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カテゴリ:日記のようなもの
いつも通り日曜はちょいと出かけてモスでスパチリオニポテセットとかを食し、先日買った経済学入門の本を読んでたりしたのですが、確定申告の用紙はなんですかあれ?
あんなものをすらすら記入できる人はきっと人間じゃありません。 (ウソです) てわけでWoWはレベル13になった名無之直人です。 だから今日は(正確には今日の分は、ケイジアンとか経済学者の幻想について書いてみようと思います。 ええ。 こちとら素人です。素人を盾にして好きなこと言ったり書いたりするのは、だから素人の特権です。(玄人は素人を騙ってはいけませんが、素人として玄人を騙るつもりもありません。) 別に経済学のこの入門書が悪いとかじゃなくて、日々新聞とか経済ニュースでも通説として、金利が下がれば企業はお金を借りてそれを新たな設備投資や雇用に回したりする、という事になってるのですが、これは本当にそうでしょうか? (経済学の教科書としては)そうかも知れませんが、まず借金の大前提として、通常は支払能力以上の借金はしません。事業を拡張するにしたって、まず将来の見通しとか採算性などが立たないと手を出さない筈で、金利はその内の一要素に過ぎません。金利が安くなったから事業を拡張しよう、ではなく、事業を拡張する計画が元々あって金利が安い時を狙ってお金を借りる、という行動の方が理に適っているし実際にある姿だと思うのですが。 現在の日本の様に金利が底を打っているような状態が続けば、どこも優良な借り手(企業)に対して貸し出そうとして競争が激しくなっているようですが、当の借り手は必要以上の借入はしないでしょう。 個人に関しても、いくら金利が安くて住宅ローンを組むのに有利だとしても、将来の先行き不安で手控えてる人も少なくないと思います。(住宅ローンに関していえば、国が借金を帳消しにするハイパーインフレを本当に起こすとしたらその直前にローン組んだ人が"勝ち組"となるでしょうね。笑) (金利を上げれば景気抑制、下げれば景気刺激というのも、例えばクリントン政権の金利が高い時の(しかも増税して)好景気と、その前後の景気などを比べて、単純にそうは言えない、という事も明らかかと。他の様々な要素があるにしろ、というなら、金利はもちろん一要素にしか過ぎないのです。日本の低金利で景気長期低迷とかね。ここら辺の経済学者同士の論戦もかなりあるようですが) で、もう一つ素人なりに気になったのが、政府支出。これはまぁ建設国債とかで作るいわゆるハコモノ、空港、道路、港湾施設などを将来への負債でなく利益を生み出すものなのだから、これらを作る為に現在に借金を作っても将来世代への負担増にはならない、という理屈があります。 (政府支出の乗数効果と呼ばれるものにもかなり懐疑的なのですが、これは自分が数学的な部分を理解出来てないのでここでは触れません。) 「おらが県にも空港を!」の大合唱で採算が取れない空港がいくつ作られたことか。しかし経済学者的には数字をいじくり回して、「乗数効果が・・・」とかやるのでしょうね。それもあるにしろ一時的なもので後からくる建設費償還と運用赤字の負債の方が余程大きいだろうにそれは無視。使われない有料道路建設とか漁港の整備とかなんて全国でいちいち数え上げるのも馬鹿らしいほどです。 一例として、関空の資料だけリンク貼っておきます。中部国際も出来たし、この関空が赤字から自力で借金返す事は出来ないでしょうね。年300億とか黒字が出て100億を借金返す為に使えるようになったとしても、1兆5600億の借金(当然利子有るので増えていきますが)としても156年ですか?(わらい 航空輸送需要予測と実績のグラフが涙を誘いますね。(泣いてる場合でも無いのですが) 経済学って、まだ初歩の初歩をかじり始めたばかりでその数学も理解できてなくて言うのですが、事後学(造語)の様な気がするのは私だけでしょうか。 後になってから起こった事を分析して、『あー、これはこういうことだったのね』と考える為のツール。で、その計算は以降の事例の参考には出来るだろうけど、将来に起こる事は当然違う要因によって引き起こされる場合もあるので、万能では無い。当然だけどね。 だから、当然の帰結として、予知という怪しいものではないし、予測を完全に出来るものでも無い。経済学者からしてそんなものの為に経済学は無い事を普通に認めると思うし、私は別にそれを変だとも思わないのだが、だからこそ、官僚の景気予測とか運用予測とか投資効果なるものに、幻想を感じ得ない。(ここでいう幻想というのは、私がWoWとかを遊んでいるのより、遥かに危険で実害を伴う) 科学とは、再現性にその礎を置く。つまり誰がやっても毎回同じ結果になるものでなければ、少なくとも科学とは呼べない。(量子論は、"だいたい"という法則になるけど) 経済学にその再現性はあるだろうか? 高度なものになればなるほど、扱う数学も高等になっていくが、学問として現実から乖離してしまっているように感じてしまう。完全に、では無いにしろ、事後学という限界を超えて何かを説明しようとして、その立脚する拠り所から足を踏み外してしまっているような印象を受ける。 ある経済学者の高弟が言った言葉らしいのだが、「経済学を学ぶのは、他の経済学者に騙されないようになるためだ」という言葉あるらしい。いろいろ素人の偏見を書いたが、しかし単純な定理の様なものでいくつも参考になったこともあるのも確かだ。 風が吹くと桶屋が儲かる、という江戸時代(?)の言葉ではないけど、カリフォルニアで蝶が舞うとどこぞの株式市場が暴落するという話もあったりする。カオス理論と呼ばれる類ですね。(確か) 経済学の基礎部分の様々な恒等式に納得のいく部分もあったしいかない部分はあったけど、ちゃんとした言葉とか数式で反論するにはまだまだ時間がかかりそうです。 ただ、今思うのは、マネーという姿の見えない猫の首に鈴を付けるような作業が必要なんじゃないかな、ということです。世界全体にどれくらいの富=価値が存在し、貨幣(実体通過)が存在し、マネー(支払い手段?)が存在するのか。その3者は本来恒等式でそれぞれが結ばれる筈が、マネーが独り歩きしてしまい、膨張を続けている。つまり富よりも通貨流通量よりもマネーという存在の方が遥かに大きいという有り得ない状態が現代の経済。実体経済とマネー経済の規模比較で1:9という比率らしいのですが、どこから(どういう根拠で)その値が出ているのか、私はまだ良い資料を見つけられていません。 まずおおまかにでも全体像を掴んでから、個別に仔細を見ていくことを始めないと、高波が来ているのに砂浜でお城を作っても波に崩されることを繰り返すだけ、になりそうな気がしてます。 長々と、まとまりのない、中間報告でした。^^; (『経済学をバカにしてる奴は経済学を理解できないだけ 』という批判は私に当てはまるかも知れませんが、私は馬鹿にしてるというよりは、疑っているのです。経済指標の基となる数字とかも、例えば国会図書館で国家予算の詳細を見たことのある人なら、いかにそれが「簡単にいじれるもの」であるかお分かり頂けるかと。(鉄鋼1本の値段の水増しとかで極端な話全てが変わる) そんなものの集計の上に財政とか経済見通しとかの検証や議論が来ているのですから、あやふやにもなるわけです。あやふやなものの上にあやふやな言い合いをしてもあやふやなものしか得るものは無いわけで、下手な考え休むに似たり、という結論の元借金だけが増えていっているという日常なわけです。笑 <日本国) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ひとみいごさん
>「経済学」に対し >「難しい」という先入観が >いまだに消えない私です。ヾ(・ω・o) ォィォィ こんにちは。私も同じですよ。 ていうかその入門書を読む為に高校の数学の教科書でも買いなおそうかと考えてたりします。笑 でも経済学の実際って、数学じゃ説明しきれてないことが一つ一つ「後追い」で検証されてることはたぶん間違い無いと思うのです。しかも人間(集団)心理まで数式に含まれてたりするなら、そんなの如何様にでも数値も計算結果も変わってくるものだと思うのですが、そんなの普通の雑誌の「アンケート調査結果」と次元が大して変わらないように思えてしまいます。(経済素人のタワゴトですがね。笑) (2005.03.07 17:18:19)
すみません、ここ2週間ほど削る睡眠時間も無いというほど切羽詰っておりまして、コメントが遅れました。
設備投資の件ですが、教科書的に言いますと、金利が低下することで必要とする借入額自体が増えるわけです(例えば、採算性の向上によってより薄利多売がやりやすくなるとか)。また、金利以外のさまざまな制約(担保など)の研究も進んでいますが、それも金利による理解をベースにしているので、まず単純なケースとして投資を金利の関数と考えるのはそれほど悪いやり方ではないと思います。 再現性ですが、理論のレベルならば当然再現性があります。一定の前提条件を置けば、だれでも同じ結論にたどり着くという意味で、です。自然科学と決定的に違うのは、実験によって同じ状況を何度も繰り返しシミュレートできないため、どこまでを誤差と認識してよいかが分かりにくいところでしょうか。その分だけ、理論的な整合性がより強く要求される学問なのだと思います。 事後的に説明しているだけ、という点ですが、学問において重要なのは、過去起こった出来事に含まれる普遍的な真理を見つけ出す作業ではないでしょうか。その真理が普遍的であれば、それは当然今後の(例えば)経済政策に生かせるわけです。ただし、上で書いたように、その真理に基づいた政策がどの程度有効だったかは、誤差の大きさが検出しきれないため、即座には判断しづらいのが問題です。結局、うまく言ったかどうかの判断は将来の歴史家に ゆだねなければならないという側面が出てきてしまうのだと思います。 (2005.03.14 02:41:00)
馬車馬さん
おお、お忙しい中ご丁寧な返答ありがとうございます。お勧め頂いた本はまだ半分程度しか読み進めておりません。^^; >自然科学と決定的に違うのは、実験によって同じ状況を何度も繰り返しシミュレートできない 確かにこれは経済学に限った事では無く、社会科学全般に当てはまる事かも知れませんし、だから意味が無いと私も言うつもりもありません。事後的と書いたのも、だから当然その限界を踏まえる必要があるのではないかと感じるからです。 各政策がどの程度有効だったかは、当然「結果主義」になってしまう。景気が悪い時には、金利を下げて政府支出(経済対策)を増やせば、景気は良くなる、という程単純にはいかなかったという例に関しても、政府の政策故に「この程度の不景気で済んだ」という言い方もできれば「全く好転していない」という言い方もできるわけで、仔細に関しては経済学者同士の議論とか経済ニュースとかに任せます。 過去の傾向から未来の予測を立てる事も可能ではあるでしょうが、それは天気予報の様にはいかない。公共投資を1年で50兆増やせば統計上GDPは50兆伸びるだろうけど、国民の富が50兆増えるわけではないと思う。上手く説明できませんが、そういう違和感なのです。日銀当座預金残高を増やす事が景気対策になってるかどうかとか、円高や円安になる理由やその影響とかも、ニュースで見聞するような理由では動向してない様に感じるのです。 まだまだ勉強を続けて「感じる」ことをちゃんと数字とか計算でも理論的に説明できるようになりたいのですが、先は流そうです・・・。 (2005.03.14 10:45:00) |
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