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カテゴリ:日記のようなもの
20年日本銀行に勤めた人が、国際通貨基金からの要請によって、アフリカの小国、ルワンダの中央銀行総裁に就任し、その財政赤字と国際収支の赤字の解消と経済の立直しに、ルワンダの人々と共に、尽力した記録が綴られた本です。
映画や小説が決して持ち得ない事実と思慮と努力の蓄積とその結果が淡々と述べられています。 通貨切下げ。 この言葉の意味を、本を読了した今でも理解できたとは思いません。しかし著者がルワンダ中央銀行総裁着任を要請された時、ルワンダはこの通貨切下げを行うように国際的な圧力を受けていました。 現地に着任後、ルワンダの大統領が著者の家に訪ねてきて、尋ねます。通貨切下げは行わなければいけないのか?その理由は何故か? そして著者は答えます。 通貨問題は国の経済政策の大きな問題であって、政治決定があって初めて技術的に実行できるものなのだと。そして逆に尋ねます。あなたの政策は一体どんなものなのかと。あなたはこの国をどんな国にしたいのかと。技術は目的を実現する為の手段に過ぎない。政策があっての技術なのだからと。 その下りは原文のままご紹介します。 大統領『総裁、あなたはそういうけれども、先日私の顧問がうるさく切下げ切下げというので、私が後進国では政治優先だといったら、閣下が門番に屋根に飛び上がれといってもそれは不可能でしょう、いくら政治優先といっても技術的に不可能なことがありますと口答えした。総裁ならこれになんと答えますか』 服部(著者)『それは顧問が間違っています。達成すべき目的、つまり政治は、門番を屋根にのせることです。この方法が技術で、梯子で上がるか、飛び上がるか、ヘリコプターで上げるか、木に登って飛びうつるかは技術なのです。屋根に飛び上がれというのはすでに命令者が不可能な技術をとることを指定していることになるのです』 そうして急激な発展よりは、速度は緩くても恒常的な国民全体の発展を望んだ大統領に対し、国民資本の育成が答えとなると伝え、こんな言葉を付け加えます。 『通貨は空気みたいなものです。それがなくては人間は生きていられません。空気がよごれておれば人間は衰弱します。しかし空気をきれいにしても、人間の健康が回復するとはかぎりません。空気は人間に必要なものであっても、栄養ではなく、人間が生きるためにはさらに食物をとり水を飲むことが必要なのです。通貨改革をすることは空気をきれいにすることです。財政を均衡させることは生きていくに足る栄養をとることです。しかし健康を回復するためには、栄養の内容が重要になってきます。経済でいえば財政の均衡の内容とその基礎になっている経済条件が、国民の発展に合うようになっていなければならないのです』 実務家。 まさに彼の為にあるような言葉かも知れないけれど、彼は技術官僚という言葉だけでは表現し切れない存在です。 彼は大統領からの信任を受けて、一人で通貨切下げのみならず国の経済政策の全体像から実行計画までの立案、予算編成から税率の策定、その他あるゆる必要と思われる『仕事』に着手し、それを遂行していきます。 最初は、5ヶ月半、しかし現実には2,3年の延長と思われていたものが、最終的には6年間、窮乏を極めていたルワンダの中央銀行の総裁を彼は勤めて、その成果は5,6年目に見事に国に根付き、彼はルワンダを去る決意をします。 ルワンダとしては、国の経済を立て直した最大の功労者(立案者)であった彼を留任しようとしますが、これに関して著者はこんな言葉を述べています。 『中央銀行という重要な国の機関は当然その国の人が総裁とならなければならない』と言い切り、外国人が総裁となるのは特別の必要がある場合に限られるべきと述べ、更にこんな言葉を付け加えています。 『中央銀行の運営はそんなにむつかしいことではない。これが国民にできないようでは、独立国の資格がないといわれてもしかたがない』 はっとさせられました。 民主政体の独立国家に住む、国民であるという事は、自分で自分の住む国の面倒を見れるようにならなければならない。 そんな当たり前の事を、この厳しい言葉は再認識させてくれました。 私達が普段その中で暮らしているのに目に見えない国という存在の血液(通貨)と、その循環(経済活動)を司る中央銀行の姿や役割を、アフリカにあるルワンダという後進の小国が舞台ですが、垣間見れる傑作です。 私も、本文中に書かれている経済的な指標や仕組みの半分も理解できたか怪しい所ですが、それでも充分に、感動できました。笑 一人の銀行能吏が、ここまで大きな事が出来るのか。一国の命運を、誇大表現でなく、左右出来るのか、もとい変革したのか、と、目頭が熱くなりました。 プロジェクトX系といえば想像はつきやすいでしょうが、あの番組が取り上げた題材の内、この本の内容ほど濃いものはほとんど無かったと言っていいと思います。 で、まぁここからは感傷に過ぎないかも知れない疑問なのですが、彼くらいの能力を持った能吏が日本にもいた筈なのに(日本銀行とかにね)、なぜ日本の財政はここまで追い詰められてしまったのか。 一つには、指導者の問題があると思います。 この著者をサポートした大統領は、非常に政治的に優れ、自分の分からない部分をあいまいにせず、正しい人からの助言を受け入れ、彼に関連する全権(立案と施策)を委ねました。もちろん結果論的な考証が立ち入る余地はあるにしろ、それは是非読んで見て頂いて、みなさん自身にご判断頂ければと思います。 夜レストランとかで読んでて、15分くらい読み進めると、それまで昼間一日、いや普段どれくらい自分が頭を使っていなかったのか分かる、そんな一冊でもあります。 でも経済的な事とか算数的な事があまり分からなくても大雑把なイメージは掴めるように書かれてますので、普段そういった本は手に取られない方にも、お勧め致します。 (『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也著、中公新書) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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