩を並べて戦わなければいけない兵士達双方に対して平等に。  社会とか、職場とかも、実は戦場なのだ。日々の糧を得るための。  35を越えた新人という立場だからといって、彼が特別視されていいわけもない。彼一人の為にチーム全体の負荷が限界を超える事も望ましくない。  私の職場では、一日の業務が終わった後のチームミーティングで、それぞれがお互いに伝えておいた方が良いと思われる事を報告しあう。私は新人以外には分かり切ってる事でも、その新人の為に「こーいう問い合わせが来たので、こーいう問題の切り分けをして、こーいう回答をしました」という報告をしたりする。  彼は分かったつもりで何度もうなずくのだが、時折「こーいう問い合わせが来たんですが、XXさんならどう答えます?」とのっけから質問形式にする事もある。彼が正鵠を得た回答をした事は一度も無い。  吊るし上げと言われればそうかも知れ無い。こちらとしては、分からないだろう、答えられないだろう、と分かっていて、質問しているからだ。彼の報告の不明瞭な部分を突っ込んで質問して、彼がお客様の質問を何も理解していなかった(問題が何かすら把握していなかった)事をミーティング中に問い質した事もある。いつもでは無いけれど。  私はハートマン軍曹ほど優しくなれる覚悟は無い。その新人の教育役の人はまだ全ての望みを捨ててないと言っていたが、私はとうに捨てている。それでも報告会とかで突っ込むのは、彼が不十分にしろ既に戦線に並んでいる同僚だからだ。同僚がミスをすれば最終的にはチーム全体にその影響が及び得るのは仕事の常識と言って良いからだろう。その意味で、やはり私は全然優しくないのだと思う。

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